北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】大徳寺,一休宗純が見れば何を思う-撮影禁止の伽藍面は東京の方に投げかけられた重い言葉

2022-06-18 14:10:02 | 写真
■一休さん蓮如持念仏抱き枕
 撮影禁止の伽藍面は今の時代には行きません、こんな声を向けられましてしかし改めてみてみますと日常の散策を一歩前に塔頭へ進むと確かに撮影禁止が多い。

 大徳寺を散策する、その際に余りに人が少ない為にマスクを外してみる。僅かに修学旅行生がこの大徳寺を選んだ背景というものを少し考えてみるのですが、京都五山を回る趣向か、純粋に一休宗純はじめ大徳寺所縁或る僧侶への興味故か、と閑散でも考えてしまう。

 一休宗純、考えてみると室町時代のヒーローといえる一人ですね。狂雲子や破戒僧と呼ばれる僧侶ですが、なにも単なる破天荒と云う訳ではなく応仁の乱という時代に在って反面教師的な振る舞いから禅宗を通じて社会の再構築を試みたという僧侶、一休さんともいう。

 蓮如、本願寺門主蓮如とも親交が深く蓮如を訪ねた際に留守であった為、持念仏阿弥陀如来像を枕に昼寝し、蓮如にそれは私の商売道具だぞと笑われ、なにこれなどは元は金属と樹木よと、唯物信仰に一石を投じた、日本で最初に抱き枕を実践した高僧でもあるのです。

 破戒僧と呼ばれる一休さんのお話しを敢えて思い起こすのは、この一休宗純が中興になった大徳寺は、拝観できるところは特別拝観が数多あるのですが、写真を撮れる場所が余りに少ないという、指摘を知りました。実は拝観よりも散策が多い当方には実感はあまり。

 龍源院と興臨院については撮影ができるのですが、この他については入ったら最後撮らせてくれないものがおおい、いや特別名勝というものもありますので、まったく理解できないかといえば、多少は理解できるのですが、今の時代一部位は、ともおもうのですよね。

 特別名勝に大徳寺方丈庭園が列せられていて、記憶では特別公開も2000年代に撮影出来て、フィルム時代に撮影した記憶もあるのですが、イージス艦のCICでもないのですしちょっと理解できません。お上でさえ行幸の際には御真影の撮影を許される程の現代に、です。

 興臨院なんかは常設公開されていますので、此処が撮影できますと大徳寺の情景をいろいろとお伝えできるのですけれども、特別公開されている所は軒並み駄目、数年に一度の特別公開も撮影は駄目だ、となりますと、今の時代感傷は共有する時代であるようにも。

 孤篷庵の七年に一度の特別公開も行われていましたが。しかし聞いてみますと撮影禁止という、いやはや散策しているだけの大徳寺でふと寄るところは撮影出来た場所がありますので、こう改めて云われた撮影できないをもとに観てみますと、ほんとうだ、と驚く。

 一休宗純がこの話を着たらばどう思うのだろう、別に中傷や毀損の為に撮影しているという訳でもないのです、蓮如さんの持念仏の阿弥陀如来像さんのように釈迦如来さんを抱き枕にさせろという訳でもありません、拝観料の上乗せが要るならば応じるという前提で。

 黄梅院の撮影禁止の理由を聞きますと、前は良かったのだけれども過去に酔客が撮影で揉めたので禁止にしたという僧侶のお話が、なるほど、ここアルコールオッケーにする為に撮影禁止にしたとの事、今度は拝観料を収めた直後にポケットボトルを煽ろうかと思った。

 千利休のように、大徳寺の庭園には明らかにされると法主が切腹ものといいますか刑事罰を迫られる事情でもあるわけでもないでしょうから、御本尊を撮影させろとは言いませんが、全て撮影禁止というのは時代錯誤の塔頭と思うのですよね、それなら拝観謝絶がよい。

 一休宗純がこの話を着たらばどう思うのだろう、室町時代の庭園は幕府が作庭を命じた際には他の寺院や貴族邸宅から巨岩や奇岩を接収したといいますので、室町時代の盗品がばれるのだろうか、そんな事を思うのです。もう少し撮影に寛容であって欲しいのですよね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ戦争-要請された1000門の榴弾砲,制空権論点無き奇妙な戦場に代替案の航空打撃力と急造ロケット砲

2022-06-18 07:00:33 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ウクライナ政府が戦闘機供与要請を行わなくなったのは戦場様相故か運用訓練時間確保の難しさからか、しかし昨今、火砲1000門を世界に要請しました。

