私の前に書いた「四元数の発見」のエッセイを英語にしてどこかに発表しておいた方がいいのではないかと今朝から考え出した。
そういうことは今まで考えたことがなかったのは自分でも不思議でもある。しかし、わたしと同じことを考えてすでにどこかに誰かが発表しているものと勝手に思っていた。実はそのことを私が知らないだけで。
だが、そういうこともなくはないが、ひょっとして詳細に論文を読み解いた人がいないのかもしれない。その場合には私のHamiltonの論文の解読も意味があろうか。
そうなるとHamilton自身が書いた本の中にどう書いているのだろうかということが気になる。Hamiltonは四元数について二つの書を著しているとか。そのいずれも現代の人が読んで、理解するのはなかなか難しいから、原著を読むことは賛成できないとAmazon.comの書評で読んだことがある。
それで現代的にわかりやすいKuipersの書を購入したという経緯があるが、一番の根本のところをHamilton自身の書いた論文でたどることとか彼の二つの著書ではそのあたりがどう取り扱われているのか知りたいところである。
そのことにもとづいて事と次第によっては私のHamiltonの論文の解読のいきさつを英語で書いてどこかに発表することが科学史の論文として必要と考えられるかもしれない。いまはまだその程度の考えである。
そういうことは今まで考えたことがなかったのは自分でも不思議でもある。しかし、わたしと同じことを考えてすでにどこかに誰かが発表しているものと勝手に思っていた。実はそのことを私が知らないだけで。
だが、そういうこともなくはないが、ひょっとして詳細に論文を読み解いた人がいないのかもしれない。その場合には私のHamiltonの論文の解読も意味があろうか。
そうなるとHamilton自身が書いた本の中にどう書いているのだろうかということが気になる。Hamiltonは四元数について二つの書を著しているとか。そのいずれも現代の人が読んで、理解するのはなかなか難しいから、原著を読むことは賛成できないとAmazon.comの書評で読んだことがある。
それで現代的にわかりやすいKuipersの書を購入したという経緯があるが、一番の根本のところをHamilton自身の書いた論文でたどることとか彼の二つの著書ではそのあたりがどう取り扱われているのか知りたいところである。
そのことにもとづいて事と次第によっては私のHamiltonの論文の解読のいきさつを英語で書いてどこかに発表することが科学史の論文として必要と考えられるかもしれない。いまはまだその程度の考えである。