物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

四元数の発見とcinii検索

2015-07-03 16:52:37 | 日記
国立情報学研究所の検索サイトで小著『四元数の発見』(海鳴社)を検索するとこの書を購入している大学はいまでは39大学に及んでいる。

よく売れたいうべきか、もっと売れてしかるべきだたとか、一概にいうことはできない。全国の大学は数百もあるのだから、たったの39冊しか売れていないというのは著者としてはがっかりするようなことでもある。

しかし、四元数などというテーマは私の人生でもごく最近まで関心をもったことなどなかったのだから、世間が冷たいなどとは言えないだろう。

ただ、例えば私の生まれた I 市の市立図書館に1冊入っているから、図書館の司書さんは購入を検討するときに私がその I 市の出身であることを考慮して下さったのだろうと思う。

というのは『四元数の発見』などという書は普通の人のからは縁の遠い書物であることはまちがいない。私が長年勤めていた E 大学でも図書館が購入してくれている。これは私を知っている人がおもしろそうだと思って図書館を通じて研究用の図書として購入してくれたのかどうかまでは調べていない。

私の卒業した H 大学の図書館も割に早い段階で購入してくれていたので、やはり図書館が自分の大学の出身者の書いた比較的安価な本ということで購入をしてくれたのかもしれない。そういうことを思うといろいろなご縁をうけているわけである。

もちろん著者としては義理に購入して頂くのではなくて、実際に読んでもらいたいものだが、アマゾンコムでの書評以外には私の知るところでは書評らしい書評はインターネットでは見られない。

一つだけ読もうとして下さったらしい評がインターネットにあったが、一言だけで「まるで数学パズル」とだけあった。

多分、この本を読む動機が薄ければ、そういう感想が出てくるのは避けられない。私本人だって自分が書いたのでなければ、敬遠したいような書の最たるものである。だが、それはそうだが、私がこのような本を書く前にどなたかがすでに書かれてしかるべきだったものだと思っている。

そしてそれは読む気さえ起こしていただければ、本当に高校数学だけの知識でもわかるように書いてある。

ただ、すごい式の羅列を見たときに心臓麻痺を起してしまう数式アレルギーの人には勧められない。

ただ、数式といえどもある種の言語みたいなものであり、それを英語かドイツ語を読む解くみたいに読めばいいのだというくらいのことはわかっていてほしい(注)。

そうすることがもしできると、一見したところ数学パズルだとの印象はまったく違って来る。だが、そういう風に考えてこの書を評価して下さった方はまだ少なそうである。

やはり英訳して世界にその評価を問わなくてはならないのだろうか。

(注)数学を一種の言語だとする考えは正しくはないのかもしれないが、そういう考えもあることは事実である。いまはそういった哲学的な話はさけたい。

間違った解答

2015-07-03 15:41:23 | 日記
ついでという訳ではないが、ドイツ語2級の技能検定試験で私が明らかに間違ったところを続けてみよう。

設問4の(1)につぎのような文章があった。

(1) Bring da Spielzeug dorthin zur"uck, ( ) du es geholt hast !

選択肢は
 1 was  2 woher  3 wie  4 wohin

であった。よくわからなかったので、しかたなく3のwie選んだのだが、正解は2のwoherらしい。文章の意味は、「そこからとってきたおもちゃをそこへ戻しなさい」という意味らしい。

そう説明をされるとそれでいいような気がするが、この文章を読んだときにはどれを答えとしていいか皆目見当がつかなかった。一つだけわかったのは1のwasはダメだろうということぐらいしかわからなかった。

これはesとすでに目的語があるので、wasだけはとれないだろうということだった。さらに今考えるとdorthin zur"uckとあるので、wohinは選択肢からはずれるだろう。そしてそこからおもちゃをとってきたという考えにちゃんと至れば、woherしか解答の選択肢は残らない。

そんな理詰めの思考はまったく起こらなかった。ある種の パニックに頭がなっていたと思う。

もう一つ明らかに私がまちがえたのは設問6の(1)であった。設問の冒頭部分に関係したところだが、

Afrikanische Elefanten erkennen das schon (A) Klang der menschlichen Stimme, berichten Wissenschaftler im Fachmagazin PNAS.

