物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Selected Papers II by C.N. Yang

2013-05-31 10:53:47 | 学問

最近Selected Papers II by C. N. Yang (World Scientific, 2013)を購入して、Yangの論文のコメントを中心にして読んでいる。

この中にMy Experience as Student and Researcherというエッセイがあり、その中で彼の研究生活で得た、教訓をところどころ箇条書き風に述べている。全部で12または13個あるのだが、それを数日かけてここに紹介してみたい。

(1) On the one hand our intuitions are extremely important. But on the other hand one must constantly absorb new concepts to revise one's intuitions.

(2) Discussions with classmates offer opportunities for deep understanding.

(3) It is very common for a graduate student to feel discouraged in looking for a good problem for his/her thesis work.

こういう教訓を書く前にはそれぞれの話がでているのだが、それはここでは再現できない。


東海の科学史10号

2013-05-30 13:13:38 | 学問

論争相手のAさんから「東海の科学史」10号を送ってもらった。

Aさんの私の論文の批判が載っており、2回にわたって私が書いたことにAさんが反論されている。

Aさんの論文は昨晩一通り目を通したが、すぐわかるところでもちょっといくつかの点で食い違いがある。また私が十分にわからないところもある。それらは少しづつ解明をしていきたい。

私とメールのやりとりがある、Nさんの「戦前の武谷三男 - 中間子論を中心に -」も載っている。

Nさんの論文は彼の原稿が出来上がったときにNさんから送ってもらったので、すでに意見を述べている。

Kさんの「科学の常識を疑う」というエッセイに狼に育てられた少女という話はまことしやかに語られているが、虚偽だという。

また、ブラウン運動は水の分子運動によって、花粉が運動するのではなく、花粉からしみ出した微粒子が動くということが本当だと書いてあった。

こういうことを科学者だからといって、誰でも知っているわけではない。

上の2点についてはきちんとした論文がでているのだというが、残念ながらその文献が示されていない。

その分野の専門家にとっては周知のことで当然であるかもしれないが、やはりきちんと文献を上げておいてほしかった。すべてのことを一人の人間が知ることはできないのだから。


蛍光の発光メカニズム

2013-05-20 11:57:41 | 学問

「蛍光の発光メカニズムはまだわかっていない」と少年雑誌で読んだのはもう60年以上も前のことだが、昨日たまたまテレビでチャンネルを変えていた時に放送大学のテレビになったので、しばし見ていたら、蛍の発光メカニズムは化学的に解明されているという話がされた。

その放送は基礎化学の放送だったが、講師の先生の話では日本のノーベル賞受賞者の一人である福井謙一さんの化学反応論でこのメカニズムは根底から解明されているとのことであった。

光が出るときに一般に熱が出るのが普通であるが、蛍の光はほとんど熱が出ない。それが不思議だと昔の少年雑誌で読んだのだが、それも完全に解明されたという。

講師の先生は複雑な化学構造式を図に示して説明をされたが、それをここで再現することはできない。問題はそういうことがすでに解明されたと知っていることが重要なのである。

もし必要ならば、化学の反応論の書を見ればよい。

また、ホタルイカの発光メカニズムは先年のノーベル受賞者下村氏の研究で解明されたことはよく知られている。その医学への応用は広範にわたっているらしい。


遠山啓著作目録の作成

2013-05-10 12:49:15 | 学問

先日から遠山啓著作目録の作成をはじめた。これがなかなか大変そうで簡単には完成しそうにない仕事である。

一番はじめの基礎資料としているのは国立情報研究所のciniiのデータだが、それに私のもっている遠山の著作を自宅から持ってきて、それを見ながらデータを補充している。

ciniiのデータと私の著作目録のデータの精度が違うためもあって、なかなか大変である。

長年私が集めてきた、遠山の著書は結構な数だが、それでもまだまだciniiのデータにある300冊にはとても達しない。だが、私のもっている遠山の書も多分150冊を越えているだろう。

最終的には国会図書館に行って調べることをいつかはしなくてはならないだろう。しかし、そういうことをする前に自分でどこにも行かないでもできることはしておかなくてはならない。

