広重徹の三段階論批判について検討してこれが概ね片付いたと思ったら、技術論論争がまだ残っているらしい。
これは技術とは「労働手段の体系だ」というのがそれまでの定義であったのを武谷が「自然法則の意識的適用」という風に定義したので、それに従った理論が行き渡っていたというのだが、それが間違っていたというか、よくなかったという議論がでているらしい。
これは横浜国大に居られた中村静治氏が書いた本で武谷説を論破しているらしいというので、購入した。本当に論破してあるのかどうかは詳しく読んで見ないとわからないが、これがまた578ページの大部の書である。こんなのを読まなくてはならないのは大変だが、武谷の年譜とか伝記を作成するための準備としては仕方がない。
一度に読むことができないので、ゆっくりと読むことにしよう。武谷のマルクス「資本論」の読み方が浅薄だと書かれていた。資本論は3巻本らしいが、その1巻しか読んでいないのではないかという。
大体、私は「資本論」など読むことは本来お断りな方である。昔、中学生だった子どもがこの資本論の翻訳のいくつかを読み比べていたが、なんだかわからない本らしい。もっともこれをドイツ語で読めば、日本語で読むほどは大変ではないのかもしれないが、ドイツ語もなかなか読めないので困ることしきりである。