とあって、この(A)の選択肢は

1 am 2 beim 3 vom 4 zum

の4つである。ヤマ勘で3のvomを選んだのだが、正解は1のamだという。どうも

jn an et(3格)erkennenといういい方があるので、an dem=amらしい。そう思うと声の響きに接してという感じでamがよかったのかなといまにして思うが、これは後知恵であり、もうおそい。

他にもう解答の記録と記憶にないところでもいくつかミスをしているだろう。ただそれがどのくらい多いのか少ないのかはもうわからない。試験結果の発表を待つのみである。

偶然にヤマ勘で答えたところが一箇所だけ答えが正しかったところがあったが、むしろこういう箇所はめずらしい。大抵はその推測をはずしているというのが実情である。

近々、第三書房のサイトから在間、亀谷先生によってドイツ語技能検定試験の正解、その解説と対策の指示が出ると思うのでそれを読んで学べることを私も楽しみにしている。

在間先生、亀谷先生よろしくお願いします。

ドイツ語検定余話

2015-07-03 13:34:12 | 日記
昨日、話法の助動詞の現在完了ということを書いたが、その他の私がミスしたことが明らかなことを書く。

a,bの文がほぼ同じ意味になるように( )中にもっとも適切な一語を入れよという設問であるが、少なくとも二つ間違った(もちろん確認できていないが他のところもまちがいがあろう)。

a: Mari und Markus treffen sich jeden dritten Tag im Caf'e.
b: Mari und Markus treffen sich (alle) drei Tage im Caf'e.

で( )中はalleが入るのが正しいのだが、バカなことにallenとnをつけてしまったと思う。
会話でallenとnがついたことは聞いたことがなかったのだが、Tagはder Tagと男性名詞だし、こういう場合の時の副詞は4格だと聞いたことがあったからである。

ところが実はこのことは正しいのだが、Tagという単数ではなく、Tageと複数になっていることを読んで見ているはずなのだが、そのことが上に書いた考察には入っていないのである。このことが私が間違った理由である。

もう一つはこれもかなり難しい話だが、次のような文章である。

a: Die Autobahnen, die man in den 60erJahren gebaut hat, werden langsam bauf"allig.
b: Die in den 60er Jahren (gebauten) A utobahnen werden langsam bauf"alig.

とすべきところをgebauteと解答して、この場合にはnが欠けていた。これもAutobahnenが複数であることを見ていながら、そのことを無視した解答であった(注1)。

こういうところはさすがにドイツ語のクラスのリーダーのOさんは見逃さない。立派なものである。

R氏がこの点についてAutobahn(en)となっているからgebaut(en)と語尾enがつくのだと言われたが、そういうことはドイツ語を母語にしている人にはあまりにも当然すぎるとしても私などはなかなか及ばないところである。

昔の学生のころ、ドイツ語の先生がこういうときにgebaut(en) Autobahn(en)というように語尾が一致しているのだと言っていたと聞いたことがある。しかし、これは私の教わった先生から聞いたことではない。文学部関係の学生が言っていたことかすかにを覚えているに過ぎない(注2)。

そういえば、NHKのテレビのドイツ語講座を長年にわたって担当しておられた小塩 節先生が形容詞の「語尾変化」は複数の場合には「えんえんとenが続く」と言われていたことをいまになって思い出した(注3)。

2番目のまちがいの例も複数であることを見ながら、それを上の空で単数としてあつかったという私特有の思いこみのまちがいがあったということである。

ドイツ語のせんせい様、どうしたらこういったまちがいがなおるでしょうか。

(注1)2番目の例で出て来たlangsamという語はこの場合には日本語でいうと「そろそろ」という訳語があてはまるだろう。一般にはlangsamとは「ゆっくり」という訳語があてはまるが、ここでは「そろそろ」という意味だろう。

(注2)gebaut(en) Autobahn(en)の二つの語の中の( )は語尾を強調するだけの意図しかない。下線を引くことができればいいのだが、それができないのでカッコで代用してある。

(注3)形容詞が格語尾変化をするということを認識したのはドイツ語を学んでから、4,5年も経った後であった。形容詞の語尾変化はドイツ語のキズだという人もある。それも何も冠詞がつかないときと不定冠詞がつくとき、定冠詞がつくときの3つの場合がある。

いまの問題では定冠詞がついているので、一番単純な場合である。用語はあまりよくは覚えていないが、形容詞の弱変化というのではなかったろうか。

(付記) 6月28日の技能検定試験のときに2級では8人の受験者がいたと言ったら、妻などはびっくりしていた。彼女は私以外の受験者がいないのではないかと心配していたのである。

「まだまだドイツ語も見捨てたものではないのだね」とか、「先生のR氏の努力が実っているね」という評価であった。

このことをR氏が聞いたら、とても喜ぶのではないかと思われるが、はたしてどうだろうか。