それに最近でも遠山の新しい書が出版されているからである。もっともそれは大抵以前に出ていた書の文庫化であったり、再版であったりするのだが。

それらの新しい書も本当は購入すべきなのだが、ポケットマネーの不足のためにまだ十分ではない。

遠山の死後、数十年になるのにまだ新しい書が発行されるのは、遠山の書の魅力があるからなのであろう。

私が著作目録とか業績リストをつくっているもう一人は物理学者の武谷三男だが、彼は2000年に亡くなったので、遠山の死よりは20年くらい後ではあるが、彼の書は「弁証法の諸問題」を除いてあまり新しく出版されていない。

これは日本の社会が忘れっぽいということもあるのであろうが、両者の違いもあるのだと思われる。それが何によるのかは私にもわからない。

ちなみに武谷三男編の「原子力発電」(岩波新書)は最近増刷された。これはデータは少し古くなってはいるが、やはり考え方としては学ぶところがあるというので、福島第一原発の事故がきっかけになって再刷された。


わからないことを大事に!

2013-04-02 11:31:45 | 学問

現在具体的にわからないと思っていることもあるが、今日の話はそういう具体的なわからないことを指していない。

数日前に書棚をいろいろ探しているときに江沢洋先生の著書「力学」(日本評論社)を見つけた。

これは前に出版社から贈って頂いたが、それをしばし開いて序言をちらっと読んだら、洋先生が「わからないことを大切にせよ」と書かれていることを発見した。

最近、なんでもわからないことを困ったことのようにいう言う人が多いが、そうではないと書かれている。私なども物わかりの悪い方で、なんでもなかなか理解できない。

わからないことを自分でわかることはとても貴重な経験をその人に与えるという。

私などもいつもわからないことを抱えている。それらはいつかはわかることもあるが、なかなかわからないこともある。

いまはWKB近似に関してわからないことがある。もちろん、最近このWKB近似に関して分かるようになったこともあるが、また新たなわからないことも出て来ている。それを何とか論理的に納得できるような形にまとめて文章にしたい。

これは実は私のというよりは数学・物理通信に投稿を頂いたMさんの意図であるが、それを少し拡大したいと思っている。


アメリカ独立宣言

2013-01-27 10:09:34 | 学問

昨日、ベンジャミン・フランクリンを巡る話を聞いた。これは私的な小さい集まりにおいてである。

その中で話者のTさんは1776年7月4日はアメリカ独立宣言の日だということを単に知っていたが、その独立宣言の後で4年にも及ぶ独立のためのイギリスとの戦争があったことを知らなかった、と言われた。そして自分の詳しいことを知らなかったことの不明を恥じるという意味の気持ちを表明された。

それは私たち、その話を聞いていた者みんなの気持ちでもあったろう。

人はなんでも詳しく知らないためにこのような誤解があろうか。独立宣言したときにアメリカが完全に独立していたかというとそうではなく、その後に長い数年にわたる、独立戦争があったということを知った。主な戦闘でも4回くらいの戦闘があったらしい。

そしてその4回の戦闘にことごとくアメリカが勝利してようやく独立を勝ち得たのである。それはTさんによれば、薄氷を踏むようなものであったともいう。それとともにいかに宗主国が植民地が独立することに抵抗して植民地を抑圧してきたことの僅かな一端を知ることができた。

これは明治維新のときの戊辰戦争にしても、今では圧倒的な勝利にしか見えないが、歴史を詳しく調べた人によれば、結構危うい勝利であったとかどこかで読んだことがある。

私たちは表面的な知識で生きていることはどうしても避けられない。しかし、その分野に少しでも詳しい人の話を虚心坦懐に聞く必要があるということであろうか。


数学・物理通信の定期購読

2013-01-07 16:13:49 | 学問

今日、午前中にブログを書いたつもりだったが、どうも残っていない。これは他の作業を私が今日のブログを書いたと思ったのか、それとも本当にブログを書いたのだが、保存に失敗したのかまったくわからない。

どうも私にも認知症が起こったらしい。もっとも今朝は来たのが11時15分過ぎであるからそんなに早い時間に来た訳ではない。これは皮膚科によって頭のいぼの治り具合をみてもらってから仕事場にやって来たからである。

ところで、友人のKさんが関係している、益川塾に集まられている方から、「数学・物理通信」の定期購読するにはどうしたらいいのかという問い合わせがあったとKさんから知らせがあった。

