今回の選挙で女性議員が40名くらいに増えたという。それでもヨーロッパ諸国にはまだはるかに及ばないのだという。日本では今では死語になってしまったかもしれないが、頼りないものとして「女、子ども」という語があるが、外国ではそうではない。
しかし、このごろの日本女性は元気であるし、また今度の選挙にしてもたとえ選挙に破れても「女性だからまあいいや」みたいな感じもあって(すみません女性議員さん、落選候補さん)、逆にもし選挙に通れば鬼の首を取ったように喜べる。
男性が元気がないのが悪いのかもしれないが、普通に男性の感じるプレッシャーを女性ということであまり感じずに済むというメリットは、女性を軽んじるわけではなくてあるのではないか。
世界的にも日本の女性の評価は男性に比べて高い。もっとも日本女性の評価が世界的に高いのは欧米の女性のあまりの強さに世の男性が辟易しているせいかもしれない。それだとあまり手放しでは喜べない。
ある知り合いの女子高生が昨年から今年の前半にかけてドイツの高校に留学をした。この方のおばさんにカナダ留学の経験のある方がいるとも聞いたので、そういう素質もあるのだろうが、それだけではなく、女性のどこにでもなじめるという特性からこういう私たちにとってえらく思い切ったと思えることができるのかもしれない。この女子高校生のお父さんとお兄さんにも一度会ったが、特に特別の感じの親子とは感じなかった。
もちろん、世の中にはある種の勇気を持った男性もいて、私たちにとって法外と思われる、チベット仏教を信じるようになる人までいる。この人は高校を出て北海道の牧場で数年間働き、その後に大学に入ったという。
数年後に大学に行きたいと思い出して、そういうことを周りの人に言ったら、ほとんど皆に反対されたという。それはそうだろう。高校を出たときに大学へ行ったほうがいいよとの助言を聞かないで牧場で働くことを選択したのだから。
そのうちにチベット仏教に帰依するようになったという。こういった勇気のある人は日本女性には限らないのであるが、日本人の場合には女性の方が多いような気がする。