田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

冬の名残りを打ち消す春先の花たち

2007年04月11日 | 日記
4月11日(水)晴れ 午後 雲が多くなり 夕方 雨
朝の庭を一巡りするのが楽しい。
一日ごとに新しい花の芽が出ている。
今日は鉢植えの姫リンゴの蕾が色着きあと数日で咲くだろう。
擬宝珠のムラサキ色の面影がある蕾、東イチゲの白い花びら、タンポポは黄色く沢山の花を咲かせている。
白い水仙の列の手前にはムラサキのムスカリがベルのような花房を広げて並んでいる。
山裾にも本格的な春が来ている。
庭の前のほうには梅の樹が五分咲きで満開の次期を待っているのだ。
少し寒いと虫が飛ばないから花粉を運んでくれる気温になるまで花自らが満開になるを押さえているのだろうか??

午前中は北側の巨石積みをしてあるところの草取りを始めるとあっという間に昼飯の時間になってしまった。
石と石の間には香りのするハーブや、コマクサ、東イチゲなど山野草が植えてある。
草取りは石の間に根を張ったものが多くまた、枯葉がしっかりと奥まで詰まっていたりする。
小型の鎌でしっかりと根を張っているのを断ち切りながらの草取りは以外に時間が掛かってしまうのだ。

午後は町内のM工業のYさんが見えて、都会から田舎暮らしを希望する人はどのような考えを持って来るのか話を聞きたいと云われていたのだ。
スケジュールが合わなくやっと今日面会できたのだ。
しかし、合って話を聞いていると、ゆーゆー立科等商工会のイベントでは以前に同じ会場にいたことがあるような気がしてきた。今日の目的である「田舎暮し」とは、迎える側の田舎で暮らして来た人は、やはり先ずは“警戒心”を持っているだろうし、田舎に入るものは“懐疑的”立場であろうことは事実だ。
都会は打算的=悪、田舎は素朴=純 との短絡的な誤解から生じる住みにくさを打破しないと馴染めないかもしれない。何にしても田舎に入る者は積極的且つ果敢に参加する精神と行動力がないと田舎の文化を身につけるは難しいと思う。
また、それを拒否するようでは都会に留まり己の人生をそこで過ごせばよいと思う。

今日のM工業は東信州で街づくりを積極的に開発し販売しているようだが、実際にその作られた町に住むものが文化を作り出せるのだろうか?都会や隣の田舎から移住してきた者たちが人為的に文化を制度として作り上げることに窮屈さを感じてしまうが、これは俺の瓦解で実際その街を訪問すると新たに発生した文化が人を育てているのだろうか??

我が家のように小さな集落に縁故関係がなくて入り込むことには勇気が入るものと思う。
荒地で山だったところにも都会から移住したものが住み着き、花を咲かせ樹を繁らせる楽しみは田舎ならでは生き方だ。
コメント (1)
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