その方法についてはKさんにすでに知らせたが、簡単である。私のところへメールを頂ければよい。またはこのブログにコメントを頂けるとよい。コメントは公開されるまでは私にしか読めないので安心して自分のメールアドレスを書いてください。

それで次回以降の定期購読のメールのアドレス簿に載れば、そのアドレスをコピーして送付先をつくるので、自動的に受け取れるようになる。、「数学・物理通信」は印刷体のものはまったく発行しないので、メールのアドレスをもっていることが定期購読には必要である。

個人的なメールのアドレスのない方はしかたがないので、大学とか研究所とかの所属の機関から名古屋大学の谷村さんのサイトを通じてダウンロードしていただく外には方法がない。

もちろん、購読といっても無料配布のサーキュラーである。新しい号が発行されると谷村さんがほとんど即日にアップロードして下さるのでほとんどタイムロスはないと思う(谷村さんいつも有難うございます)。

お金を取った方がよく読んでくれるのだという説もあるが、私が金を払ってまで新聞とかテレビの番組とかをインターネットを通して見る気持ちにはならないので無料である。

投稿規程は毎号につけるつもりであったが、このごろの号には大抵頁数が増えるのでつけていない。かなり前のバックナンバーをみていただくしかない。そのうちに投稿規程をもう少し精緻なものしたいとは思っているが、いまのところ以前の号を見て下さい。

このサーキュラーに出しても、プライオリティは主張できないので、プライオリティをどうしても主張したい事項についてはそういう主張のできる雑誌に投稿をお願いしたい。


武谷三男の寄稿文

2012-11-21 12:02:31 | 学問

昌谷忠海という人の追悼書『哀惜無限』という書をインターネットで手に入れた。農協とか生活協同組合の活動をやっていた人の追悼書である。

内申書裁判を担った人だという。この裁判の原告本人は保坂展人であり、この人は中学校での内申書を当時在学していた学校の先生が内申書をいいように書いてくれないので、受けた高校ですべて入学を断られた人らしい。

いまはどこに所属しているか知らないが、政治家として活躍しているような記憶がある。この保坂展人氏の抗議を当時の大人としては真剣に聞いて、10数年に及ぶ内申書裁判を支えた人が昌谷忠海である(注)。

その追悼書に武谷三男が寄稿しているというので、上記の書を購入したのである。武谷が昌谷と知り合ったのは1941年である。そして、この年の11月から1942年の8月くらいまでこの昌谷さんの家の離れに住んでいた。

昌谷さんと知り合ったのは軽井沢で、武谷は羽仁五郎に言われて軽井沢にその1941年の夏に静養のために滞在していた。

これは武谷が湯川秀樹の中間子論の一連の論文の研究に協力した後で、大阪大学で菊池さんのグループで原子核実験を始めようとした矢先に、世界文化の事件で捕まり、半年留置所に入れられた後に釈放された。岩波書店から奨学金を支給してくれるということで東京に出て行き、理研の所属になったころのことである。

武谷の体調が思わしくなく、下宿もあわず困っていたときに昌谷さんの家の離れを貸してもいいとの申し出を受けたという。武谷の人生の中でもつらい時期であり、そのために武谷は昌谷さんに感謝をしている。この時代のことを武谷はあまり語っていないので、貴重な情報であろう。

もっとも武谷の寄稿文は短いものであり、この書からは武谷のことよりも昌谷さんの人柄を知ることができたのが、むしろ収穫であった。この本を読んで、昨夜は2時半くらいまで夜更かしをしてしまった。

私は大抵の武谷の寄稿のある書をもっているつもりだったが、なかなか完全ということは難しいことがわかる。武谷三男の著作目録を更新する必要がある。

(注)(2021.7.7付記)保坂展人氏はいまも世田谷区の区長さんを務めておられるだろうか。このブログを書いたときには何をされているのか思出せなかった。


校正

2012-11-06 12:01:37 | 学問

学問の分野に入れたが、それほど高級な話ではない。

徳島科学史雑誌の投稿原稿の校正が来ている。それを校正するために昨夜の11時半過ぎから校正刷を読み直していたのだが、いつのまにか眠ってしまった。それで気がついたら、1時半を過ぎていた。

