「俳句第二芸術論」などで知られた仏文学者の桑原武夫は人の仕事を評価するのに「ひらめき」が見られるかどうかで判断をしたという。これは鶴見俊輔が「源流から未来へ」(思想の科学社)で語っていることだ。
桑原を武谷三男はあまりよくは思わなかったそうだが、桑原は武谷三男の仕事をその「ひらめきがある」という点で高く評価していたという。それに対して仏教学者の中村元の仕事をそのひらめきがないという理由で評価しなかったという。一方、鶴見はその中村を評価している。鶴見は人の仕事をひらめきだけでは見ていない。
ところで急に私自身のことで申し訳がないが、私自身はまったくひらめきがない。ものごとはすぐには理解できないし、なんでも理解するのに時間がかかる。場合によっては何十年もかかる。
それが難しいことなら理解に何十年もかかっても仕方がないのだが、簡単なことでもすぐには理解できないのであるから始末が悪い。だが、そういうひらめきがないから、徹底的にわかりたいという欲求がとても強い。私は自分のひらめきのなさから他人が「どうやってひらめいたのか」の秘密を知りたいと強く思うのだ。
高校のときに学んだ三角関数の余角公式、補角公式、負角公式等はどのように導出したかがこのごろ急に気にかかりだした。それでここ数日それについての高校の数学参考書や数学書を読んでみた。やっとhow toでない理解ができつつある。
「それらを導くときにはどうしたらいいか」のhow toはもちろんもう50年以上前に学んで知っているが、その理由を改めて勉強をしている。現在作成をしているe-Learningのコンテンツに最近知ったことをどれくらい反映できるだろうか。