物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

島崎智子の「歌の花束」

2008-06-22 18:08:06 | 芸能ネタ

島崎智子さんの「歌の花束」というコンサートに行った。この方は二期会に所属する方らしくて、二期会の肩入れであろうか会場は満員であった。

声量のある美声の持ち主でほれぼれとする歌声であった。前半は日本の歌で後半はオペラの歌のようでイタリア語であった。イタリア語の初歩は40年以上の昔少しやったのだが、聞き取れたのは「ある晴れた日に」のl'aspetto, l'aspettoという一語だけであった。これは歌劇蝶々夫人の中の歌で、蝶々夫人が主人の帰りを待っているというところだろうと想像する。本当にそういう歌詞なのかどうかはわからないが、多分そうであろう。ピアノの伴奏もよかった。

島崎さんの顔つきが歌い進むにつれてよくなっていく。これはご自分が十分に歌ったという満足感からなのであろう。

このところ芸術づいているようだが、特に芸術づいているわけではない。


捨てへんど寒葉

2008-06-17 11:43:02 | 芸能ネタ

松山市の劇団こじか座の「捨てへんど寒葉」を松山市民会館で見た。

地元の劇団ではあるが、なかなかの芸達者で面白かった。それに知人が二人も出演していた。

市民会館中ホールはいっぱいの盛況の劇団創立50周年記念の公演である。主宰者の畑野稔さんの挨拶の後に公演が行われた。

寒葉とは「かんよう」と読むのだと思ったが、どうも「かんば」と読むらしい。それは劇の中でわかった。

ある女性が幸福な結婚をしたのだが、娘の葉奈が年頃になったときに精神的におかしくなり、婚家にも実家にも居れなくなり、娘をつれて四国遍路の旅に出る。

生きるに困って体を売りながらの旅を続ける。ある漁村ではそのことを村の女たちに気づかれ、生きるに困って岩場から親子で投身自殺をするという顛末である。

作者の猪野健介は今治市(旧菊間町)の出身だという。私の大学の同級生に猪野君というのが居り、彼が旧菊間町の出身であった。

それで彼に縁のある人ではないかと思うが、よくはわからない。猪野健介は早稲田大学を中退の後、家業を継いだとしかわからない。

猪野君のお父さんは時計屋さんであったと思うから、彼のお父さんである可能性もないわけではないが、彼から自分の父がシナリオを書いたり、演劇に関心があるなどとは聞いたことがないから、違うのかもしれない。いつか畑野さんにあったら、聞いてみようと思っている。

(2013.10.4 付記) その後、演出家の畑野稔さんに個人的に伺ったところでは猪野健介は呉服屋さんだったというから、友人の猪野君のお父さんではないが、親戚ではあるかもしれない。


俳優の演技

2008-05-14 13:05:06 | 芸能ネタ

NHKの「プロフェッショナルの条件」を昨夜初めてはじめから見た。いつも火曜日の夜はテニスなので帰って来て、風呂から出た後に見るので、途中から見るのが常である。

映画監督の堤幸彦さんという方が出ていた。今、撮っている映画に吉永小百合さんが出演している。吉永さん演ずる女性の夫が亡くなったので、吉永さんが回想して懐かしがるという場面で、はじめ吉永さんは涙を流して回想するという風に演じたのだが、堤監督はその場面に違和感を感じて明るく微笑んだ場面として演じて下さいと吉永さんに頼む。

そうすると吉永さんは明るく微笑んだような顔で演じる。若い俳優さんなら涙を出す場面で目薬をさすのだろうが、吉永さんぐらいの芸達者になると自分の感情で涙を自然に出すことができるらしい。そのことも大変な驚きなのだが,監督にいわれて演じ方を簡単に変えることができるという俳優さんのすごさを感じた。

なお、堤さんは吉永さんにはほとんど演技の指導を行ってはいなくて、吉永さんの解釈による演技にほとんどまかせていたのだが、ここだけは監督としての直感を重視して演じ方を変えてもらったということであった。

俳優が俳優なら、監督も監督であって、それぞれがそれぞれになかなかできることではない。


はだしのゲン

2007-07-22 17:46:59 | 芸能ネタ

今日の午後に神田香織さんの講談「はだしのゲン」を聞いた。なかなか迫力のある講談で真に迫っていた。ゲンが原爆の爆風による家の倒壊でその下敷きになったお父さんと弟を見捨てて逃げたというくだりには私の先生の一人Sさんの実体験と重なるものがあった。

またゲンが塀の影にいたために原爆の熱線からさえぎられて生き延びれたというのはもう一人のS先生の実体験と重なっている。もちろんそんなことを私はこれらの二人のS先生から直に聞いたわけではない。他の先生の話とか本人が新聞記者に話したのが新聞に載ったということで知ったのだ。

しかし、戦争の被災側の体験だけれども戦争中のいくらかの経験は私にも残っている。それは食べ物がなくておなかのすくという記憶のみではない。

「はだしのゲン」はもともと原作は漫画である。長男が小学校のときに読んでぜひ読めと勧められたのだが、怖いからといって読んだことがなかった。


梅雀さん

2007-01-10 12:29:32 | 芸能ネタ

1月6,7日に松山市民劇場の観劇ツアーに乗って、京都南座に観劇に行った。出し物は五重塔と魚屋宗五郎であった。観劇の後、俳優さんたちとの交流会が某レストランであった。私たちのところへはいま人気中の梅雀さんが来られた。私の隣に座っていたUさん,梅雀さん, Mさんという並びでUさんとMさんの有頂天振りといったらなかった。

そのほかのグループの女性も梅雀さんと写真に写りたがって、携帯またはデジカメで写してもらっていた。かく申す私もどなたのデジカメに梅雀さんと写っているはずだが、まだ写真はもらっていない。また求めに応じて何枚も写真をとってあげた。

素顔の梅雀さんは気さくな方で親しみの持てる方であった。私が俳優さんってなんの役でもされるから偉いですねといったら、そういう意味ではいろいろな人生を経験させてもらっていますと言われていた。魚屋宗五郎は酒飲みだが酒乱になるので酒をたっているのだが、某旗本の妾さんになった妹が誤解からその旗本にお手打ちになるといった前置があって、兄の宗五郎が旗本のところへ怒鳴り込むというその前の話である。