 制空権、航空優勢や絶対航空優勢という単語でも説明されますが、ウクライナ戦争は奇妙な戦争といわれます、先ずロシア軍の侵攻が非ナチズム化という非常に曖昧で故に実証しにくい理由で開始され、国際法上の正当性も国連安保理決議も無いまま全面侵攻という国連創設前の認識で始められました、そして何より奇妙なのは、制空権の話題が出ないこと。

 榴弾砲1000門が必要だ、こうウクライナ政府は繰り返しますが報道にもある通り例えば砲兵王国とナポレオン時代から第一次大戦時代に名を馳せたフランスでさえ現在の保有火砲は96門、輸出用を含め砲身精製能力は年間100本といいます、するとウクライナの需要を満たすには十年を要する計算となり、そんなものでNATOは大丈夫かと思われるでしょう。

 NATOならば空軍を使う。さて欧州は砲兵火力が冷戦時代と比較し大幅に縮小されています、ただ、これを補うのは本来、航空打撃力、その駆使により発揮されるものです。例えば冷戦時代、欧州では戦闘機よりも攻撃機が重視され、ドイツ連邦軍を見れば主力戦闘機は古めかしいF-4ファントムと、懐かしいF-104スターファイターでしたが、攻撃機は更に新しい。

 トーネード攻撃機、一応短射程空対空ミサイルは搭載できるのですが対地攻撃と対艦攻撃能力の高いトーネード攻撃機がドイツ連邦軍では主力を占めていて、更に練習機ですが軽攻撃機として機能するアルファジェット軽攻撃機も運用されていました、地対空ミサイルの前に攻撃機は苦戦を強いられることが予想されるも、それでも最良の打撃力と評された。

 侵攻高度30m、ウクライナではロシア軍Ka-52攻撃ヘリコプターが90m程度の硬度で悠然と飛行し次々と撃墜され攻撃ヘリコプターの時代は終わったのではと危惧されましたが、冷戦時代にアルファジェットやトーネードといった攻撃機は高度30mを亜音速で侵攻、対空火力の脅威を非常というより非情な訓練により樹木すれすれの低高度飛行で避けました。

 ウクライナ東部地域でのロシア軍砲兵火力は非常に大きなものがありますが、これをNATOに対して行ったならば、砲兵には砲兵だけでという道理は無く、確実に航空攻撃により砲兵は殲滅されたでしょう、特にNATO加盟国にはクラスター弾全廃条約に加盟していない国も多く、砲兵部隊の特に目立つロケット砲兵射撃はクラスター弾の良い的です。

 1000門の火砲供与要請、それでは絶望的なのか、こう問われますと何とも言えません。砲身の精製は施設の関係上各国とも限界はありますが、砲兵は火砲の他にロケット砲を装備しています、それも自衛隊が配備するMLRSのようなロケットシステムは製造に時間を要しますが、ロケット弾発射器というだけならば点火装置付のパイプを束ねれば製造できる。

 韓国のK-136やチェコのRM-70にスロバキアのVP-14とスペインのテルエル、ロケット弾発射筒を束ねたロケット砲は命中精度の問題があり、冷戦後各国が廃止に動いたためにロシア中国製以外で残るものといえばこの程度ですが、戦時急造に向いた設計です。どうしても必要ならば、こうした戦時急造兵器の再生産という選択肢も、あるにはあるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和四年度六月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2022.06.18-2022.06.19)

2022-06-17 20:09:54 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 自衛隊行事が戻ってきたと思ったところではあるのですが今週末の様に無い週末もあるようです。

 岩手駐屯地創立65周年記念行事、岩手駐屯地が公募制見学者募集当選者と招待客限定で記念行事を行いますが、今週末は自由に見学できる自衛隊関連行事はありません。減少が続いていた感染者数等も下げどまり傾向が見え始め、まだまだ油断会出来ないところですが、サル痘の各国拡大が続くなかでWHOはじめ何かCOVID-19当初の不手際を思い出す。

 姫神山と岩手山を望む岩手駐屯地は岩手山中演習場に隣接した演習場環境に恵まれた立地ということで、東北方面特科連隊の連隊本部と本部中隊及び第2特科大隊と第4特科大隊が置かれるとともに、方面隊隷下部隊としては第10施設群隷下の第387施設中隊など、また第9師団隷下部隊として第9戦車大隊と第9高射特科大隊などが駐屯している駐屯地だ。

 74式戦車を装備する第9戦車大隊は、冷戦時代にはソ連軍の青函地域侵攻を念頭に本州では最も強力な編成を採っていました。74式戦車が年々削減が進む中、今年度の全国戦車部隊駐屯地祭は、とりあえず岩手駐屯地祭がこのように招待者と公募制という開催になったのは少々残念です、ただ、COVID-19感染対策と事情が事情ですのでこれも致し方ない。

