琵琶湖の唐崎神社の縁?で興味をもってしまった、1000年前のトップレディーで誉れ高き美女、道綱母。その道綱母が書いた蜻蛉日記を読み、さらに瀬戸内寂聴さんの「わたしの蜻蛉日記」を読んでいると、道綱母の異常なまでの孤独感や夫への要求、嫉妬に考えこんでしまう。
下巻は夫、兼家と道綱母の関係は何か一皮むけたように昇華され、神話のような素敵な話になっていたりするが、上巻や中巻などを読んでいると、道綱母の夫に対する対応や異常なまでの嫉妬(当時は一夫多妻)に驚く。兼家は、それほど悪人か?と思うのは私だけでなく、様々な人が分析をしているが、どうも理想が異常に高いらしいのだ。それは、無意識に道綱母の実父、倫寧(ともやす)を思い出してるのではあるまいか(つまり防衛機制の置き換え)。
暗い感情は理想と現実のギャップということは、生き甲斐の心理学で学ぶが、これはとても大切な智恵である。自分のことを考えても、青年時代は理想が異常に高い時期もあり、そのぶん異常な憤懣と抑圧があったように思う。
さて、私の祖先も、当然ながら道綱母と同じ時代にもいたはずである。そして、その祖先が道綱母を良く知っていて、どうしたら良いかと相談をもちかけられたらと妄想したり。
祖先は、どう接したろうか?他人がうらやむほどのトップレディでありながら、何故そこまで理想が高いのか・・・しかも、兼家さんは当初、誠意を尽くし妻を愛しているようだったのに・・・その愛に気付いていなかったのだろうか?ボタンの掛け違いはどこから始まったか。
恐らく、道綱母は理想が異常に高すぎるために、自分が愛されているのに気付かなかっただけなのだろう。
もし、私の祖先が「生き甲斐の心理学」の知識を持っていたなら、おそらく、道綱母の理想を下げたくなる。道綱母は美人で才たけてはいるものの、愚かなこともする(日記を読み進むうちに判るが)。人間らしく身の丈に応じた自然な理想を持てば、苦悩も解消していくのでは・・・
時間と空間の旅 ⑦ 3/10