岩波書店のPR誌『図書』に連載の斎藤美奈子さんの「文庫解説を読む」を楽しく読んでいる。
このブログでも少なくとも2回はその話題をとりあげさせてもらった。先回は「何となくクリスタル」がまるで資本論と同じだという高橋源一郎さんの文庫解説の衝撃の話だった。
ところがこの高橋解説の前にもそれと同じような解説をした人がいたという前例のご披露である。
こちらも文庫本であるが、岩波文庫に収録されている、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』につけられた丸山眞男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」だという。
これは普通の意味での文庫解説ではない。吉野源三郎が亡くなったときに丸山眞男は日本にいなかったために彼の葬儀には参列できなかったが、雑誌『世界』の吉野源三郎の追悼号に吉野さんを追悼して書いた文章が「・・・をめぐる回想」だという。それを知っていた岩波書店が岩波文庫への収録に際して解説代わりに使った。
斎藤美奈子さんを引用しておこう。
(引用はじめ)丸山が<まさしく「資本論入門」ではないか>と驚嘆したのは「ニュートンの林檎と粉ミルク」と題された第三章。そこでコペル君は、自分が赤ん坊の頃に飲んだ粉ミルクがオーストラリアから海を越えて自分のもとに届くまでの大勢の人を介していることに思い至り、この発見を「人間分子の関係・網目法則」と名づけた。これを受けた「おじさんのノート」では<君が気がついた「人間分子の関係」というのは学者たちが「生産関係」と呼んでいるものなんだよ>と語られている。で、丸山の解説は・・・。
<私はそのころまでに、すでに『資本論』について大学生なりの知識をもっていました。(略)にもかかわらず、いや、それだけにでしょうか、中学一年生の懸命の「発見」を出発点として、商品生産関係の仕組みへとコペル君をみちびいてゆく筆致の鮮やかさに唖然としたのです> (中略)<あくまでコペル君のごく身近に転がっている、ありふれた事物の観察とその経験から出発し、「ありふれた」ように見えることが、いかにありふれた見聞の次元に属さない、複雑な社会関係とその法則の具象化であるか、ということを十四歳の少年に得心させてゆくわけです>。そして丸山もダメを押すのだ。<一個の商品のなかに、全生産関係がいわば「封じ込められ」ている、という命題からはじまる資本論の著名な書き出しも、実質的には同じことを言おうとしております>(引用おわり)
この後には斎藤さんは、岩波文庫の『資本論』の向坂逸郎の解説に話が及ぶが、それらに関心のある方々はそれぞれの文庫本に触れて頂くことにしてここでは割愛しよう。これらを斎藤さんは一流の知識人の「脱線芸」だと述べている。
それにしてもびっくりしたなあ。高橋源一郎の『なんとなくクリスタル』の文庫解説にはその前に手本になった文庫解説があったとは。
(注)実は私はこの『君たちはどう生きるか』を全体を通して読んだことはない。だが、中学校の国語のテキストにその一部が収録されていたので、一部を読んだことがある。私の子どもがこの文庫本『君たちはどう生きるか』を購入しており、それはいま私の手元にあるので、いつか読んでみたい。
なお、向坂訳の『資本論』(岩波文庫)は子どもが中学生のころ何度も読んだらしいが、結局はわからなかったといっていた。日本語の訳よりもドイツ語の原文で読んだ方がまだわかりやすいと聞いているが、私にはたぶん読む機会はないだろう。
このブログでも少なくとも2回はその話題をとりあげさせてもらった。先回は「何となくクリスタル」がまるで資本論と同じだという高橋源一郎さんの文庫解説の衝撃の話だった。
ところがこの高橋解説の前にもそれと同じような解説をした人がいたという前例のご披露である。
こちらも文庫本であるが、岩波文庫に収録されている、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』につけられた丸山眞男の「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」だという。
これは普通の意味での文庫解説ではない。吉野源三郎が亡くなったときに丸山眞男は日本にいなかったために彼の葬儀には参列できなかったが、雑誌『世界』の吉野源三郎の追悼号に吉野さんを追悼して書いた文章が「・・・をめぐる回想」だという。それを知っていた岩波書店が岩波文庫への収録に際して解説代わりに使った。
斎藤美奈子さんを引用しておこう。
(引用はじめ)丸山が<まさしく「資本論入門」ではないか>と驚嘆したのは「ニュートンの林檎と粉ミルク」と題された第三章。そこでコペル君は、自分が赤ん坊の頃に飲んだ粉ミルクがオーストラリアから海を越えて自分のもとに届くまでの大勢の人を介していることに思い至り、この発見を「人間分子の関係・網目法則」と名づけた。これを受けた「おじさんのノート」では<君が気がついた「人間分子の関係」というのは学者たちが「生産関係」と呼んでいるものなんだよ>と語られている。で、丸山の解説は・・・。
<私はそのころまでに、すでに『資本論』について大学生なりの知識をもっていました。(略)にもかかわらず、いや、それだけにでしょうか、中学一年生の懸命の「発見」を出発点として、商品生産関係の仕組みへとコペル君をみちびいてゆく筆致の鮮やかさに唖然としたのです> (中略)<あくまでコペル君のごく身近に転がっている、ありふれた事物の観察とその経験から出発し、「ありふれた」ように見えることが、いかにありふれた見聞の次元に属さない、複雑な社会関係とその法則の具象化であるか、ということを十四歳の少年に得心させてゆくわけです>。そして丸山もダメを押すのだ。<一個の商品のなかに、全生産関係がいわば「封じ込められ」ている、という命題からはじまる資本論の著名な書き出しも、実質的には同じことを言おうとしております>(引用おわり)
この後には斎藤さんは、岩波文庫の『資本論』の向坂逸郎の解説に話が及ぶが、それらに関心のある方々はそれぞれの文庫本に触れて頂くことにしてここでは割愛しよう。これらを斎藤さんは一流の知識人の「脱線芸」だと述べている。
それにしてもびっくりしたなあ。高橋源一郎の『なんとなくクリスタル』の文庫解説にはその前に手本になった文庫解説があったとは。
(注)実は私はこの『君たちはどう生きるか』を全体を通して読んだことはない。だが、中学校の国語のテキストにその一部が収録されていたので、一部を読んだことがある。私の子どもがこの文庫本『君たちはどう生きるか』を購入しており、それはいま私の手元にあるので、いつか読んでみたい。
なお、向坂訳の『資本論』(岩波文庫)は子どもが中学生のころ何度も読んだらしいが、結局はわからなかったといっていた。日本語の訳よりもドイツ語の原文で読んだ方がまだわかりやすいと聞いているが、私にはたぶん読む機会はないだろう。