体と書くと身体のことかと普通の人は思うだろうが、そうではない。
数学では数の計算はたし算と引き算と掛け算と割り算ができる。このときにしたがう法則はあまり小学校の算数では意識をされていないが、足し算と掛け算において、交換則、結合則と分配則が成り立っている。
a+b=b+a
ab=ba
この二つが交換則と言われるものである。
a+(b+c)=(a+b)+c
a(bc)=(ab)c
これが結合則と言われるものである。
なお、分配則は
a(b+c)=ab+ac
である。
高校でこういう法則にしたがって数の計算がされていると教わったが、別にそれをそれまで規則とは意識したことがなかったので、なんでこんなことをわざわざ教えるのかと疑問に思った。
大学でベクトル代数を学び、ベクトルのベクトル積では積の順序を交換したときに負号がつき、また行列(マトリックス)のかけ算では一般に積の交換則は成り立たないなどのことを知ってようやくこの3つの法則に意味があることがわかった。
さらに量子力学では粒子の位置座標と運動量とを演算子と考えるともはやこれらの量の積は交換しない。ちょっとこの画面上での表示では制限があるが、xp-px=ih/(2\pi)となる。ここで、\piは円周率パイであり、hはプランク定数という小さい数値の定数である。x,pはそれぞれ粒子位置と運動量を表す演算子である。座標空間をとると運動量pは位置座標xの微分演算子で表される。このときはすぐに微分を知っている人にはこの積の順序が交換しないことを示すことができる。
最近私の関心をもったのは四元数であったが、この四元数が多分歴史上はじめて、交換則の破れた数であることであることを知った。それでというわけではないのだが、昨年の10月の初めには『四元数の発見』という本まで上梓することになった。
以前のこのブログの前身のphysicomathで数のかけ算では掛け算の順序は問題でないということについてちょっとした論争があった。私は教育において、掛け算の意味を教えながらのかけ算の導入に賛成したが、かけ算での交換則が成り立つのだから、そういうことはおかしいという主張の方にいろいろ言われたが、あくまで教える過程の一部としていったのであるが、どうもご理解は頂けなかった。
もちろん、教え方の方法として別の考え方ができることは当然である。たとえば「トランプ配り」と言われる方法で考えるときは掛け算の積の順序が変わるのだと言われている。演算といえども意味なしには成り立たない。もちろん抽象化された単なる数となれば、そのときには意味の云々なしに積の順序を入れ替えても構わないのはもちろんである。
まったく掛け算の順序というような話を書く気がなかったのにつまらないことを書いてしまった。かけ算の順序うんぬんについての不毛な論争には係りたくないのが本音である。