 東北方面特科連隊は第9特科連隊を2020年に改編し創設された部隊で、2022年となるも一度も完全な一般公開による駐屯地祭を行えない部隊です。この第9特科連隊は陸上自衛隊で最初にFH-70榴弾砲を装備した部隊であり、当時他の師団特科は155mm榴弾砲といえばM-1榴弾砲や75式自走榴弾砲、39口径のFH-70は驚くべき新装備という扱いでした。

 砲兵火力は現在のウクライナ戦争においてウクライナに侵攻したロシア軍が猛威を振るっており、ウクライナ軍の火砲保有数もフランスやドイツと比べれば非常に多いのですが、圧倒されている構図、アメリカなどはM-777榴弾砲を90門も供与していますが、全く足りていない状況であり、交換砲身を送る程の砲兵戦が続いているという転換期にあります。

 74式戦車についても、ロシア軍がウクライナにおいて余り物戦車を撃破された事で、2014年に退役させたT-62戦車を現役に復帰、T-62戦車は最新鋭のT-90戦車等に比べれば性能は限られますが、半導体由来の電子部品をほとんど使わない機械的な信頼性の高さが在りまして、74式戦車のように古い戦車であってもその有無の重要性が示されたところですね。

 さてコロナ対策、三度目の接種が進むところではあり四度目接種も開始されているCOVID-19の予防枠組ですが、我が国をみれば、今年六月中旬の時点で感染者数の累計は900万名を超えており、死者数を抑えた事だけは幸いといえるのですが、今後社会全体で考えなければならないのは、再感染拡大を防ぐと共に後遺症という問題との向き合いが要る。

 出口戦略や感染症法二類変更が議論される中、厚生労働省研究チームの分析によれば中等症以上の感染者1000名を対象に一年後の概況を見ますと、睡眠障害持続10.1%、筋力低下持続9.3%、呼吸困難持続6.0%、思考力低下持続が5.3%、咳持続5.0%、倦怠感持続4.9%、筋肉痛持続4.6%、という。数年後完治の可能性はありますが、無視できる数字ではない。

 COVID-19後遺症というもの、日本では感染者数が人口の一割未満と云う事もあり、コロナ感染者は少数派に抑えられている、これ自体は素晴らしい感染対策の成果といえるのですが、感染者全員が後遺症を長期的に持続させるわけではない為に、コロナ長期後遺症患者は更に少数派となり、こうした方々の闘病を支援する枠組みと社会の理解はたりません。

 適応障害やうつ病診断、COVID-19後遺症は味覚嗅覚障害と咳とともに倦怠感が長期持続する事が診断されています、この他に息切れや記憶障害なと。ただ、咳などは一見して分りやすい症状ですが、倦怠感については診断は兎も角として、気力や気の持ちようや勤怠の問題ではないか、こうした解釈が、特に後遺症の経験の無い方には多いのではないか。

 ブレインフォグとも称される記憶障害、そして集中力の低下、こうした後遺症は、ロングコビットというまだウィルスが体内に残っている可能性や、ウィルスによるサイトカイン炎症が持病の悪化させた可能性など、研究そのものが進んでいない、いやコロナ対策は究明と予防に偏重している背景があるようにも考えるのですが、充分な解明はすすみません。

 自己責任論が過度に跋扈する日本社会、ブレインフォグなどの後遺症も自己責任で片づけられないか、後遺症で思考力低下や息切れとなっている状況を個人の勤怠で片づけられないか、こうした懸念を感じるのですね。いや、懸念があるからこそ日本の感染対策の慎重さがあるのかもしれません。出口戦略としての後遺症長期化への支援体制は、必要と思う。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・行事予定:特になし


■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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【G3X撮影速報】F-35A戦闘機&F-15J戦闘機-三菱重工から空へ向かう小牧基地の日常風景(2022-06-16)

2022-06-17 07:00:30 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■日の丸F-35A戦闘機
 CANONの超望遠ズームコンパクトデジタルカメラG3Xにて公園から基地の街の日常風景を撮影して来ました。

 F-35戦闘機、先日の横田基地日米友好祭、流石にこの時期に東京は難しいぞと思っていましたらばエアフォースワンまで飛来したという話題でしたが、F-35戦闘機も三沢基地第3航空団の二個飛行隊が勢ぞろいしたといいまして、これはこれで惜しい事をしたなあ、と。

 祇園祭が諸般の事情で撮影へ人の多い最中を移動する事が自粛しようとなりまして、ちょっと残念に思うのですが、その分を気分切替えて久々に小牧基地へ撮影へ、行きましたらなにか凄いのがいました、F-35戦闘機が、当たり前のように三菱重工小牧FACOから出てきます。

