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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心の流れをイキイキさせる!(その2)(心の健康度 ② 5/10)

2014-04-27 | 第三章「無意識の世界」

 野生の感情・・・人間の原初感情は、「好きか嫌いか」と「怖いか怖くないか」だという。そして、この二種類の感情は、すべての感情に含まれているとも言われる。この知識はとても私にとって役に立つ。写真は先日の御岳渓谷であるが、春の枯れすすきは何とも不思議な感じがしたのだ。写真の中には、先の二種類の感情で評価すると、部分Aは好きで怖い、Bは嫌いで怖くない、Cは好きで怖くないなど、いろいろあることも判る。このことを応用して、例えば美術館で他人の評価は全く無視して、自分の好きか嫌いかで作品を評価してみると、美術館鑑賞がますます楽しくなったりする。これは、一つの感受性訓練で、それにより心の流れをイキイキとさせる力を頂くようだ。

 さて、人は意外に本当は好きなのに嫌いと思っていたり、嫌いなのに好きと思っていたりすることがあるようだ。社会的な立場とか、人は感情に流されて生きることができないことも多いので止むを得ないかもしれないが、心理学的にはちょっと問題なようだ。

 もちろん、ネガティブな感情を感じたとしても防衛機制をとおしてバランスをとったり、その感情の意義(ポジティブな意味)を考えることは意味がある。その、あたりの訓練ができてくると、心の流れはより健全になり、様々な発見をともなった豊かなものになるのだろう。

 それから、自他肯定的なスタンスを保つ思想は様々な感情を受け入れる力をくれるようだ。心の流れを健全に保つうえで大切だと思う。この哲学的な部分は人により違うかもしれないが、私はU先生から教えていただいた、J・ドージャの「神のめぐみとは」(カトリック全書23)の思想に惚れている。自分を含む人間に意識するかしないかを別にして魂とよぶような霊的なものがあり、それが愛そのものかもしれないという思想だ。

 今ここでの自分が抱くAさんへの感情が、嫌いであり、怖いであり、Aさんも同じように感じていたとしても、私とAさんの間には愛そのものが相互に存在し引き合っているというイメージだ。これは、西欧ではポピュラーな人権思想の基盤ではないかと思う。そして、敗戦国日本の現憲法のなかにも脈々といきているようにも思う。

 特に人と会うことを職業としている人は、立場上嫌いな人に奉仕しなければならないことがある。この場合は、感情は何もモチベートすることはないが、愛の思想は充分モチベートしてくれる。

 私がカトリックの信仰を得たのは、J・ドージャの本ではなく、このどうしようもない自分が、不思議にも無償の愛につつまれていることを実感した瞬間があったからだ。これは、先の魂論を別の視点から応援してくれるようだ。

心の健康度 ② 5/10

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