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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

信じて観えるもの、観えなくなるもの・・・(心の健康度 ① 10/10)

2014-04-22 | 第三章「無意識の世界」

 先日、久しぶりに「パラダイムの魔力」(ジョエル・バーカー著 仁平和夫訳 内田和成序文)という経営書を手にして読んだ。ちょうど20年前くらいは、某社でマーケティングの仕事をしていて、よくこの類の本を読んでいた。

 しかし、「生き甲斐の心理学」を10年以上学び続けている現在、それを読むと、まるでアイデンティティの心理学教科書のような印象なのだ。

 アイデンティティというと、何か信条とか所属するコミュニティとか、日常生活とちょっと距離を置くもののように感じる方も多いと思うが(私もそうであった)、実に身近で影響があるものなのだ。時々勉強会で窓から観える鉄塔について参加者に意見をもとめると、様々な反応がある。肯定的なもの、否定的なもの実に様々だ。人の多様性というかアイデンティティ、個性の美について考えさせられてしまう。

 人は生きる上で何かを信じているようだ(ほんのちょっとしたことを含めて)。そして、それ故に観えるもの、観えなくなるものがでてくる。そのあたりのことを学術的に記述したのが、カール・ロジャースのパースナリティ理論の11だと思う。ちょっと難しいが引用してみる。

 11:いろいろの経験が個人の生活において生起すると、それらの経験は、(a)なんらかの自己との関係への象徴され、知覚され、体制化されるか、(b)自己との構造との関係が全然知覚されないので無視されるか、(c)その経験が自己の構造と矛盾するので、象徴化を拒否されるか、もしくは、歪曲された象徴化を与えられるか、のいずれかである。

 宗教を信じて観える世界は、このブログでも述べたが、瀬戸内海の命がけの航行のすえに、大坂本願寺に辿りつき涙を流さんばかりの安芸門徒に対し、村上水軍の娘、景はクールに見つめる。そんな違いがあったりする。誰でも様々な組織に所属することが多いが、いつの間にか染まってしまい、観える世界や観えなくものが出てくる。

 福島の原発問題でもそうだ、事故直後にまともなロボットが一台も稼動していない映像に驚愕したが、集団的に何かを信じたために大切なことが観えなくなっていたとしか考えられない。

 さて、皇居の周りを歩けば、たくさんの人が優雅にジョギングをしているのに気付く。高額の人間ドックの話もよく話題になる。身体の健康に膨大な時間とお金が投資されているようだ。しかし、あれだけ問題になっている心の健康に対し、どんな予防医学が導入されているのだろうか?「生き甲斐の心理学」はまさに予防医学的な面を持っているが、それを真面目に学ぶ方は実に限られている。どちらかというと予防ではなく後工程のケアに想いを馳せている人が多い。明らかに、多くの人は何かが観えなくなっているとしか考えられない・・・

 さて、こうしたアイデンティティによる心のフィルターで、大事なことが見過ごされたりする悲劇が起こる。

 自分の中に「はだかの王様」をはだかだと告げる少年のようなこころの柔軟さを持ちたい。それは、五感や感情を大切にした訓練なのだろう。

心の健康度 ① 10/10

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