 小牧基地、しかし、この日撮影に長躯出かけまして正解だったなあ、というのは遠景に輸送機が飛行しているのに基地消防隊の航空消防車が滑走路脇の待機位置から猛スピードで移動していまして、これはランウェイチェンジの準備なのですね、するとこうした構図が。

 F-15戦闘機、このF-15も三菱重工小牧南工場からF-35に続くように数分の間隔を置いて誘導路を進んでゆきました、三菱の施設側からジェット機のエンジン音が聞こえますと期待する、F-35は小牧基地側を進みF-15は手前の誘導路を滑走路端へ。F-35とF-15という。

 C-130H輸送機とKC-767空中給油機でも撮影できれば良いよね、という気軽な気持ちで撮影に行きましたところで、F-35とF-15という。流石に一日中張り付く時間の余裕もなく、午前中の一時間半という現地撮影時間を区切っていたのですが、これはもう運がいい。

 三菱重工で定期整備を受けているF-15ですが、機体番号の通り初期の機体、遠くない将来にF-35Aが後継機となる初期型のF-15,エンジン音もベテランといいますか音が年数を感じさせました、ランウェイチェンジのお陰でいつもと違う角度の撮影、貴重な経験でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ユーロサトリ2022:"EMBT-MGCS欧州戦車-主力地上戦闘システム"は2035年完成期す異形の多砲塔戦車

2022-06-16 20:12:56 | 先端軍事テクノロジー
■独仏共同開発戦車混迷
 ラインメタル社が発表したKF-51パンター戦車はまさに2030年代を切り開くものですが、同時に発表されたEMBTは1930年代の流行を現代化したものでした。まあ90式戦車の写真と共にその話題を。

 ドイツフランスが共同開発を進めるEMBT-MGCS欧州戦車-主力地上戦闘システムの試作車がユーロサトリ2022国際装備展に展示されました、前回のユーロサトリ2018ではレオパルド2A7の車体にルクレルクの砲塔を積むというものでしたが、今回は2030年代以降を狙う戦車に恥じない画期的な試作車が展示されたかたちです。なんと多砲塔戦車です。

 EMBT-MGCS試作車は全長10.45mで車幅3.85mに全高3.24m、戦闘重量は61.5tです。主砲は52口径120mm滑腔砲で22発の自動装填装置を採用、副武装としてARX-30RWSの30mm遠隔操作砲塔、エンジンは1500hpのMTU-882EPPディーゼルエンジンを採用、乗員は自動装填装置を採用するも4名を維持する。トロフィーアクティヴ防御装置も持つ。

 EMBT-MGCS試作車で特に目を引くのは本体を削りセンサーを大量に載せた砲塔で、ミリ波レーダーか複合光学装置と思われるものを搭載、主砲弾は22発のみとし、戦車以外の目標は30mm機関砲が対応する模様、製造はクラウスマッファイ社とネクスター社の匿名合弁企業KNDSが進めており、これは試作車ですが早ければ2035年に実用化するという。

 ドイツとフランスの戦車共同開発は成功するか、ユーロサトリ2022にて公開のEMBT-MGCS欧州戦車-主力地上戦闘システム試作車両は、恐らく2035年までに完成するというものであり車体の多くはモックアップ、将来戦闘を留意した概念実証車だと考えられます、こう言いますのもレオパルド2試作車も一次試作車はレオパルド1改良型でした。

 その上で、フランスとドイツが戦車の共同開発を行うのは今回が初めてではありません、オイロパンツァー計画として1957年にドイツとフランスはNATO標準型戦車の開発を試みています、これは車幅3.15m以内で主砲は105mm、エンジンは空冷ガソリン方式を採用し懸架装置はトーションバー、トン当たり30hpの出力重量比として合意がありました。

 しかし、オイロパンツァー計画は挫折します、具体的にはドゴール政権のNATO軍事機構脱退と独自核戦略という施策にドイツが報復という形で離脱したのですが、結果、AMX-30とレオパルド1、両国は独自戦車を開発しています。今回の開発は上手くいくのか。ドイツとフランスの戦車運用に関する認識を摺り合わせる事への不十分さを感じる試作車です。

 EMBT-MGCS欧州戦車-主力地上戦闘システム試作車両は驚くべきものでした、しかし同じ会場で提示されたKF-51の先進性よりも、多砲塔という際物的な意味で、です。2020年代に多砲塔戦車というべき、120mm戦車砲塔上に30mm遠隔操作砲塔を搭載する案は、ユーロサトリ2018で示された、新しさは無いが手堅い案とは真逆のものとなっていました。

