イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

判断力は的確なほうですか?(愛ある問いかけ ③3/10)

2014-01-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 40歳台全般に一時コンピュータゲームをしたことがあったが、その後はしていなかった。しかし、オセロゲームを昨晩はほんとに久しぶりにやってしまった。コンピュータとの対戦であったが、なかなか手ごわく、負けたりした。

 さて、ゲームの一手一手も判断であるが、気楽なゲームと違って、日々の中で、いろいろな判断をする。判断は技術・技能の延長(例えばオセロゲーム)の側面もあるが、生身の人間がするべき判断。結果責任をもった判断もある。

 昨日の、映画(永遠のゼロ)の話にも、事故で亡くなった生徒の尊厳を守ろうとする主人公の行動は、上官からの理不尽な暴力を受けることになるが、それにより何かが変わる。この判断(現実吟味力)は臨床心理学の知見からするとどうなのだろう。

 私は、学校でも職場でも、判断力(現実吟味力)に対する体系的理論(知恵はあったが)は学ばなかった。そんなものがあるとも知らなかった。しかし、「生き甲斐の心理学」(臨床心理学)を学ぶ中でいろいろ学ぶことができた。

 こころのプロセススケールの7つの指標が高ければ(例えば感情が豊かであれば健康など)、判断も適切になる。逆に、こころの健康を損なっているときの判断は危険で、時には周りに迷惑をかけることに。そういうプロセススケールの知識も大事だ。

 そして、さらに大切な知恵としては、昨日の環境との相互作用で自分が形成される問題もあるだろう。判断を責任を持って自分で行っているつもりが、防衛機制等の働きもあり、他者(組織文化も含め)の受け売りであってしまう。自分の判断が停止している状態だ。火事場で、自分の判断ではなく群衆心理で動いてしまうようなことも。

 では、判断力を変な防衛機制から守り、にぶらさないのはどうすればよいか。日本では政治家や戦国武将が茶の湯をやったり、歌をやったり、・・・そんな文化がある。のんきに・・・などと昔は思ったが、五感体感を健全にすることは実に大切だ。感性や悟性の訓練なのかもしれない。

 これは理にかなっているが、この百年で急激に進んだ臨床心理学の知恵も大事だと思う。

 「生き甲斐の心理学」は、私達庶民から、様々な立場の人まで大切だと思う。

愛ある問いかけ ③ 3/10      

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環境の激変でも健全でいる秘訣は?(愛ある問いかけ ③2/10)

2014-01-20 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨晩は久しぶりに映画館にゆき「永遠のゼロ」を観た。日曜日だったこともあるが、久しぶりに大勢の観客もいてワクワクしつつ最後まで観賞した。

 この映画を見つつ、「自分の身体、こころ、魂を大切にしていますか?」いう「生き甲斐の心理学」の自己実現の問いかけの一つについて沢山考えさせられたが、もう一つ環境の激変の中での生き甲斐の問題も深く考えさせられた。

 私自身を振り返っても、1980年後半の冷戦の終結のころから、仕事や家庭で激変する環境を人並みに味わったように思うが・・・。映画の主人公の人生も第二次世界大戦前夜から終盤の特攻作戦まで、同じ戦闘機パイロットではあるが、環境は激変したようだ。それは、私の経験では推し量ることもできない大変化だったようだ。

 環境の変化は、人を変える。ロジャースの命題9にもあるが、人は環境との相互作用で自分自身が形成されるところがあるからだ。そして、価値観や身近な行動規範も変わっていく。

 私個人の拙い経験でも、外国生活、外資系コンピュータ企業、福祉の世界、社会教育NPO、日本の組織、コミュニティでは同じことをやっても周りの評価は違うし(同じことをしてもA組織では高く評価され、B組織ではけなされる)、常識も違う。

 特に新しい環境に慣れるまでは随分辛いものだ。

 そんな中で、生き残りつつ健全な判断力を保持し自己実現をしていくためには何が大切なのだろうか?

