同じ日本人とはいえ、生育史の影響はものすごいと思う。深層心理学では、自分以外の他人は驚きの対象と言われているが、生き甲斐の心理学を学んでいくとますます、そうだなと思うようになる。
昔。昭和30年台くらいのころは、私の住んでいた町は~らしい人で溢れていたようだ。学者らしい人。畳屋さんらしい人。家庭の主婦らしい人。八百屋さんらしい人。一流会社のサラリーマンらしい人。私の祖父は、社会的地位は高かったがとても庶民的であった。そんなこともあり、様々な人が祖父の家を訪れ、私も隣で遊びながら、それとなく会話を聴いてしまうのだが、今思い出すと何か不思議であった。
大学の先生が来たと思うと、町会のオジサンがきたり、時には、酒屋さんの御爺さんと一杯飲みながら談話をしたりする。
本当に様々な人と会話を楽しんでいたようだ。何で、様々な人と会話を楽しめるのか、幼いながら不思議に感じていた。
これは、祖父の話であるが、世の中には、ちょっと会って、一言二言話す中で、不思議に心を開ける人がいるものである。近所のH医師は、今風に言うとホームドクターであったが、近所のY医師のように気さくな感じでは無く寡黙であったが、何故かお会いすると心が開け、子供なりに信頼したものだ。
生き甲斐の心理学では、こうした様々な心を開く現象についての理論を教えてくれる。特にカール・ロジャースの心理療法の必要にして充分な6つの条件とか、最近は良く耳にする傾聴のための傾聴訓練表などである。これらの理論は祖父やH医師のような他者との関係で、力を発揮するのが主であるが、もう一つ隠れた部分がある。それは、自問自答として自分で自分のこころを開くことだ。自分で自分のこころを開く?ちょっと不思議な感じであるが、これが実に大事で、他者の心を開くにも自分の心が開けないと難しいというポイントもある。
自分に対する自分は、時に倫理道徳・社会的規範の代弁者のようになり、自分を厳しく裁いたり、叱咤激励をする。しかし、そうではなく、優しい祖父・H医師・・・かのように、理屈はさておいて、自分の湧きだす様々な想いや感情を優しくまずは受け容れてくれる自分も、実は必要なのだ。そして、自分の心が開かれれば、何か心が自由になり、自分自身を俯瞰できるようになり、活路が開かれたりする。
この心を開くポイントは、心の健康度にも関係が深い。
心の健康度 ① 6/10