 ユーロサトリ2018からユーロサトリ2022へのEMBTの激変、これは言い換えれば設計が迷走している事を意味します。30mm遠隔操作砲塔は、主砲を使うには威力過大な軽装甲目標や航空機に対処するものと考えられますが、その分主砲弾は22発のみ、車体弾薬庫は省略されているもよう、しかしドイツもフランスも砲弾は22発で充分という合意なのか。

 2035年に量産開始を目指す戦車ですが、次のユーロサトリには全く別のEMBTが製造されるのかもしれません、つまり多砲塔は一時の気の迷いとも考えられるのですが、この他に大量に砲塔上に搭載された各種センサーは砲兵曳火射撃等で破壊されないのか、ドイツとフランスは合同旅団を編成していますが、戦車哲学は一致しているか、気になります。

 EMBT-MGCS欧州戦車-主力地上戦闘システム試作車両で驚かされた多砲塔設計、今回は上手くいくのでしょうか。フランスはルノーB1visという多砲塔戦車を1934年に開発、主砲の75mm砲を車体に搭載し旋回砲塔に47mm砲を搭載していました、実はこの設計は戦前には一つの潮流を形成しており、アメリカのM-3リー/グラント戦車などがあります。

 多砲塔戦車はしかし短期間で淘汰されます、その理由は戦車長が指揮するには砲手が二人いる為、どの砲がどの目標を狙うのかが煩雑となる為で、M-3リー/グラント戦車は車体に75mm砲と砲塔に37mm砲を搭載していましたが、乗員は通信士を合せ7名も居り、車長は全員の戦闘を指揮すると共に戦車小隊長の指揮と全体の概況を把握せねばなりません。

 EMBTは乗員が4名で、自動装填装置により装填手は不要となりましたがシステム通信士が乗車します、車長は外部視察装置に30mm遠隔操作砲塔を用いる場合、優先目標を発見した際はルクレルクやレオパルド2A7の様にオーバーライド照準を行うのでしょうが、それでは30mm砲の用途が薄くなります、現代の多砲塔戦車の今後、関心事といえましょう。

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ヨーロッパ各国防衛当局者悩ませるミサイル防衛の課題-ウクライナ戦争で表面化,東欧イージスアショアの限界

2022-06-16 07:01:44 | 国際・政治
■臨時情報-ミサイル防衛
 今朝はイージス艦まや雄姿とともにヨーロッパにおけるミサイル防衛の問題を見てみましょう。

 NATO諸国はロシア軍のウクライナ侵攻を受け、その脅威が将来的に欧州へ及ぶとの危機感から相次ぎ国防費の増額に踏切っています、しかし、大きな課題は冷戦後削り過ぎた重戦力の再整備は容易ならない時間、特に防衛産業の再育成が必要という問題と、そして冷戦後に顕在化した脅威に対する枠組が、欧州は平和との認識で棚上げされた事にあります。

 ミサイル防衛はその最たるものです。ミサイル防衛は巨額の費用を要する為、真剣に取り組む国は多くはありません、北朝鮮弾道ミサイル脅威に直面した日本、イラン弾道ミサイルを正面から構えるイスラエル、そして近年はサウジアラビアやアラブ首長国連邦など中東産油国、そして世界に展開する米軍部隊を護るためのアメリカが取り組む程度でした。

 こうした中、ウクライナ戦争によりロシア軍はかなり多数の弾道ミサイルを投射しており、欧州諸国にミサイル防衛を改めて突き付ける構図となっています、例えばドイツはアロー3弾道ミサイル迎撃システムをイスラエルから導入する交渉を開始しており、またイギリスは対艦弾道弾から空母を防衛するべく45型防空駆逐艦へミサイル防衛能力を追加します。

 ミサイル防衛、その大きな課題は、弾道ミサイル脅威に対してはアメリカが東欧二カ国に配備するイージスアショア陸上配備型ミサイル防衛システムに依存していたという点です。しかし、忘れてはならないのは2007年のイージスアショア東欧配備に対し、ロシアが外交問題化、NATOオブザーバー国から離脱するなど、米ロ対立の引き金となった点でしょう。

 東欧ミサイル防衛システムは、アメリカが繰り返すようにイランの弾道ミサイル攻撃から欧州を防衛する為であり、ロシアに対してのものではありません、これを象徴する様にイランが保有する弾道ミサイルの脅威を認識し、イランもイラン核合意を意識し、ミサイル射程をイスラエルには届くが欧州には届かないとの射程に収める配慮を続けているのです。