 「生き甲斐の心理学」では、さまざまな状況に応じた知恵を提供してくれるが、この映画でも主題のようになっている、自己実現の領域は特に大切なのだと思う。

 環境の変化の中で、目先にとらわれ必死になるのはわかるが、それだけでは激変の場合、何かが足りない。

 自分を俯瞰するような、生き甲斐の心理学の自己実現の3つの問いかけが意外にも大切になり、それが生き残る知恵につながってくるようだ。

 ①何の為に生きているのか?(哲学・宗教の領域)

 ②日々の生活の生きがいは何か?(五感、体感を大切にしたり・・・)

 ③自分の身体(基礎医学の対象)、こころ(臨床心理学の対象)、魂(宗教・哲学の領域)を大切にしているか?

 「永遠のゼロ」では、①については殆ど直接的には触れていなかったが、主人公の最後まで続く統御感の基調を考えると、宗教や哲学に関しても深い思索があったのではと推察してしまう。

愛ある問いかけ ③ 2/10      

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どういう感情に一番なやまされるか?(愛ある問いかけ ③ 1/10)

2014-01-19 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日は、久しぶりに孫娘と多摩動物公園に行って楽しんだ。今回は孫娘の要望で公園の中をいろいろ巡った。虎、カンガルー、トナカイ、ゾウ、キリン、フラミンゴ、蝶、コアラは見ることができたが小動物はパス。

  

 ただ、通りがかりにフクロキツネ(多胎類)の親子、テナガザル、オオワシ、インド象(2012年に来演した二頭のインド象)も観察できてなかなか良かった。また、孫娘の感情などの成長を身近に感じ、自分の同じころを思い出したりした。

  

 さて、今日の問いかけ、「どういう感情に一番なやまされますか?」は、一昨日、昨日の続く。もう意識に昇らないような幼い頃の出来事で感じたことが、時には何かのきっかけで湧き上がり、ちょっと問題のある「くせ」を引き起こすことがあるからだ。

 そして、その感情の理解を深めると、「くせ」を脱出できることがあり、この感情を探すことはとても意味がある。その際、U先生が教えてくれたエリクソンの8つの人格形成論は貴重。

 感情の分類は、「生き甲斐の心理学」ではストレス曲線の5つ、幸福曲線の5つを大切にするが、エリクソンの理論では人の成長に応じて暗い感情は、不信感、恥辱・疑惑、罪悪感、劣等感、自己混乱感、孤立感、停滞感、絶望感が発現するとしている。そして、この感情の中に自分のなやましい感情があると、それだけで解決への一歩が。

 自分がよく悩まされる感情(くせとの関係も大きい)は、意外に自分ではわかりにくいものだが、訓練と思索をすすめていくと、あぶりだされていく。

 因みに、孫娘は2-4歳なので、恥辱・疑惑感の年代で自律性や意思力を形成する年代とも言われる。

 写真のスリランカから来たインド象は個人的に一番印象的だった。近々四ツ谷での「生き甲斐の心理学」勉強会で旧石器・縄文時代の日本のことを、少しお話しようかと考えており、東京や八王子に闊歩していたナウマンゾウと重なったのである。

 自分の家のそばを象が闊歩していたと想像するのは楽しい。大きな身体と小さい目。そして、その動きには大きな意思力が。象だけではないが、孫娘が好んだ動物は存在感があり、意思力を想起するものだ。これもエリクソンと関係があるのだろうか?

 29日の四ツ谷の勉強会、まだ1-2名余裕があるのでお時間があればご検討ください。このエリクソンのこともお話する予定です。

愛ある問いかけ ③ 1/10      

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自分の身に付いた「くせ」を哲学していますか?(愛ある問いかけ ② 10/10)

2014-01-18 | 第十章「今ここでの恩寵」

 練習して、はじめて自転車が乗れるようになる。そして、そのうちに自転車が自分の身体の一部になってくるような感覚になってくる。

 その経験は私の生育史上強烈で、ある技能が身につき、それが自分の一部になる不思議さを識ったようだ。

 「生き甲斐の心理学」で臨床心理学の知恵を学んでいくが、その中に、この不思議な現象(知覚の一部が次第に自己として分化される)を実に丁寧に思索する。

 自分のある感情・思考・行動が自己の一部となっていく(これをくせと呼んでみた)。通い慣れた帰宅途中に妄想をしているうちにハッと気がつくと自宅に戻っていたりということも。帰宅行動が「くせ」に進化したからなのだろう。何らかの感情が湧きおこり、それが変な思考と行動を招く「くせ」もある。

