国立情報学研究所の検索サイトで小著『四元数の発見』(海鳴社)を検索するとこの書を購入している大学はいまでは39大学に及んでいる。
よく売れたいうべきか、もっと売れてしかるべきだたとか、一概にいうことはできない。全国の大学は数百もあるのだから、たったの39冊しか売れていないというのは著者としてはがっかりするようなことでもある。
しかし、四元数などというテーマは私の人生でもごく最近まで関心をもったことなどなかったのだから、世間が冷たいなどとは言えないだろう。
ただ、例えば私の生まれた I 市の市立図書館に1冊入っているから、図書館の司書さんは購入を検討するときに私がその I 市の出身であることを考慮して下さったのだろうと思う。
というのは『四元数の発見』などという書は普通の人のからは縁の遠い書物であることはまちがいない。私が長年勤めていた E 大学でも図書館が購入してくれている。これは私を知っている人がおもしろそうだと思って図書館を通じて研究用の図書として購入してくれたのかどうかまでは調べていない。
私の卒業した H 大学の図書館も割に早い段階で購入してくれていたので、やはり図書館が自分の大学の出身者の書いた比較的安価な本ということで購入をしてくれたのかもしれない。そういうことを思うといろいろなご縁をうけているわけである。
もちろん著者としては義理に購入して頂くのではなくて、実際に読んでもらいたいものだが、アマゾンコムでの書評以外には私の知るところでは書評らしい書評はインターネットでは見られない。
一つだけ読もうとして下さったらしい評がインターネットにあったが、一言だけで「まるで数学パズル」とだけあった。
多分、この本を読む動機が薄ければ、そういう感想が出てくるのは避けられない。私本人だって自分が書いたのでなければ、敬遠したいような書の最たるものである。だが、それはそうだが、私がこのような本を書く前にどなたかがすでに書かれてしかるべきだったものだと思っている。
そしてそれは読む気さえ起こしていただければ、本当に高校数学だけの知識でもわかるように書いてある。
ただ、すごい式の羅列を見たときに心臓麻痺を起してしまう数式アレルギーの人には勧められない。
ただ、数式といえどもある種の言語みたいなものであり、それを英語かドイツ語を読む解くみたいに読めばいいのだというくらいのことはわかっていてほしい(注)。
そうすることがもしできると、一見したところ数学パズルだとの印象はまったく違って来る。だが、そういう風に考えてこの書を評価して下さった方はまだ少なそうである。
やはり英訳して世界にその評価を問わなくてはならないのだろうか。
(注)数学を一種の言語だとする考えは正しくはないのかもしれないが、そういう考えもあることは事実である。いまはそういった哲学的な話はさけたい。
よく売れたいうべきか、もっと売れてしかるべきだたとか、一概にいうことはできない。全国の大学は数百もあるのだから、たったの39冊しか売れていないというのは著者としてはがっかりするようなことでもある。
しかし、四元数などというテーマは私の人生でもごく最近まで関心をもったことなどなかったのだから、世間が冷たいなどとは言えないだろう。
ただ、例えば私の生まれた I 市の市立図書館に1冊入っているから、図書館の司書さんは購入を検討するときに私がその I 市の出身であることを考慮して下さったのだろうと思う。
というのは『四元数の発見』などという書は普通の人のからは縁の遠い書物であることはまちがいない。私が長年勤めていた E 大学でも図書館が購入してくれている。これは私を知っている人がおもしろそうだと思って図書館を通じて研究用の図書として購入してくれたのかどうかまでは調べていない。
私の卒業した H 大学の図書館も割に早い段階で購入してくれていたので、やはり図書館が自分の大学の出身者の書いた比較的安価な本ということで購入をしてくれたのかもしれない。そういうことを思うといろいろなご縁をうけているわけである。
もちろん著者としては義理に購入して頂くのではなくて、実際に読んでもらいたいものだが、アマゾンコムでの書評以外には私の知るところでは書評らしい書評はインターネットでは見られない。
一つだけ読もうとして下さったらしい評がインターネットにあったが、一言だけで「まるで数学パズル」とだけあった。
多分、この本を読む動機が薄ければ、そういう感想が出てくるのは避けられない。私本人だって自分が書いたのでなければ、敬遠したいような書の最たるものである。だが、それはそうだが、私がこのような本を書く前にどなたかがすでに書かれてしかるべきだったものだと思っている。
そしてそれは読む気さえ起こしていただければ、本当に高校数学だけの知識でもわかるように書いてある。
ただ、すごい式の羅列を見たときに心臓麻痺を起してしまう数式アレルギーの人には勧められない。
ただ、数式といえどもある種の言語みたいなものであり、それを英語かドイツ語を読む解くみたいに読めばいいのだというくらいのことはわかっていてほしい(注)。
そうすることがもしできると、一見したところ数学パズルだとの印象はまったく違って来る。だが、そういう風に考えてこの書を評価して下さった方はまだ少なそうである。
やはり英訳して世界にその評価を問わなくてはならないのだろうか。
(注)数学を一種の言語だとする考えは正しくはないのかもしれないが、そういう考えもあることは事実である。いまはそういった哲学的な話はさけたい。