イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ある自己イメージの危険性!

2007-07-15 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

小学校4年のころであろうか、身の回りの整理整頓などが下手だった私が、几帳面な父とよく比較されてか、突然人が変わったように几帳面になったことがあった。

翌日の教科書や文具をランドセルにセットする。布団を敷きしわひとつないようにシーツを着ける。さらに、翌日着る服などをたたんで枕元に置く。それもきちっと置く位置も決めて。

こうした、いい子志向の行動は度が過ぎたのか、さすがに父も吃驚して心配していたようである。

しかし、もともとルーズな本質を持っている私であるので、しばらくすると化けの皮がはがれてきたものだ。

しかし、父の真似をして心を安定化するには、父=几帳面=理工系=仕事もバリバリ=立派な大人・・・の無意識の公式は重要であり、この自分であみ出した「しわのないシーツ」の記憶・原型は、人生でいろいろ困難にぶつかると切り札のように現れた。

大人になり、バリバリ仕事を進める上では、こうしたちょっと歪んだ自己イメージは殆ど問題にならない。しかし、大きな困難にぶつかったりすると、自己肯定・他者肯定ではなく、自己否定や他社否定の傾向に陥りやすいく、心の健全性は損なわれる。

自分は 几帳面である(几帳面でなければならない)といった間違った自己イメージを捨て。自分は時に几帳面になれるが、地は結構ずぼらなところがある。と修正したほうが良い。

こんなことを考えているときは、だいたい机の上が散らかり、家族から白い目で見られるときであるが・・

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1970年代の無意識!

2007-07-14 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

昨日のブログは「ベットの男」に関するもので、その題名はふと浮かんだもので、自分ながら後で見ると不思議な題名であった。

昨日は夕方、仕事を終えて横浜の山手教会にお通やの式に参列するために行った。初めて行った教会であったが、1970年代に大学の先輩が人に会うために付き合わされ、周辺の女子大の文化祭に行ったことがあったのを記憶していた。

その時も結構きつい坂を登り、女子大の文化祭を見学した。その中で当時ブームであった、「赤頭巾ちゃん気おつけて」の作者庄司薫氏と米国の「ライ麦畑のつかまえて」で有名なサリンジャーとの比較に関する模造紙発表を思い出した。

 そんなことを考えていると。山手教会に行くこと。「赤頭巾ちゃん気おつけて」が無意識化で結び付けられて、昨日のブログタイトルになったようにも思えた。

そういえば、最近比較宗教学の本を読みながら、比較表を眺めていたこともあった!

長々と個人的なお話を述べて恐縮であったが、無意識の世界の不思議な働きを垣間見たように思った。

 教会で悲しみの感情を通り抜け、式を終えて帰宅するときに観た教会には、暖かい灯が点っていた。 私の心のどこかは1970年代を彷徨っているようであるが、当時見つけられなかった何かを確認しているようであった。

それは純粋な情熱といったものなのだろうか・・・

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ベットの男に狙われないで!

2007-07-13 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

ギリシャ神話の中に、さまざまな悪人を退治するテセウスの英雄物語がある。その中で、ベットの男という悪人が出てくる。

旅人が来ると、小さい男は大きなベットに寝かせて縛りつけ、槌でベットに合うまで叩いて引き伸ばす。大きな男は小さなベットに寝かせて、はみでた部分をのこぎりで切り取る。そんなことをする悪人である。

このベットの男は終いにはテセウスに退治されるのだが・・・・

生れ落ちて今まで、私も大きなベットに寝たり、小さなベットに寝たりした。アラスカに行った、幼いころはよく大きなベットから落ちたこともある。

そんな私であるが、ありのままの自分にふさわしい生き方。ありのままに生きることができるような生活。そういうありのままの重要性に気がついた。

引き伸ばされたり、ちょん切られたりしない、ベットの男に狙われない人生。自然体を大切にしていきたい。

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別れの痛み!

2007-07-12 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

生き甲斐の心理学を勉強して、心の流れを意識するようになった。

不健全なこころの流れは、どうして作られるのだろうかと、最近の出来事を振り返りながら考えてみた。

人の死、人との思わぬ別れ、ものを無くすこと。私の場合、こうしたことで不健全なこころの流れを形成しやすい。

こうした時の不安の原型はどのようなものだろうか?基本的に2-4歳ころの母との葛藤。分離不安につながるようだ。

乳離れの悪かったためか、母が困っていろいろ対策をしたこと。幼稚園に登園したときに、母が私を残して先に一人帰宅したこと。園庭の針葉樹を背景に、母が帰宅する姿ははっきり覚えている。

どういう思考回路か、吉原幸子氏の詩の一節「ああこんな夜立っているのね、木」を思い出したりもする。

昼寝して目が覚めたとき、母が不在で泣いたこと・・・幼いころにこうした体験をすれば、ものすごく不安だっただろうと、幼い私に同情したくなる。

こころが不安定になると、防衛機制が動き出す。感情転移、置き換えや知性化など・・・そして豊かな感情は消えし、冷徹な計算や思考への傾斜などへ・・・こころは不健全な方向に走り出す。

こんな時、「あー、さびしい!」と勇気をだして身近な人に言うと。意外な言葉かけをもらえる。そんなことで、こころは健全な方向へ向かったりする。

健全性のきっかけは、いろいろあるが、友人や同志の暖かい言葉、家族からの暖かい言葉が一番だと思う。そして、自分で一息いれる。

フォローは、自然の中で癒されたり、静かに祈ったり、美しい音楽や芸術、良い本などで真善美に触れたり・・・

こころの流れの健全化作戦。難しいけど、確実に人生を豊かにすると思う。

日暮れとも雨けむるとも白桔梗 (藤田湘子 現代俳句歳時記 角川春樹編)

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戦争を知らない!

2007-07-11 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

1951年生まれの私は戦争は知らない。父や母、おじさん、おばさんの世代は戦争当時のどん底を知っている。

父や母の年代の人とお話をしたりすると、いろいろ気がつくことがある。戦争の時の、どん底の体験と今との関わりである。

16年前に亡くなった父の思い出がある。16年前の今ごろ、父は抗がん剤投与後に一時退院をし、家族で広島の実家に帰郷した。子供と孫に囲まれて、数日瀬戸内海沿いの実家で一家団欒のときを過ごした。

既に余命数ヶ月と診断されていたが、父には告知していなかった。ただ、眼光するどい父がそのことに気がつかないはずはないと、私は内心思っていた。事実後から判ったが、父はその時既に覚悟していた。

ある日、海岸で孫たちの海水浴に付き合っていた父が、私を呼んで、一緒に近くの岬の山に登ろうと言い出した。小高い山であったが道なき道を辿り、頂上付近に到着した。そこには荒れ果てた神社があった。

戦時中、その神社は祈願に来る人たちで溢れていたそうだ。父の学生時代の友達の多くも、戦争で亡くなった。父と二人で、荒れ果てた神社で祈った。父の胸に去来した思いは何だったのだろう。

帰り道に父と見つけた、山百合。その白さを、今でもはっきりと覚えている。

私たちは、一人ひとり成長する力を内蔵していると思う。人の身体は神の神殿という言葉も真実だと思う。そして、何よりも大事なのは時に原点を見つめ、方向性を確保することだと思う。

私は戦争を知らないが、百合の白さを覚えている。

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