物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

多くの書類

2015-09-10 11:46:44 | 日記
多くの書類ができている。大学に在職中とか学生の時からだから、しかたがない。大学に在職中のときの事務的な書類の大部分は辞めたときに廃棄したけれども、研究に関係した書類とか教育の授業に関係した書類とかはさすがに廃棄するのをためらったためにかなり大量の書類が残っている。

生きているうちに始末をつけなければならないのだが、まだ自分には寿命が来ないと楽観的である。それにいまでも『数学・物理通信』のバックナンバーでも結構な量になりつつある。

在職中に愛媛県数学教育協議会の機関誌に書いた原稿もかなりの量になっている。もっともこれらはそのほとんどを小著『数学散歩』(国土社)に掲載したから、捨ててしまってももういいかもしれない。

研究といっても大した研究はしなかったが、その計算紙も結構な量になっている。一部は論文にすることができたが、論文にもならないで、ほこりをかぶっているだけのものもある。

妻にしたら、もういい加減にして、始末したらという気持ちであろう。その気持ちはわからないでもないが、なかなか捨てられない。それに大学院のころにセミナーで先生と一緒に講読してもらった本の計算のノートもある。

先日も私たちの先生であった、 S さんの追悼文を書くので、HeitlerのQuantum Theory of Radiation(輻射の量子論)のノートを引っ張り出してきて、追悼文の一部を書く参考にした。とはいってもHeitlerの書のハイライトとでもいうべき、Klein-NishinaのX線の電子による散乱の公式の計算について述べたという訳でもない。

もっとマイナーな話題の「2軸球面」ということについて書いたのである。そんなことなど誰も問題にしないようなことである。

まだ、この書はよかったのだが、その後に講読してもらったK"allenのQuantenelektrodynamikはどうもよく分からず、後で一人ひそかにSchweber,Bethe, de HoffmanのMesons and Fields Iを読んでようやくFeynmannグラフの計算の筋道がわかったというなんともお粗末な次第であった。

ということで読み通せた本もあるし、途中でわからなくなって読むことを放棄した本もたくさんある。どうせ昔の計算ノートなどほとんどものの役には立たないことはわかっているのだけれども。