それで、歯を磨いて正式に就寝したのだが、そのときもいつのまにか寝入っていた。どうもこのごろはこのような生活を続けている。12時を過ぎたら、きちんと布団に入って寝たほうがいいのだが、どうも30分か1時間でも読書とか何かに時間を使いたいとコタツに入って本を開ける。はじめは読んでいるのだが、そのうちにいつか知らずに寝入ってしまうらしい。

どうも貧乏性でいけない。しかし、地球物理学者の竹内均さんは生前に著書の中で彼は5分の時間でも無駄にしないと書いていた。これこそ合理性というか、私のいう貧乏性の極致であろうか。彼はテープレコーダーに文章をゆっくりと口述して、それを秘書として雇っているお嬢さんにワープロに起こさせる。そういう方法で何百冊かの本を書いたという。

また、それが本になるかとかいうことは別にしてそういうデータの蓄積を生涯されたという。彼は札幌の予備校の校長やNHKの教育テレビの一般理科とか地学の講義や物理の講義を生前やっていた。

その生き方には賛否があるかもしれないが、やはり一つの生き方ではあろう。

東京大学を定年になったとき、竹内さんは専門の地球物理学の雑誌とか書籍とかは全部友人知人や後輩に譲って学問の世界からすっぱり身をひいた。そして科学の啓蒙と普及にその後の人生を尽くしたのであった。こういうところは私にはとてもみならえない。


サイエンスナビゲーター

2012-10-22 10:57:39 | 学問

変った職業もあるものだ。サイエンスナビゲーターという。それで食べていけるというのはすごい。

20日の土曜日の朝日新聞にフロントランナーという記事で、桜井進さんという方がサイエンスナビゲーターとして紹介されていた。

いろいろな科学的な講演をされたり、また著書を数十冊書かれており、いまや引っ張りだこで大忙しなのだそうである。結構なことである。その彼の言い分では日本は数学大国なのだそうである。

アルバイトとして予備校で「東大・東工大の数学」という題で講義をしていた頃、「こんな数式はすぐに使わなくなるのにな」と考えていたという。それで、「受験にでない科学教室」という講義を有志の人たちと始めたという。

学校時代に試験のための数学に苦しめられるが、学校時代は人生のまったく一時期で永久に続く訳ではなく、学校時代以後の人生の方が長いので、試験から離れた数学とか物理とかが大事なのだと私も思っている。

桜井さんは物理や数学を学ぶ理由はその感動にあるという。その通りであろう。

ところで、彼の紹介の記事の最初の方にクイズみたいな問題が出ていた。それは数の3から12まで10の連続した数を足したら、いくつになるか、とか8から17までのやはり連続した数を足すときに速算法である。

前の方の問題をとりあげると、3から数えて5番目の数に5を加えて、75とすればよいという。不思議に思えたので、等差数列の公式を導く考えで答えを求めてみると、確かにあっている。しかし、そのときはどうしてだかわからなかった。

昨日の日曜日に大江健三郎氏の講演「今、希望を語る」を聞きに行き、帰って夜の10時過ぎにこの便法がどうして成り立つのかもう一度考えてみたら、ようやくわかった。

数列の初項をaとすれば10項の和は5(2a+9)=10a+45であるが、これを10(a+4)+5として答えを求めたということがわかった。a=3を代入すれば、答えが正しいことがわかる。

もっとも私の考えでは、この連続した10個の数の和を求める便法は小学生を驚かせるためにはいいが、そのことのみが頭に残って後の等差数列の和をどうやって導くかが頭に残らないとすれば、どれくらい効果があるのだろうと思う。

実は私もこういった手法を大学の物理の授業で使って来たので、私には桜井さんのやり方を非難したりする、資格はまったくない。

しかし、彼がとてもポピュラーに世間でもてはやされていることは日本社会の希望を示していると思う。

ちなみに、等差数列の公式を私も覚えている訳ではなく、その公式を導く方法を覚えているだけである。それで十分だと思う。

もちろん記憶力が抜群の人がその公式を死ぬまで覚えていることを非難するつもりはない。ただ、私はもう覚えていないということである。


闇夜にバットを振る

2012-10-20 15:43:56 | 学問

今年ノーベル医学・生理学賞を受ける山中伸弥教授がニュース番組のインタビューで言っていた。自分たちの研究は「闇夜にバットを振る」ようなものだったと。

もっともどこにボールが飛んでくるかはわからないが、ボールが飛んでくるのはわかっていたという。それでも闇夜にバットを振らなければボールにはあたらない。結局、バットにボールがあたって今回のノーベル賞になったという。

