昨日は科学者は老齢になったら、どう過すかについて書いたが、一般の人はどうしているのだろうか。
一般の人とは言えないが,妻の父は画家であったが、脳梗塞で手が利かなくなるまで絵を描いていた。ただ、右手が利かなくなる半身不随になってからは絵筆をとることはなかった。これは左手で下手な絵を描いてこんな絵しか描けなかったのかと思われるのが嫌だったからである。
それは一つの生き方であるが,人によっては右手ほど上手に描けなくてもあくまで左手で描こうとする人もいるにちがいない。
これはどちらよくてどちらがよくないということではないだが、自分自身ならどちらを選択するかという問題は残っている。私は画家ではないので、絵についてはなんともいえないが、どちらかといえば、左手でも何かを描こうする部類ではないかと思う。もし少しでも可能性が残っているなら、それを実現したいという風に考えるのではないだろうか。
少なくとも一日テレビをみて過すほど、我慢強くはない。もっともこれも程度問題であるのでこんなことを言っているのはまだ比較的健康だという証拠かもしれない。しかし、いつも思うことだが、人の一生はどういう風になるのかは予断はできない。
ある優れた数学者が老齢になって、ボケたと聞いた。優れた学者であったが、研究生活から老年の生活への軟着陸ができなかったのだとある門下生はいう。それはその人の固有の問題であるので、何かボケない方法があっただろうとかは軽々に言うことはできない。どういう結果になろうと自分の運命を受け入れるしかないのだ。