「大いなる誤解」といってもこれは私自身の誤解という意味であって世の人々の誤解という意味ではない。
遠山 啓『数学入門』上、下(岩波新書)は名著であるが、この書のどこかに虚数の存在はカルダノの3次方程式の解によってようやく根拠づけられたとあったと思う。
私はそれは2次方程式の間違いではないのかと思っていた。ところがこの『数学入門』は初版では多くのミスプリントがあったが、最新の版を見ると少なくとも初版に私が見つけていたミスプリントはなくなっていた。
ところが、虚数が存在する理由を説明したこの箇所だけは3次方程式となっていて、2次方程式とは修正されていない。それでこれはミスプリントが残っている例だと思っていた。
ところがこれは私の誤解であって、やはりカルダノの3次方程式の解にいたって虚数の存在が疑いのないものになったことを知った。
詳しい説明はここではできないが、カルダノの3次方程式の公式では計算の途中で虚数単位 i が出てくる例があるが、最後には解は実数となることがある。
確かに、2次方程式においても虚数の存在を認めないと解なしという場合が出てくるけれども、解を実数に限定してそれ以外の解は認めないという立場はありうるが、3次方程式では実数の解に限っても途中で虚数が出てくるとなれば、確かに虚数の存在を認めければならないだろう。
このことを遠山さんの『数学入門』には書いてあるのだ。このことはすでに2回はこの書の上巻を読んだことがあるので、頭に残ってもよかったはずだのに、頭には残っていなかった。これに関した詳細なエッセイをいずれ書くつもりである。
このブログでも天才物理学者といわれたファインマンがギリシャで小学校生相手だかに講演したときに、ギリシャの幾何学が最高の学問だということでギリシャの子どもたちが、委縮していると聞いて、ヨーロッパの科学の最高の成果はカルダノの3次方程式の解であり、ギリシャで発展したユークリッド幾何学ではないといったと書いた。
そのときに私はカルダノの3次方程式の解がヨーロッパにおける最高の成果だということに疑問を呈した。しかし、やはり虚数の存在を確かにしたものととして3次方程式の解があるなら、これはファインマンの主張に賛成せざるを得ないであろう。
このことを私は自分の浅薄さために理解できなかったらしい。
遠山 啓『数学入門』上、下(岩波新書)は名著であるが、この書のどこかに虚数の存在はカルダノの3次方程式の解によってようやく根拠づけられたとあったと思う。
私はそれは2次方程式の間違いではないのかと思っていた。ところがこの『数学入門』は初版では多くのミスプリントがあったが、最新の版を見ると少なくとも初版に私が見つけていたミスプリントはなくなっていた。
ところが、虚数が存在する理由を説明したこの箇所だけは3次方程式となっていて、2次方程式とは修正されていない。それでこれはミスプリントが残っている例だと思っていた。
ところがこれは私の誤解であって、やはりカルダノの3次方程式の解にいたって虚数の存在が疑いのないものになったことを知った。
詳しい説明はここではできないが、カルダノの3次方程式の公式では計算の途中で虚数単位 i が出てくる例があるが、最後には解は実数となることがある。
確かに、2次方程式においても虚数の存在を認めないと解なしという場合が出てくるけれども、解を実数に限定してそれ以外の解は認めないという立場はありうるが、3次方程式では実数の解に限っても途中で虚数が出てくるとなれば、確かに虚数の存在を認めければならないだろう。
このことを遠山さんの『数学入門』には書いてあるのだ。このことはすでに2回はこの書の上巻を読んだことがあるので、頭に残ってもよかったはずだのに、頭には残っていなかった。これに関した詳細なエッセイをいずれ書くつもりである。
このブログでも天才物理学者といわれたファインマンがギリシャで小学校生相手だかに講演したときに、ギリシャの幾何学が最高の学問だということでギリシャの子どもたちが、委縮していると聞いて、ヨーロッパの科学の最高の成果はカルダノの3次方程式の解であり、ギリシャで発展したユークリッド幾何学ではないといったと書いた。
そのときに私はカルダノの3次方程式の解がヨーロッパにおける最高の成果だということに疑問を呈した。しかし、やはり虚数の存在を確かにしたものととして3次方程式の解があるなら、これはファインマンの主張に賛成せざるを得ないであろう。
このことを私は自分の浅薄さために理解できなかったらしい。