 アメリカの東欧配備ミサイル防衛システムはイランを想定する以上、それ程多数の弾道ミサイルが飛来する事は考慮しておらず、ロシア軍が多数の弾道ミサイルにより攻撃を行った場合、飽和状態となる事は必至です。しかしミサイル防衛には全ての面で日本が経験したように多額の費用を要します、NATO防衛費増額、それでも負担は大きいといえましょう。

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【京都発幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-岐阜,飛実団岐阜基地近くの喫茶店モーニングにホットサンド

2022-06-16 06:46:44 | グルメ
■鞍馬さんの総監部グルメ日誌
 おはようございますという朝ですのでモーニングの話題、しかもモーニングといいますか凄い喫茶店モーニング文化の中心と云う岐阜の話題です。

 榛名さんの総監部グルメ日誌、いや本日は鞍馬さんの総監部グルメ日誌というところなのですが、当たり前なのですけれども護衛艦や戦闘機を撮影するというのは、待ち時間が凄い事になります、ここを如何に活用し愉しむか文章を書くか、これが肝要なのですよね。

 鞍馬さんの総監部グルメ日誌、さて今回の舞台は岐阜、総監部といいますと最寄は京都の舞鶴基地なのですが、司令部ならば飛行開発実験団司令部がありまして、第二補給処という自衛隊では重要な施設もあります、そしてF-2やF-15,少し前までF-4が頭上を飛ぶ。

 岐阜基地の岐阜県はもう一つ、喫茶店モーニング文化というものがありまして、京都や大阪のモーニングといいますと朝食セットを意味しますが、岐阜では午前中、コーヒーを注文しますと軽食が標準装備、お値段はコーヒー一杯分ですが、店により軽食が凄くなる。

 スナフキン、岐阜基地撮影で有名な空の公園各務原の目の前を県道17号線が走りますが、木曽川街道の交差点で曲がり300m、岐阜基地の境界線からは200mほどの立地にある、木の調度品がウッドライフ的な雰囲気でして、隣に神社の鳥居があり見つけやすい一角に。

 ホットサンド、ここスナフキンのモーニングはサンドウィッチがついてきますが、これ一つ一つ丁寧に注文を受けて手作りまして、ホットサンドにも焼き上げてもらえる、ホットサンドか普通のサンドウィッチかは注文の際に聞かれるのですが、焼くと香ばしさが凄い。

 飛行開発実験団は、飛ばない時間帯には兎に角飛びませんし、緊急発進もありません、すると、ここの午前中のモーニングでホットサンドというのは、おおハムとトマトが良く合うなあ、と一つ一つを口に運びつつ読書や執筆なんていう時間の活用が捗るのですよね。

 スナフキン、モーニングも美味しいのですがCOVID-19のコロナの時代、お店は一定以上満員に近づくと貸切の看板を出して三密を抑制してくれる、そして爆音聞こえる頃合いに店を出ればタッチ&ゴーの戦闘機が丁度良く撮影でき、戦闘機好きにお勧めの喫茶店です。

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【京都幕間旅情】大徳寺,大燈国師から一休宗純へ-二十四塔頭准塔頭五十九宇広がりと応仁の乱後に寺院の変容

2022-06-15 20:22:46 | 写真
■一休さんこと一休宗純
 大徳寺の広い山内は迷う事は無いのですが季節の情感を感じるべく散策しますのは歴史に触れるようで趣き深い。

 大徳寺、北大路通とともに京都の北辺に鎮座します寺院は、大燈国師を開山としまして正中2年に開かれました、西暦でいいますと1325年のことです。龍寶山の山号を持ちます寺院は、臨済宗寺院ですが塔頭寺院が山内にも20を超える寺院が並ぶ街のような風情が。

 大燈国師宗峰妙超による開山、では大徳寺の創建はどのような時代だったのでしょうか。寺院創建、仏教伝来は七世紀ごろとなっていましたが、日本国内には数多神社が並びます通り、様々な信仰が定着していまして、全ての街や村落に寺院が在った訳ではありません。

 最澄も延暦寺開山の前には諸国を行脚した事は良く知られていますが、宗峰妙超も諸国行脚、禅宗僧侶は旅する僧侶で、説法を旅先に行う事から袈裟とともに旅装のような出で立ちで絵画に記されています、その旅は説法の旅であると共に寺の未だない村落を巡った。

 中世の日本は人口が急激に増加した、この背景には稲作、灌漑や溜池農法定着前には広大な平野部は単に湿地帯で絶え間ない洪水に開発どころではなく、田圃は山麓の湧水沿いにかぎられました、これが農法開発で耕作適地が一挙に増え、人口も、そして村落も増える。