 古い例で恐縮だが、寺内貫太郎一家のちゃぶ台運び、水戸黄門の印籠、寅さんの夢、なども、楽しい「くせ」の一例かもしれない。

 しかし、まじめに自分の「くせ」をあれこれ考えると、人に言いたくなるような「くせ」もあるが、秘密にしたい「くせ」もある。

 ただ、「知覚の一部が次第に自己として分化される」という知恵は、単純な世の価値基準を越え、何か真実を語っているようである。

 そして、自分の気になる「くせ」を哲学してみたらどうだろうか。単純に倫理道徳的に考えるのではなく、その意味を深く哲学する。そういう「くせ」は決して自分だけでなく環境など様々な要素から生まれてくる。「くせ」がしみじみと感じだしたら充分かもしれない。しみじみは自己受容と関係があるかもしれない。

 さらに行動・思考と遡り感情を「生き甲斐の心理学」思索することで、想いもよらぬ真実を見つけることも。

 さて、昔どこかの会社で見たスローガンを思い出した。「改善を身に付いたくせにしよう」である。「くせ」には「くせ」を直す「くせ」もあったのかと驚くが、真実を見抜くことで大きく変わることもある。

 満月のお月さんのうさぎさん、昔からお餅をついていると言われるが、何故いつも、お餅をついているのだろう。直らない「くせ」は時に美しい個性となる。

愛ある問いかけ ② 10/10      

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自分の感情をコントロールできるほうですか?(愛ある問いかけ ② 9/10)

2014-01-17 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日のブログは情動の良い面を活かすことであったが、情動のマイナス面は本人にとっても不幸である。マイナスの情動によって、程度はいろいろだが自分だけでなく他人に迷惑をかけたりすることも。

 今日の問いかけは、「自分の感情をコントロールできるほうですか?」である。この問いかけは、U先生の「生き甲斐の心理学」全般の理論に関係するが、今日は防衛機制の投影や感情転移に中心に感情について考えてみた。

 感情転移は、本来向けるべきある感情を別のものに向ける心のしくみで、それにより心を安定させる働きをもつものだ。投影は自分の欠点を正視できず自分以外に責任を転嫁する心理で、これも心を安定させる良い面がある。

 よく考えていくと、これらの防衛機制は、感情(仮に感情X)の起源が本来Aであるのに、BとかCかのように何故か錯覚する問題だと思う。自分のことを反省してもBやCが何故か頭を専有しAなど想いもしないという、自分の変なありように驚いたこともある。もちろんA起源の感情がBやC起源の感情と似ていることがあるのだが。

 さて、感情の起源がわかると、対策ができることが多い。

 生き甲斐の心理学には、人は身体と心(生育史)と魂(宗教・哲学の領域)に分けて考える知恵がある。そして、これは感情の起源を探るときも応用できるのだ。

 例えば、今、私は若干イライラしているが、そのイライラは身体、心(生育史)、魂のどこから来ているかと自問自答するのである。すると、身体。何とお腹がすいている(昼食前で)ということがわかる。そして、このイライラをブログで発散せず、まずは食事を考えるべきなのだろう。誰かに八つ当たりしても実につまらない。

 こうした知恵の応用は、若い頃営業の時は、大事な商談やクレームの話は食事前を必ず外したりしたが、意外に効果があったようだ。

 ちょっと、話が飛んでしまったが、自分の感情の起源を考えることで、当然ながら自分の感情のコントロールがうまくなる。さらに、暗い感情は自分の理想と現実のギャップからくるということを知っているだけで、意外に原因を探ることもできるのだ。

 生き甲斐の心理学は、特に生育史から来る感情の理解を深めることで力を発揮するが、実に深く、学ぶことでつまらない情動に振り回されにくくなるようだ。

 さて、食事をしよう! 

愛ある問いかけ ② 9/10      

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