物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

シリア難民

2015-09-16 12:25:36 | 日記
ヨーロッパ、特にドイツを目指す、シリア難民は30万人ともいう。ところがそれはほんの一握りの幸運な人たちであって、大多数のシリア人は難民にもなれず苦しんでいるという。

1000万人とも2000万人ともいうシリア人は国の独裁に反抗した対抗勢力とそれに現在では勢力をのばしてきたISSとの3つばさみになって動きがとれないのだという。

独裁政権も政権なら、それに対抗する勢力もそれぞれが自分の主張が正しいというのだろうが、多くのシリア人はそのために困難を甘受している。こういったことは今では世界のいたるところで見られるようになった。

正義とはどこでも怪しげなものではあるが、その影響を受けざるを得ない人々の苦労はまた想像を絶するものがある。

シリアは中東では緑豊かな富んだ地域であったという。そこで独裁政権がはびこり、それに対抗した勢力が現れ、またISSが現れた。

インテリで比較的裕福なシリア人はシリアを見捨てて、ヨーロッパを目指して難民となったが、難民にもなれなかった多くのシリア人の苦難は果てしなく続く。

ところが問題はシリアだけに限らないから、ことが深刻である。私たちの住む日本とていつシリアのようにならないとも言えない。






待つこと

2015-09-16 11:44:50 | 日記
一番「待つ」ということを骨身にしみてわからせられるのは、どこかで待ち合わせをしているのに相手がなかなか現れないという場合だろうか。

待つというときには他になにかしたいことがあるのだが、それができない時間ということになる。

松山でも算数の学習会が月に1回あるが、そこで学んだことは教えるということのなかでの大事なことが「待つ」ということであった。ベテランの小学校の先生だった S さんは退職後に自宅で小学生や中学生、最後には高校生までを算数や数学を教えた。そしてそのときに重要なのは子どもが考えている時間をじっと我慢して待つということだったという。

単に待つということだけのような気もするが、やはりよい先生の条件は生徒や児童が考える時間を黙って待つということに大きな意義を見出すということだろう。

どうも私などは待つことができない。自分の知っている知識をひらけかすという傾向が強い。そのこともまた何かを教えるときの大事な要素かとは思うが、やはり実はこどもの頭を信頼して、じっと我慢して待つという教育方法には勝てないような気がする。

待つということの別に哲学的な意味を考えるというほど暇人ではないが、いろいろのところに「待つ」ことの効用があるのは事実である。またある場合にはイライラしてでも待つ以外にどうしようもないこともある。

たとえば、北朝鮮に拉致された人の家族には現在のところ待つ以外に方法がないのは残念である。待っている以外になすすべがない人の幸運を祈るしか私にはいいすべを思いつかない。