「おじいちゃんの里帰り」Almanya -Willkommen in Deutschland というドイツ映画を昨日の日曜日マネキネマで見た。
なかなかユーモラスにつくったしゃれた映画なのだが、実は涙が出て出て止まらなかった。ハンカチで涙をふきふきのウルウル映画鑑賞であった。
おじいちゃんは実はトルコから来た外国人労働者である。何十年ものドイツ滞在の後で、ドイツ国籍までとったのだが、突然トルコの故郷に家を買ったから孫まで含めた家族全員で家の再建に行くという。子どもの中には行く費用がないという者もいるが、すべての費用を俺がもつというので、誰も反対できない。
それで行く途中で肝心のこのおじいちゃんは心臓麻痺かなにかで死亡してしまう。トルコ生まれだが、もうドイツ国籍になっているので、トルコ人の墓地への埋葬は許されず、外国人墓地も遠方である。
おじいちゃんの伴侶のおばあちゃんは同じ村の村長の娘であったので、自分の出身の村におじいちゃんを埋葬できる土地をもっているという。それで結局おじいちゃんとおばあちゃんの故郷の村までみんなで行くことにした。
埋葬を済ませておじいちゃんの買った家を見にいったら、家の片側の壁が残っているだけで後はすべて再建しなけらばならなかった。別荘としても役に立たないので、みんなで帰ることにしたが、何を思ったかおじいちゃんの次男が残って家を再建するということになる。
その間には大学生の孫娘がボーイフレンドのイギリス人との間の子どもをはらんだとかいうようないろいろトラブルやそのほか多くの滑稽なこともある。長男と二男の兄弟が不和で仲がよくないとか結構ユーモラスな映画なのである。
それに子どもが小さかったときにやはり里帰りをしたときにコーラを一瓶だけようやく友だちに持ち帰ったのだが、モーター付の電車が欲しかったといわれ、コーラを一瓶とはあまりにケチだと注文をつけられるのだが、その下りは映画ではドイツ語でされるのだからお笑いである。こういった滑稽なところが多いのだが、よく考えられた映画である。
最後は孫がトルコからトルコの地図をもって帰って小学校の先生に差し出すと、先生はその地図をヨーロッパの地図の横に張りながら世界の広さがわかっていいねと言う。これは前の授業でイスタンブールまでしかヨーロッパの地図には載っていなかったので、自分のおじいちゃんの出身地は壁の地図上には載せられないと言われていたという前置きがあった。
映画監督ヤセミン・サムデレリはトルコ人2世の女性監督であり、実の妹と50回も脚本の書き換えをしたという。
なかなかユーモラスにつくったしゃれた映画なのだが、実は涙が出て出て止まらなかった。ハンカチで涙をふきふきのウルウル映画鑑賞であった。
おじいちゃんは実はトルコから来た外国人労働者である。何十年ものドイツ滞在の後で、ドイツ国籍までとったのだが、突然トルコの故郷に家を買ったから孫まで含めた家族全員で家の再建に行くという。子どもの中には行く費用がないという者もいるが、すべての費用を俺がもつというので、誰も反対できない。
それで行く途中で肝心のこのおじいちゃんは心臓麻痺かなにかで死亡してしまう。トルコ生まれだが、もうドイツ国籍になっているので、トルコ人の墓地への埋葬は許されず、外国人墓地も遠方である。
おじいちゃんの伴侶のおばあちゃんは同じ村の村長の娘であったので、自分の出身の村におじいちゃんを埋葬できる土地をもっているという。それで結局おじいちゃんとおばあちゃんの故郷の村までみんなで行くことにした。
埋葬を済ませておじいちゃんの買った家を見にいったら、家の片側の壁が残っているだけで後はすべて再建しなけらばならなかった。別荘としても役に立たないので、みんなで帰ることにしたが、何を思ったかおじいちゃんの次男が残って家を再建するということになる。
その間には大学生の孫娘がボーイフレンドのイギリス人との間の子どもをはらんだとかいうようないろいろトラブルやそのほか多くの滑稽なこともある。長男と二男の兄弟が不和で仲がよくないとか結構ユーモラスな映画なのである。
それに子どもが小さかったときにやはり里帰りをしたときにコーラを一瓶だけようやく友だちに持ち帰ったのだが、モーター付の電車が欲しかったといわれ、コーラを一瓶とはあまりにケチだと注文をつけられるのだが、その下りは映画ではドイツ語でされるのだからお笑いである。こういった滑稽なところが多いのだが、よく考えられた映画である。
最後は孫がトルコからトルコの地図をもって帰って小学校の先生に差し出すと、先生はその地図をヨーロッパの地図の横に張りながら世界の広さがわかっていいねと言う。これは前の授業でイスタンブールまでしかヨーロッパの地図には載っていなかったので、自分のおじいちゃんの出身地は壁の地図上には載せられないと言われていたという前置きがあった。
映画監督ヤセミン・サムデレリはトルコ人2世の女性監督であり、実の妹と50回も脚本の書き換えをしたという。