武谷三段階論がいつごろから、科学者の世界で知られるようになったのかとか、実体の導入ということを武谷がいつごろ考えるようになったのか、それはまた何を契機としたものか。
武谷は自伝的回想で、三段階論と湯川理論という章を設けてはいるが、あまりピンとはこない。それをもっと掘り下げた議論がいるのではないかと思うようになった。
現象と本質という区分は別に武谷によらなくても多くのところで見かける。ところが実体というのは武谷三段階論を特長づけているにもかかわらず、本人の語るところを読んでもどこから来たアイディアなのかはっきりしない。
カッシラーの「実体概念と機能概念」とかいう本だとか、中井正一の「委員会の論理」で機能と実体との概念の対立とかが形式的には実体という概念が出てきた契機とも考えられるが、さてどうなんだろう。
広重徹の「三段階論は科学史の観点からは的外れだ」という見解はあたっているかもしれないが、やはり実体という概念を導入した点では考え方としてはやはり新しいと考える。
武谷は自伝的回想で、三段階論と湯川理論という章を設けてはいるが、あまりピンとはこない。それをもっと掘り下げた議論がいるのではないかと思うようになった。
現象と本質という区分は別に武谷によらなくても多くのところで見かける。ところが実体というのは武谷三段階論を特長づけているにもかかわらず、本人の語るところを読んでもどこから来たアイディアなのかはっきりしない。
カッシラーの「実体概念と機能概念」とかいう本だとか、中井正一の「委員会の論理」で機能と実体との概念の対立とかが形式的には実体という概念が出てきた契機とも考えられるが、さてどうなんだろう。
広重徹の「三段階論は科学史の観点からは的外れだ」という見解はあたっているかもしれないが、やはり実体という概念を導入した点では考え方としてはやはり新しいと考える。