 禅宗僧侶、鎌倉時代に入り大陸からは云った禅宗僧侶は天台宗のような元々の国家宗教でも、真言宗のような権力により育てられた宗派でもなかった新興でしたが、わが街わが村にも寺院をと考える、未だ寺のない地域に布教を行い布教の情熱により寺を得てゆきます。

 塔頭が並ぶ大徳寺は、ここから一歩進みまして全国の有力者に布教を行い、わが街に寺院を、という先に、京都の大寺院、その僧侶と知己を得る事で領域内に寺院を持つだけではなく日本の中心、京都に自らの庵室を開きたい、こうした野望というか自尊心に応えた。

 京都五山に列せられない林下の寺院という独自の道を歩みまして、江戸時代には二十四塔頭准塔頭五十九宇という規模となりまして、末寺は25ヶ国280余寺にも広がる規模を有していました、明治維新後の廃仏毀釈により劇的に小さくなるも主な塔頭寺院は以下の通り。

 加賀前田家の菩提寺芳春院、三好長慶の菩提聚光院、豊臣秀吉が織田信長菩提として建立の総見院、古田織部や石田三成の菩提という三玄院、畠山義総が建立の興臨院、大友宗麟が建立という瑞峯院、畠山義元と大内義興と大友義親が創建の龍源院、とつづきまして。

 織田信長が父織田信秀の菩提としての黄梅院、足利義満の弟足利満詮が細君菩提として造営した養徳院、肥後細川氏の菩提寺である高桐院、黒田長政が黒田如水菩提に造営の龍光院、豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を祈り造営の大光院、今残る塔頭でもこういう。

 応仁の乱では、こうした寺院の性格上完膚なきまで焼失しまして、一休宗純が堺の豪商尾和宗臨の支援により復興を実現させるまでは厳しい時代であったといいますが、ここから塔頭を一から再建したという歴史もまた、大徳寺の歴史なのですよね。寺は此処で一新へ。

 一休宗純の復興は文明6年こと西暦1474年に後土御門天皇の勅命を受け大徳寺住持に任じられたという、正式なものですが、一休宗純はここで大名頼りの大徳寺というものを町衆の寺院へ一転させまして、この施策が豪商はじめ町衆の広い支持を集める事となりました。

 大徳寺が開かれた寺院と感じますのは一休さんの変革故と云うところでして、撮影禁止の塔頭がおおいと感じるのは大燈国師宗峰妙超の大名寺院という成立ち故という、まあいわば二面性の寺院、そんな成立ちの歴史故なのかもしれない、散策の最中にふと思いました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】大徳寺,初夏の澄んだ青空と共に巡る臨済宗大徳寺派大本山寺院と世界観光客の歩み音を感じる

2022-06-15 20:00:47 | 写真
■初夏の北大路を巡る
 北大路通りを散策していますとこの大寺院が船岡山の上り下りとともに印象的でして山内は木々の木陰が涼しく初夏には嬉しい。

 大徳寺、京都市北区紫野大徳寺町に鎮座しています臨済宗大徳寺派の大本山寺院です。ここは塔頭寺院が20以上と、妙心寺のような一つの街といえる広がりを見せていまして、とにもかくにもこの周りの散策というのは気分が落ち着く、何よりも人が少ないですから。

 金毛閣という山門はかの千利休と豊臣秀吉の諍いで日本史に残りましたが、寺院は正和4年こと西暦1315年に宗峰妙超の手により開山となりまして、しかし一休さんこと一休宗純の寺院と云う事もありまして、散策はここを多くの歴史が歩いた、と考えると新鮮です。

 六月十日から外国人観光客の日本訪問が再開するという報道がありまして、さらば静寂よキミはいいやつだった、とオーバーツーリズムといいますか、身動きできない観光過多の京都を思い出しつつ、まあ観光業で成り立つほかない経済に転換したのだし、と嘆息です。

 外国人観光客受け入れ、観光業に就業しましたり宿泊業を営む友人知人の苦節苦労と、自衛隊行事などでお世話になったお宿などが幾つかコロナ禍に廃業してしまいましたことに心痛めた事も多いものですから、まあ賑やかならば悪い事ではないのだ、と納得しつつも。

 ビザ取得の関係から、外国人観光客の日本到着は六月十日から受け入れられるとは言っても実際に日本に到着するのは一か月後になる、こう聞きまして、いや一か月後になりますと、祇園祭の山鉾巡行がどうだろう、という時節なのかと、慌てさせるなよ、とおもった。

 団体旅行に限られる、外国人観光客は添乗員付きツアーに限定されるので個人旅行客の受け入れはもう少し先になるといいまして、添乗員付きツアーでは巨大な観光バス駐車場のある金閣寺や清水寺に集まるくらい、ここ大徳寺には観光バスは停められるけれど、と。

