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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

あした、自分の道を歩む!(ゆるしと受容をのんびり考える 5/10)

2010-12-04 | 第四章「愛とゆるし」
 都会では、監視カメラがいたる所にあるが、エスカレータも多い。乗れば、楽に上がれたり、長い道を楽に移動できる。エスカレータの上で、さらに歩いたりもできるが、何もしなくても時間がくれば移動が完了する。

 人生もエスカレータがいたる所にあるようだ。人生の転機はエスカレータの乗り換えみたいなものかもしれない。進学、就職、・・・。

 私も、沢山のエスカレータを乗りついだが、ある日、自分の道を歩もうと思った。人生の半ばを過ぎてからであったが、「自分は自分」を文字通り実践し始めたかった。何かこころに疼きのようなものがあり、どうしてもそうしたかった。しかし、今となってみれば、いつの間にか、また別のエスカレーターに乗っていたように感じる部分もある。

 これは、人間のこころの仕組みで防衛機制が働いているためだ、自分の道を直登することは、如何に人間にとって難しいかということだとも思う。ソフトランディングで長続きをするためには、必要悪なのかもしれない。

 さて、自分の道とは何だろうか。自分が自分を築き上げて立派になる道なのだろうか?どうも違うように思う。例えば、聖パウロはダマスコで眼からうろこで回心したが、それからの人生は立派さを求めての道では決してない。

 でも、自分のこころの奥で感じた道を歩むのは気持ちの良いものだ。

 心理学的に考えると、カール・ロジャースのパーソナリティ理論の第10の命題を思い出す。
 「いろいろの経験に結びつけられている諸価値や、自己構造(the self structure)の一部である諸価値は、ある場合には有機体によって直接的に経験される諸価値であり、ある場合には他人から投射され(introject)もしくは受けつがれるが、しかし、あたかも直接的に経験されたかのように歪められたかたちで知覚されるものである。」(岩崎学術出版 伊藤 博編訳 パースナリティ理論より)

 人が作った道を歪んで歩むより、やはり、自分の道は気持ちがよい(大変ではあるが)。今日は、自分は今、エスカレータに乗っているか、それはどんなものか? のんびり考えてみたい。

 ゆるしと受容をのんびり考える 5/10

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