だから、彼は言う。自然の真理のベールは何枚も何枚もあり、それを一枚、一枚めくっていかなければ、真理には到達しない。自分は幸運にもその真理に到達する一枚のベールをめくっただけだ。

謙虚であるが、多分それが彼の偽らざる心情であろう。

話は突然飛ぶが、昨夜シンガーソングライターというNHK教育の番組で、主宰する佐野元春が大木伸夫にいろいろ聞いていた。大木はacidmanという変な名前のグループのヴォーカルである。化学を知っている人なら、acidというのは酸という意味だと知っていよう。

はじめ変な名前のグループだなと思ったが、大木は薬学部の出身だと聞いて納得がいった。

彼が歌の詞を書き始めたときには、薬学部で学んだ彼には普通で珍しくもない概念や用語が、実は普通の人にはチンプンカンプンだということがはじめはわからなかったという。

そのうちにそのことに気付くようになったが、それでも化学用語や科学用語や宗教用語のよく出てくる詞を書くという。これは多分彼の自然観を反映しているのであろう。

そして、彼の心には自然界の中の小さな一員にしかすぎない人間の、自然への畏怖の念と謙虚さがあるという。これは私にはよくわかる話であった。

Musicianもいろいろなバックグラウンドをもった人がいるのだなといまさらながら、その音楽の幅の広さに感心した。


ips細胞

2012-10-12 11:58:26 | 学問

ips細胞をドイツ語でなんと言うかと昨夜のドイツ語のクラスで話題となった。それでips細胞の詳しい名をinduced pluripotent stemm cellsとホワイトボードに書いた。また日本語では人工多能幹細胞と言われていると付加した。

それにR氏のつけたドイツ語訳はk"unstliche (angeregte) mehrfunktional Stammzelleであった。これは英語と日本語の両方を参照しての訳語であり、ドイツで実際にはどう呼ばれているかは知らない。特にmehrfunkitionalのところは私が「多能」のところを間違えて「多機能」としたのでこういう訳となっている。

inducedを「人工の」と訳がついているが、私などはこのinducedとあれば、光の発生法の一つとしてのinduced emissionを思い出した。このときのinducedは普通は誘導と訳されており、induced emissionは誘導輻射と呼ばれる。

光の発生法としてはその他にspontaneous emissionというのもある。これは自発輻射と訳されている。

外から光がある物質に照射されて、それと同じ波長(周波数)で位相も同じ光がその物質から放出するのを誘導輻射induced emissionというが、そういう外部からの物質への光がないのに、物質が自発的に光を放出することがあり、これは自発放射spontaneous emissionである。

そして、前の方のinduced emissonはレーザー技術で基本となる、光の放出法である。大体、このレーザーLASERという語はLight Amplification by Stimulated Emission of Radiation の頭文字をとったのである。

ここで、stimulated emissionはinduced emissionの別のいい方である。

レーザーの基礎概念としては負温度分布(反転分布)とか、この誘導輻射とか光共振器とかがある。だが、一番の基本となるアディアは誘導輻射である。


ips細胞は現象論的段階

2012-10-09 10:22:57 | 学問

昨夜のニュースはなんといっても山中伸弥教授のips細胞の発見と創製による業績による医学・生理学分野のノーベル賞受賞であろう。これは生物学の常識を覆した大発見である。ノーベル賞をもらっても当然の業績であろう。

だが、もちろんこれは武谷三段階論でいえば、現象論的段階か実体論的段階であり、さらに本質論的段階に進んで行かねばならない。

これは山中教授が見つけた4つの遺伝子がなぜips細胞をつくれるように働くのかという根源的な問いがある。その本質を問うという研究は私などにはわからないが、もうすでに始まっているのだと思う。

もちろん、ips細胞を用いて、難病を治療したり、または再生医療に使ったりすることは、病気の患者さんがおられるのだからしなければならないことであろう。

だが、その普通の体細胞を4つの遺伝子を組み込むことによって、なぜ受精卵類似のips細胞ができるのかの根本の理由を知りたいと思う。

これは多分私の生きている間にはわからないかもしれないが、それが分子生物学レベルでの、または量子力学レベルの問題としてあると思っている。

誤解してもらいたくないのは私が「ips細胞は現象論的段階」と言っても別に山中さんの業績を軽んじたり、貶めたりする意図はまったくないということである。

業績そのものはそれが武谷三段階論から見て、現象論的段階に位置づけられようともとてもすばらしい。このことはどういって見ても変らない事実である。ただ、人間はそこで好奇心が尽きてしまう訳ではないということである。

