昨晩も、乞田川の桜並木周辺に立ち寄ったが、橋の上をちょうどモノレールが走ってきて、何かとても幻想的であった。
さて、物語は幼いころ、絵本を夢中になって読んだりして親しんでから、今に至るまで自分の心の安定にとっては、とても大事だとあらためて感じている。自分の過去は一見にがにがしく、とるにたらないものと思っていた時期もあったが、生育史の物語を思索するうちに、貴重な財産に変わっていった。蜻蛉日記も道綱母の下巻などは、なかなか味があり、何かギリシャ神話のような昇華された軽やかさが感じられる。
さらに、人生計画も、宮沢賢治の銀河鉄道の夜ではないが、死後の世界の物語を思索することで、随分違ったものになるように感じる。
日本神話のイザナミ、イザナギの黄泉の国の物語も、壬申の乱の大混乱の後に大切にまとめられるのも、大きな意味があったのではないかと思っている。
死後の世界については、古今東西の哲学者や宗教家が様々に思索している。残念ながら、死後の世界は死者に聴くわけにもいかないので、どんな物語が(科学的物語、唯物論的物語も含む)正しいかどうかは不明だ。世界的に定評のある哲学や宗教、きちっとした比較宗教学の本も死後の世界を考える上ではとても役にたつだろう。かつて、自分流に解釈しようとした時期があったが、それよりは定評ある哲学や宗教のほうが信じるに足りると思う。そして、その物語は、暗いものから明るいものまで、本当に多種多様だ。それを選択するのは各自にまかされているが、私のそれは極めて明るい。
そして、これから行く世界が観えてくると(信じることでもある)、今の物語が何か変わってくる(視点がかわるからか)。さらに、何があっても揺らがないようになる気がする。
私も、先日3月31日に人世計画を立てたが、それから2-3日で一部見直すべき変化があった。大きな物語は変わらないものの、この一年のミクロ的な活動には随分影響があるようだ。ただ、大きな物語が決まっていれば、動揺は少ない。
時間と空間の旅⑥ 10/10