戦争は技術を進めるかについてはいろいろ考えがあろう。戦争がない世界がいいことはわかっているが、戦争のない世界はなかなかやってこない。
日本は戦争を放棄したはずだったが、安保法案が国会を通過したのでその憲法の条文が権威を失って来つつある。これは由々しいことである。
ただ、どうも軍事的技術からの転用で民生品になったものも多いようだ。大体、原発にしてももともと原潜用の原子炉から原子力発電所の原子炉がうまれたとか言われている。
GPSなどもそもそもは軍事技術だとも言われる。レーダー技術にしてもそうである。戦争をしないでその費用を科学技術に振り向ければ、科学技術は格段に進むはずだという論もあるらしいが、要するにそういう動機ではなかなか動機づけがされないということがある。
どうも戦争のための技術にしろ技術が進むのだから、いいではないかという主張の人もいるかと思うが、私自身はそれがいいと思ったことはない。しかし、戦争または軍事技術から派生した技術は多いらしい。
最近ニュースの話題になる、ドローンにしても軍事技術としての開発ということが当初の眼目にあったろう。数十年前に大陸間ミサイルを無力にする軍事技術とかが問題になってSDI構想とか言われたが、そういうものはできないし、もしそれができても力のバランスを崩すのでかえって軍事的に不安定になる。
SDI構想を進めたのは故レーガン大統領であったが、心あるアメリカの物理学者はその構想に反対だったと聞いたことがあるか、読んだことがある。
そのうちにこんな構想を口にする人はいなくなり、よかったと思っている。
軍事技術ということで思い出したのが、風船爆弾のことである。風船爆弾は少なくとも数個がアメリカまで飛んでいき、数人のアメリカ市民を殺傷したことは事実らしいが、これが戦争の帰趨を決めたりすることはまったくなかった。先日テレビで当時幼いときの友人一家が森にハイキングに行き、その風船爆弾の犠牲になったという方が現にいるということを報道されていた。
第一次世界大戦のときに毒ガスが発明されてそれで兵隊がいくらか死んだり、傷害を負ったりしたことは事実だろうが、やはりそれが戦争の勝敗を決するほどではなかった。
毒ガスをつくって初めて使ったのはドイツ側であったと思うが、だからドイツが第一次世界大戦で勝利を収めることはなかった。
原爆に関してはそれが第2次世界大戦に汚点を残したことは確かだが、それがなくても戦争の趨勢はもう明らかだったというのが歴史家の現在の大方の評価のようである。
日本は戦争を放棄したはずだったが、安保法案が国会を通過したのでその憲法の条文が権威を失って来つつある。これは由々しいことである。
ただ、どうも軍事的技術からの転用で民生品になったものも多いようだ。大体、原発にしてももともと原潜用の原子炉から原子力発電所の原子炉がうまれたとか言われている。
GPSなどもそもそもは軍事技術だとも言われる。レーダー技術にしてもそうである。戦争をしないでその費用を科学技術に振り向ければ、科学技術は格段に進むはずだという論もあるらしいが、要するにそういう動機ではなかなか動機づけがされないということがある。
どうも戦争のための技術にしろ技術が進むのだから、いいではないかという主張の人もいるかと思うが、私自身はそれがいいと思ったことはない。しかし、戦争または軍事技術から派生した技術は多いらしい。
最近ニュースの話題になる、ドローンにしても軍事技術としての開発ということが当初の眼目にあったろう。数十年前に大陸間ミサイルを無力にする軍事技術とかが問題になってSDI構想とか言われたが、そういうものはできないし、もしそれができても力のバランスを崩すのでかえって軍事的に不安定になる。
SDI構想を進めたのは故レーガン大統領であったが、心あるアメリカの物理学者はその構想に反対だったと聞いたことがあるか、読んだことがある。
そのうちにこんな構想を口にする人はいなくなり、よかったと思っている。
軍事技術ということで思い出したのが、風船爆弾のことである。風船爆弾は少なくとも数個がアメリカまで飛んでいき、数人のアメリカ市民を殺傷したことは事実らしいが、これが戦争の帰趨を決めたりすることはまったくなかった。先日テレビで当時幼いときの友人一家が森にハイキングに行き、その風船爆弾の犠牲になったという方が現にいるということを報道されていた。
第一次世界大戦のときに毒ガスが発明されてそれで兵隊がいくらか死んだり、傷害を負ったりしたことは事実だろうが、やはりそれが戦争の勝敗を決するほどではなかった。
毒ガスをつくって初めて使ったのはドイツ側であったと思うが、だからドイツが第一次世界大戦で勝利を収めることはなかった。
原爆に関してはそれが第2次世界大戦に汚点を残したことは確かだが、それがなくても戦争の趨勢はもう明らかだったというのが歴史家の現在の大方の評価のようである。