知り合いの女性が外国人留学生への日本語教育への手伝いをしている。ときどき話をもれ伺うところでも結構面白い話があるらしい。
他の文化の中で育った人がその文化圏から出て他の文化圏に住むだけでもいろいろのことがあるが、まして言語では思わぬ反応があり、日本語に関してでも日本人である私たちがうんとうなってしまうようなことがあるらしい。
文化が違うとその人の考え方も違ってくる。以前に人の考えていることがわかる超能力をもったという触れ込みの人がいたりしたが、これなどは絶対にありえない話である。というのは文化が違うと感覚も思考も違ってくるからである。だから、そういう超能力などは存在し得ない。これが異文化を、異言語をしっかり学んだ人の見解である。本当は別に異文化、異言語を学ばなくともわかっている話ではあるが。
ヨーロッパで電車の切符を窓口で買おうとして売ってもらえなかったという友人のいたが、彼はひょっとしたら、何かを考えて窓口の人の顔をよく見なかったからかもしれない。
これは私の子どもが小さいときにドイツでのことだが、小学校の友達が家の前を通りかかった。言葉ではKomm, komm hier !(こっちに、おいで、おいで)といったのだが、手招きが日本風であっちへ行けという風に取られたので友達は彼のところにはこなかった。私も挨拶を隣人に返さなかったというので、隣人の不興をかったことがあった。これは言葉の問題ではなくて、文化とか動作とか習慣の問題である。
10年くらい前にもうなるが、フライブルクの近くの町のレストランに入ったときに挨拶をしなかったら、不穏な空気が流れたこともある。これにはそのときどうしてだか理由がわからなかった。でもかならず「今日は」と挨拶すべきであった。そういう失敗はかなり多い。友人の言語学者はやはりそういう失敗の例をいくつか話してくれたことがあったが、内容は忘れてしまった。
私たちは郵便局や銀行等へ用事で行ったときに日本では「今日は」とは挨拶しないが、外国では絶対に挨拶をしないといけない。そうはわかっているつもりだが、実際になると挨拶の言葉が出るかというと自分でもあやしいものである。ああ、長年の習慣はなかなか変わらない。