私が関心をもっている武谷三男は他人から称賛されることもあったが、大いに批判される人でもあった。
それで批判した人の書いた本を先ず記録にとどめておかねばならないと考える。
それらは
1.広重 徹『科学と歴史』(みすず書房)
2.中村静治『新版・技術論論争史』(創風社)
3.伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』(風媒社)
4.伊藤哲郎『日本の社会主義』(岩波書店)
等である。他にもあるかも知れないが、特に2と3とはそのことに丸々1冊の本をあてているというすごさである。昨日の日曜日に3の『生物学思想』を少し読んでみたが、この中で伊藤さんはかなり徹底的に武谷を批判している。そしてそれがどうもかなり正しいのではないかと思った。
これは面倒なことになったものだ。もっとも私は武谷は間違わないなどという、武谷無謬説をとる、武谷信者ではないので、別にあまり困ることはないのだが、それでもその取り扱いをどうするかが思案のしどころである。
1についてはすでに私も広重の批判については自分なりの見解を『徳島科学史雑誌』で述べた。4の本は購入したはずなのだが、いまどこを探しても見あたらない。
3は生物学のルイセンコの獲得形質の遺伝を武谷が晩年まで否定しなかったという批判だが、武谷が妙に進化論と遺伝学の間のギャップについての自分の問題意識を固執したためにだろうか、伊藤さんから不勉強と批判されている。
4ではいま手元にその本が見当たらないのでちょっとしようがないが、武谷が原子力の平和利用を認めたがために、福島第一原発の事故が起きたというような話かとと思うが、それはそうではないので、ちょっと言いがかりであろう。
戦後の一時期、原子力の平和利用について述べたこともあったが、次第に原発については武谷は批判的になった。
2は技術の定義に関する論争であり、中村さんは技術とは労働手段の体系であるという立場の方だと思う。
そしてその書き方がところどころいやらしい書き方をされているので、それを除いてみたときにどれくらい本質的な批判があるのかはちょっと詳細に調べて見なければならない。
看護学の観点から武谷技術論を学んだ方で、中村静治さんとちょっとかかわりがある方に川島みどりさんがおられる。川島みどりさんは中村先生の技術論と武谷・星野技術論の優劣とかにはまったく触れられていない。
ただ、言えることは川島さんたちが中村さんの意見を取らずに武谷技術論を採用していることである。すなわち、看護学上の実践には武谷技術論が有用であるとの判断をしている。
水俣病に取り組んだことで知られる、原田正純さんは裁判のときに彼自身が法理論的にはおかしいと感じておられたことが結局は武谷の「安全性の考え方」にもとづいて法理論的な裏付けを得て裁判をすることができて、勝訴したと言われている。
こういういくつかのところで実は武谷は大いに貢献をしているのだが、そういう風には武谷を批判する人たちは見ない。そこらあたりが、どうかと思うところである。
それはともかく、部分的な伊藤さんみたいな批判のしかたは論としてある程度成功を収めているのではなかろうかと思うようになった。
それで批判した人の書いた本を先ず記録にとどめておかねばならないと考える。
それらは
1.広重 徹『科学と歴史』(みすず書房)
2.中村静治『新版・技術論論争史』(創風社)
3.伊藤康彦『武谷三男の生物学思想』(風媒社)
4.伊藤哲郎『日本の社会主義』(岩波書店)
等である。他にもあるかも知れないが、特に2と3とはそのことに丸々1冊の本をあてているというすごさである。昨日の日曜日に3の『生物学思想』を少し読んでみたが、この中で伊藤さんはかなり徹底的に武谷を批判している。そしてそれがどうもかなり正しいのではないかと思った。
これは面倒なことになったものだ。もっとも私は武谷は間違わないなどという、武谷無謬説をとる、武谷信者ではないので、別にあまり困ることはないのだが、それでもその取り扱いをどうするかが思案のしどころである。
1についてはすでに私も広重の批判については自分なりの見解を『徳島科学史雑誌』で述べた。4の本は購入したはずなのだが、いまどこを探しても見あたらない。
3は生物学のルイセンコの獲得形質の遺伝を武谷が晩年まで否定しなかったという批判だが、武谷が妙に進化論と遺伝学の間のギャップについての自分の問題意識を固執したためにだろうか、伊藤さんから不勉強と批判されている。
4ではいま手元にその本が見当たらないのでちょっとしようがないが、武谷が原子力の平和利用を認めたがために、福島第一原発の事故が起きたというような話かとと思うが、それはそうではないので、ちょっと言いがかりであろう。
戦後の一時期、原子力の平和利用について述べたこともあったが、次第に原発については武谷は批判的になった。
2は技術の定義に関する論争であり、中村さんは技術とは労働手段の体系であるという立場の方だと思う。
そしてその書き方がところどころいやらしい書き方をされているので、それを除いてみたときにどれくらい本質的な批判があるのかはちょっと詳細に調べて見なければならない。
看護学の観点から武谷技術論を学んだ方で、中村静治さんとちょっとかかわりがある方に川島みどりさんがおられる。川島みどりさんは中村先生の技術論と武谷・星野技術論の優劣とかにはまったく触れられていない。
ただ、言えることは川島さんたちが中村さんの意見を取らずに武谷技術論を採用していることである。すなわち、看護学上の実践には武谷技術論が有用であるとの判断をしている。
水俣病に取り組んだことで知られる、原田正純さんは裁判のときに彼自身が法理論的にはおかしいと感じておられたことが結局は武谷の「安全性の考え方」にもとづいて法理論的な裏付けを得て裁判をすることができて、勝訴したと言われている。
こういういくつかのところで実は武谷は大いに貢献をしているのだが、そういう風には武谷を批判する人たちは見ない。そこらあたりが、どうかと思うところである。
それはともかく、部分的な伊藤さんみたいな批判のしかたは論としてある程度成功を収めているのではなかろうかと思うようになった。