物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ブログのテーマ

2008-11-26 11:33:26 | 日記・エッセイ・コラム

ブログのテーマについては前に取り上げたことがあるが、パソコンの前に座ってはて今日は何を書こうかと迷っている。一つか二つテーマを持っていたはずだが、いざというときには忘れてしまっているのである。折に触れて書きたいことを書いているのだが、それでもじぶんの思いはまだ尽きてはいないらしい。だが、いざ書こうと思ったときにはそれについて忘れてしまっている。

人間多分そういうものではないだろうか。だが、文章を書く習慣のない人にはそれを口に出して誰かにいうことはあるかもしれないが、ブログに書き留めるというようなことはしない。私は書くことが好きだし、あまり話すのは上手な方ではない。元教育者としては困った資質だが、これはしょうがない。

よく人の文章を推敲する機会があるが、文章を読んでそれを敷衍して書き足してあげると「じつはこういうことが言いたかったんです」といわれる。だが、その人が思ったように書けるかというとそれは一般に難しい。日ごろ文章を書く習慣がないとやはり文を書くことは難しいと思う。別に英語で書くわけではなくても、やはり文を書くことが一番難しい。

しかし、外国語の学習で一番難しいのは聞くことだと思う。もし聴くことができるようになれば、もし十分に話すことができなくとも話しの座にいて「針の筵の上に座っている」という感覚は生じない。話の内容にある程度ついていけているから。しかし、これは長い間の聞くという時間がないと聞き取ることは難しい。しかし、そういう訓練をしてくれる学校はほとんどない。

友人のドイツ人の教師が20数年前に日本にやってきてドイツ語の先生のためのコースを開いたが、そのコースに出席していて、達意のドイツ語を話せるようになったドイツ語の先生は一人しかいない。あとの人は前からドイツ語を話せた人と、そこそこにドイツ語が上達した人であるが、大部分の先生はコースに来なくなってしまった。そのうちにそのコースもなくなってしまったが、先生方の大分は聞き取りができないために、話の話題についていけなかったというのが真相だと思う。なまじ、ドイツ語を専攻しているために自分の自尊心が傷ついてしまうのだ。

私はドイツ語の教師ではないから、その点は話の中身がわからなくてすっとんきょうなことをいっても笑ってすませてもらうことができる。そこが違うところである。なににせよ、専門というのはつらいものである。