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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分の抑圧の生育史を明るくする!(時間と空間の旅 ⑦ 4/10)

2014-04-06 | 第三章「無意識の世界」

 自分の生育史が実に素晴らしかったという人に会ったことはない。何か鬱屈としたものをどこか持っているのが普通のようだ。私も、客観的に考えると幸せな幼年時代を送り、成人し今となっているのだが、主観的には、結構引っかかることも多い。現実に、こころの健康で問題になりがちな、逃避、抑圧、感情転移を起すような、嫌な出来事もいくつかあるようだ。

 そして、普通はそんな過去の傷に触れるようなことはしない。幸か不幸か(私の場合は幸せだが)、私は臨床心理学、「生き甲斐の心理学」に出会い、さらに、それを教育普及しようという大それた夢を持っているため、自分の生育史を真面目に思索し続けてきた。そして、いつの間にか自分の生育史が、随分明るく解釈できるようになり、さらに感謝の気持ちが湧き起こるようになってきた。

 さて、今日は、その鬱屈とした過去の解釈について触れてみたい。抑圧(非難、嘲笑等を恐れて意識、無意識に、何かの感情、自己主張を我慢すること)の原形(幼いころの代表的な体験)を考えてみた。

 私の、幼いころはサザエさんの家に似て、同居ではなかったが、母方の祖父母の家がすぐ隣にあって、祖父母、親戚(しょっちゅう祖父母の家に来る、伯母さんの印象も強い)、父母が入り混じる中で育った。現在の核家族時代とは今になって考えれば随分違う。そして、私の家が祖父母の家と庭を挟んで離れていて、母が私を寝かしつけ、祖父母の家に行っていたりすることも多かったようだ。そこで楽しく親戚同士の会話が弾むが、置き去りにされた私は寂しい想いをする。眼が覚めて誰もいず、さみしい想いで泣いたりする。

 そんなこともあり、何か祖母や伯母に対するネガティブなイメージ(自分の母を独占できない)を育まれたようで、小学校低学年くらいまで、辛くあたったりしたことを思い出す。

 そんな嫌悪感や、それに対しての自己嫌悪。そんな感情がどうも私の抑圧の原形のようである。その外にも、友達の交通事故死の傷もあるが。

 普通なら、生育史で嫌悪感を感じることで終わりだが、より客観視することで、頭の中の幼いころの解釈を大人の解釈に切り替えることで、生育史が明るくなっていく。さらに、当時の時代を、母や親戚に訊いて見たり、時代背景を研究しているうちに、祖父母、親戚、父母をより俯瞰でき、さらに明るい生育史になっていく。

 戦後という時代。父が満員列車で機銃掃射を受けた話、東京大空襲で母が三鷹から都心の家に歩いて帰った話、闇市を嫌って栄養失調になった祖父や、お嬢様だった祖母の焼け跡での苦労、戦後どさくさの時代の伯母さんの苦労などが何となく浮かんでくるように。泣きおだだをこねて困らした周りの大人たちの背景を知ることで、他者への嫌悪や自己嫌悪は消えて行くようだ。

 そして、自分の生育史がだんだん明るくなっていくことで、今が明るくなっていくようだ。

時間と空間の旅 ⑦ 4/10

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