田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

タラの芽は山菜の王様 ならば 蕨生は山菜の女王様

2012年05月17日 | 日記

5月17日(木)  曇り   太陽はでない 青空もない 夜には雷と雨

夕べのこと、暗くなってから集落のIさんが「蕨生がでたから」と袋に入れた灰と一緒に持って来てくれた。彼の家は集落でも広い農地と山を持っている。また、爺様が山に詳しく春の芽吹きの頃から順にでる山菜を育てているとも聞く。いただいた蕨は早速、鍋に入れて灰をまぶした上から熱湯をかけて空気に触れないように皿を上に置いて蓋を閉めた。冷めるまでこのままで途中で絶対に開けるなと云う。

「ゼッタイに開けるな」と云うのは我が家のMの言葉だが、今朝までそのままじっと静かに置いて、朝になって冷めた水をこぼした。俺が気になっているのは、この冷めた水に蕨の色素がどの位溶け出しているか?あの深い緑が水に溶け出しては湯がきは失敗だろう。

こうして見ると見事成功、色艶も良く大成功と言える。あとは食して苦みが無いことを願う。前回は俺がストーブを掃除した後で灰が少なかったので苦い蕨となった。この時期はストーブの最終的な掃除は7月頃までしないで、灰を残しておいた方がよいようだ。

笊に上げてあるのを見ると美しい姿をしている。根元のほうから穂先まで緑のグラデーションが見事だ。しかし、これをどのようにして食するかと云うと困る。俺の印象では、このまま(たぶん)適当な長さに切り分けて、醤油か味噌玉からできた堪醤油で食することしかない。このときに鰹節かおろし生姜が添えられることもある。山菜の女王らしく、豪華絢爛な料理に登場することはないのだろうか?今日の昼飯にどのような形ででたのか余り印象的な記憶がない。

山菜を愛でるようなノンビリした時を過ごしているわけでもなく、夕べは役場から送られてきた書類を見てタマゲタ。俺の役はそんなに仕事をするような役ではないと思っていた。昨年度で5年間の時限立法が切れて終わった云われていた「農地・水保・環境全管理支払い交付金」と云うのが復活したと言う。昨年までは水のあとに環境と云うのが着いていたが、今年度からは環境が削除され、“田舎の緑の保全管理をすることにお金を支払うよ”と云うことらしい。役場に℡をすると今年度から担当になったKさん先ずは一緒に学んでいくしかないようだ。この制度、そもそも都会人が田舎の緑を愛でることに関して、「お金を払うから保全は現地人に頼むよ」と云うことだろう。しかし、俺も田舎に住んで10年、高齢化が現実となった今、さて、書類は兎も角、実際に保全作業をどのように継続させるのだろうか?

また、夕方になって歴史研究会の会長から電話、町に申請していた補助金は、保留となったと云う。何が原因で保留かは定かでないが、これで2回目の保留というか却下となる。さて?はて?何がいけないのか担当課に聞いて見るしかない。ドッヒャ~ァだ。。

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は~るか振り 胃丈夫の健啖家は実証される

2012年05月17日 | 日記

5月16日(水) やや晴れ   日中は久しぶりの暑さ  夕方には涼しくなる

玄関はバラの香で満たされている。日曜のバラが開花して香を放ちだした。このバラもMother’s day と言う分けで、沢山のバラが贈られてくることの嬉しさの反面、こんなにローズ?では大変だろうと、母親は少々気を揉むようだ。

バラの香に見送られて家を発たのは朝、40分のドライブの後到着したのは何時もの佐久病院、今日は6年振りに咽頭・食道・胃袋・十二指腸の見参会となっている。実際、自ら希望しての内視鏡検査は初めてのこと、70才を前に体内を一巡してみようということだ。

事前の注射などを施され「検査室へ行ってください」との声に、一瞬戸惑いを見せたのを察してか、看護婦さんは「ご案内しましょう」と優しく前を歩いた。訳がわからないのは、この病院特有の建て増し迷路的な構造だろう。受付窓口にカルテをだし順番を待つ。意外にもここで待っている人には病人らしい人がいない。尤も、午前中は外来で来ている人が多いので元気でないと病院通いができないのを再確認した。

検査はまな板の鯉状態で首を反らし、喉を直線的にと解りやすいアドバイスで、カメラが通過していく過程が目の前の画面に映し出される。70年間パーツ交換していない故、それなりのダメージを持っていると予想していたが完全に覆された。美しく当に肌色に相当するか?『人の身体の治癒作用と云うか、復元力の凄素晴らしさを感じ、創世期の泥から作られた神の手に思わず感謝』と云う心境。テレビの医療番組で見慣れた画面ながら、己の体内となると正座をして見入る状況だ。身繕いを整えて検査室をでると、さて、次の内科の待合室は ・ ・ ・ 一瞬、方向が判らなくなっていると思った瞬間、目の前に院内の平面図が壁に掲げられていた。

 

内科の診察は全てが順調、次は7月に「脳の写真を撮りましょう」と経過観察ゆえの過去の写真を画面に呼び出して説明をしてくれた。この6年間の変化は“どんくらい?”(Don't Cry)と、医者の前でジャダレを飛ばしてはいけない。内科のあとは眼科、ここでも今日は半年振りに「視野検査」なるものを行った。眼科の検査は、如何に自分が迷うかを検査官に露呈するようで羞恥心が甚だしい。視力では右か左か、俺的にはひらがなの「こ」に見えるが ・ ・ ・などと迷う。これが視野検査となると、「お椀方の内側に光る点を見たらブザーを押す」と単純なのだが、眼の残像?視神経の誤差?はたまた、真っ暗な部屋でのこと、思わぬことを考えたりすると眼は物を見ようとはしなくなる。

全ての検査を終えて診察を済ませると午後5時を過ぎていた。会計も閑散として駐車場へ向かう病棟を通り抜けると、入院患者の晩飯の香が俺の腹に響いた。朝抜き・昼抜きで過ごした病院通いあまり身体に良いことではない。駐車場では何時になく、西日で車の影も長く落ちていた。

家に着くと夕陽に染まった曇が、東に流れていく。今日の検査に何も無かったがことで安堵、俺の喉の違和感は何だったのだろうか?最近は嚥下での痛みもない、自らの治癒力で快復したのだろうか。

 

Algoは犬の直感か ど~した?って顔して ・ ・ ・ 

俺に走り寄るのに一瞬だが 躊躇ったように見えた。。 

コメント (2)
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