将来的には彼の研究から、また新しい研究が出て、新しいノーベル賞を産むことになるのだろうと思っている。


favism

2012-09-29 13:45:52 | 学問

綴りがあっているかどうか。これはいつもドイツ語のクラスで一緒になる I 医師の書かれたエッセイの題である。

そらまめとこのfavismとは関係している。そらまめのよく育ち、よく食べられる地中海沿岸とか中東、北アフリカではマラリアが多いが、それとこのソラマメとか関係しており、そらまめを食べると体の赤血球が崩壊するという、病気favismにかかることがあるが、たまたまマラリアは健全な赤血球の中でしか育たないので、そらまめを食べている人はマラリアに対して耐性がある人が多いという。

どちら原因で、どちらが結果であるかの因果関係はわからないが、そういう関係があるいうことであり、とてもおもしろかった。いつもこの I 医師の書くものはおもしろいのだが、この話は初耳であった。

そらまめを英語ではbroad beanというらしいが、ドイツ語ではSaubohne(n)という。Sauはメス豚という意味だが、不潔な奴というような意味もあるらしい。

上に挙げたような理由から、そらまめが嫌われているということもあるようである。もっとも日本には幸いなことにあまりマラリアはないのと、このfavismという病気はあまりないそうである。

I 医師は国際結婚が普通になって来ているので、このfavismの劣性遺伝子をもった、人との結婚とかが起こり、favismの影響が日本人にも起こってくる可能性があるとか。

昔、ピタゴラスが豆を食べさせなかったという話があるが、それはこのfavismが原因であったらしい。それに関して私はおもしろいジョークを知っている。

ピタゴラスはこういう風に生きていた時代にはそら豆を食べることを弟子たちに禁じたが、死後にわとりに生まれ変わって庭に落ちている豆を食べていたという話である。(豆を食べなければ、にわとりは食べるものがなく生きていけない)。

なんとも皮肉なジョークである。この話を I 医師はご存じなかったようである。


今月の収穫

2012-09-27 10:43:07 | 学問

今月は9月6日だかに数学・物理通信2巻4号を発行した。この作業は多くは8月中にされたことである。

さらにこの9月になって、「四元数と回転2」の原稿を書き上げた。友人に読んでもらって細かな修正の注意を受けているが、それを修正すれば完成であろう。

さらに、8月の徳島科学史研究会で発表した「安孫子誠也の武谷三男批判 II」の論文を徳島科学史雑誌に投稿する準備もほぼできた。現在読み直しの最中である。

それに、ある報告に啓発されて、9月に「平方根の近似値3」というエッセイを急遽書いた。これは近いうちに愛数協の機関誌「研究と実践」に投稿するつもりである。

これは最近急に入った仕事だが、知人に頼まれてある団体の会報への投稿文を読んでいる。ただ読むのみならずこれは加筆訂正をすることが要請されていると思っている。

その閲読を昨日ほぼ終わったと思ったが、修正した原稿をもう数日手元において置いた方がよいと思い、知人にはまだ連絡をしていない。それで家に帰ってその内容を妻に話したら、私とは別の視点からのアドバイスがあったので、さらに加筆する必要があろう。

今月は22日(土)に愛媛大学のドイツ人教師Reineltさんの主宰する「第7回外国語教育のミニ研究会」に一日だけ参加して刺激を受けた。いつもReineltさんは活動的であり、まわりにいい影響を及ぼしている。彼は愛媛大学に所属する教員として貴重な存在である。

私たち日本人の思考は日本人であるために生まれつき制限されたところがあるが、彼は私たちとは違った発想をするので、貴重なのである。

さて、今日からまたドイツ語のコースが再開する。

(付記) このごろはブログで呟いたことがすぐにどこかに登録されている。先日も知人のことをこのブログで呟いたら、その知人が所属していた(または、所属している)大学名のついたところに登録をされていた。それでわざと今回も愛媛大学の名前をあからさまに書いた。PRはどこの大学にも必要だからである。