 添乗員付きツアーでは、観光業でも受け入れられるホテルなど宿泊施設は限られますし、なにより自由自在に散策できるのが、大陸の方などは中国共産党の監視の無い自由な時間を過ごせるのですから意味があるのでして、ツアー限定というのはどうかなあ、と思う。

 二万人の枠内で。現在外国人の日本入国は一日二万人に限定され、ビジネスや修学などに限定して受け入れているのですが、この枠内に観光客を含めるということですので、人数としては、ちょっと期待できない水準ではないのか、というなにか溜息が聞こえる規模で。

 中国からの観光客は出国不能、考えてみればこの大徳寺の禅宗なんかは大陸の最新の仏教と云う事で鎌倉時代に日本に入ってきました仏教なのですが、要するに日本の中国共産党と戦後日本とは特に1990年代以降関係は緊張が孕むのですが、文化の交流は盛んでした。

 COVID-19感染対策、日本は感染対策が比較的緩いものの感染を抑えられた事で世界を驚かせていましたが、しかし中国でのオミクロン株の感染拡大、これで中国では神経質になっていまして、日本はもとより世界中への団体旅行ツアーの出国を禁じている現状がある。

 ゼロコロナ政策がありますので、日本に観光客を招くというものも中々出来ないといいますか、期待できないという。すると、欧州や北米からの観光客は円安で高級宿泊施設も値ごろ感があるでしょうから若干は期待できるのかもしれませんが、経済を支える程か、と。

 大徳寺は一カ所だけ休憩施設がありまして、そのほかは座ってゆったり思想に耽るには拝観料が必要です、もう少し長椅子や縁台があればなあ、と思いつつ、さて外国人観光客で観光過多に思いやられるのはもう直ぐなのか先の話なのか、そんな事も考えたりしました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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C-2輸送機ウクライナ難民人道支援物資輸送概況とウクライナが世界へ切実に呼びかける火砲1000門緊急供与

2022-06-15 07:01:26 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 東部セベロドネツクではロシア軍砲兵偏重編成が威力を発揮しており今も昔も火力なのかと実感させられるところですが。

 ウクライナ難民人道支援物資輸送を完了した航空自衛隊C-2輸送機が14日、美保基地へ帰国しました。これは8日にUNCHR国連難民高等弁務官事務所の要請を受けての人道支援として、アラブ首長国連邦のドバイからルーマニアのブカレストへ人道支援物資を輸送し、任務完了後に帰国したもので、C-2輸送機の航続距離の長さと手頃な輸送力が活躍している。

 しかし、ウクライナでは人道支援物資もさることながら、軍事物資、具体的には火砲と戦闘車両の不足が深刻化しており、ゼレンスキー大統領は各国へ支援の加速を要請しています。特に東部のセベロドネツクでは、ロシア軍のBTG大隊戦術群の編成特色、歩兵2個中隊を支援する3個砲兵中隊という砲兵偏重編成が、ウクライナ軍を火力で圧倒しています。

 ウクライナのポドリャク大統領顧問は各国へ、155mm榴弾砲1000門、多連装ロケットシステム300門、主力戦車500両、装甲車両2000両、無人航空機1000機、これだけの装備が必要であると呼びかけました。多連装ロケットシステムは自衛隊が装備するMLRSのような高性能の物ではなく、75式自走ロケット砲や68式自走ロケット砲程度を示すもよう。

 ウクライナのレズニコフ国防相も、不足しているのは火力であると率直にウクライナ軍の苦戦を認めています。こうした要請はウクライナの制服組トップザルジニー最高司令官がアメリカのミリー統合参謀会議議長との10日における電話会談においても要請されており、東部戦線ではロシア軍砲兵火力が十倍に達し、ウクライナ軍が圧倒されている状況がある。

 155mm榴弾砲1000門、多連装ロケットシステム300門、主力戦車500両、装甲車両2000両、無人航空機1000機、この規模は陸上自衛隊が一個丸々といえるほどの装備であり、特にNATO加盟国は冷戦後、砲兵火力を大幅に削減した為、現役砲迫火力として榴弾砲を100門以上維持している国はアメリカやトルコなど僅かで、支援に限界があるのかもしれない。

 152mmではなく155mm、特筆すべきはポドリャク大統領顧問は公式にウクライナ軍砲兵規格である旧ソ連規格152mmではなくNATO標準で自衛隊と同じ155mm砲を要請している点で、これはNATOに加盟した旧ワルシャワ条約機構加盟国の旧ソ連製装備はいよいよ枯渇し始めており、率直に数を揃えられる装備品を要請しているのだといえるでしょう。

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