現世人類、ホモ・サピエンス・サピエンスが分化してきたのは20万年くらい前といわれている。そして、アフリカに10万年以上とどまり、5-6万年前に世界に散らばり、日本に到着したのが4万年前くらいといわれている。そんな拡散の歴史もあるが、7万年くらいまえの衣服の着用について今日は妄想している。
現世人類が衣服を着用する時期が明確になってきたのは、実はシラミの遺伝子の研究からだ。人につくヒトシラミは二種類あるという、アタマジラミとコロモジラミである。そして、DNAの解析からコロモジラミがアタマジラミから分化したのが約7万年前ということが判り、それは、衣服を着用した時期に重なるのではという推論なのだ。考えてみれば地球の生命40億年の歴史の中ではごく最近である。
なぜ、祖先は衣服の着用を始めたのだろうか?恐らく気候の変動の中で生き残るためという要素、ヴェルヌ氷期との関係もあるのだろう。ただ、動物園に行ってみて気づくのだが、同じような気候変動の中、人間以外の動物は衣服を着用するようなことはなかった。人間は何故衣服を着用したのだろう?
さて、防衛機制の抑圧や抑制をずっと考えているが、特にこの2日は、どちらかというとネガティブな要素を思索してきた。しかし、人が平和に暮らす上では、防衛機制の抑圧・抑制も、大事な面をたくさん担っているのだと思う。例えば性の問題である。平安時代のトップ・レディの道綱母の蜻蛉日記を読んだり、最近は鎌倉時代の御深草院二条の「とわずがたり」を読んでいるが、本音と建て前の使い分けなど抑圧・抑制がマイナス面でも働いているものの、プラスの面でも働いていることも判る。社会性は、抑圧・抑制と実に関係が深く、それゆえ平和に暮らすこともできるのだろう。
性の問題は、キリスト教聖書の雅歌を読んだりして思索すると、人間の本来持つ性の性質についても理解が深まってくる。当然ながらキリスト教は性を否定していない。仏教でも理趣経があると聴いているが、人間のもつ性をどう肯定的に位置づけるかは宗教や哲学上大事なことで、誰も真面目に勉強する必要があると思う。
湧き起こる感情の原因を、生き甲斐の心理学では3つに分けて思索することを学ぶ。身体が原因としての感情、心(生育史)が原因としての感情、魂(宗教的領域)が原因としての感情。そのいずれでも、自由な意志力を本来もつ人間の対応方法は、まずは、湧き起こる感情を一次情報として倫理道徳は別にして把握する。その後に、状況に応じて防衛機制(抑圧、抑制も含めた)をうまく使って対応するというのが正解なのだろう。性の問題でも同じである。
なお、生き甲斐の心理学では、魂を愛そのもので、死んで身体から離脱する生命体と位置付けている。自分を含め、人間の尊厳の理由が魂にあるのだということを身近に感じることは大事だと思う。
人が衣服を着始めたとき、私たちの祖先たちは、難しい自由意志と防衛機制の使い方に挑戦をはじめたのではないだろうか?
時間と空間の旅 ⑦ 6/10