英語の本なら読めなくても当然かもしれないが、日本語の本でもなかなか読めない本もある。先日から中村静治の『技術論論争史』を読み始めたが、なかなかわからない。
それでもようやく1章を読んだら、少しづつ頭に何かかすかに残って来そうである。とはいってもまだままだ何かが残るというところまではいっていない。
技術の定義の論争経過をたどった本なのだが、こういう本は読みなれていない。大体、私はあまり読書家ではない。
それでも一度読んでおかなくてはと思い出したのは武谷三男の技術の定義を批判した本だと聞いているからである。
終わりの方の武谷批判のところはすでに前に読んでいるのだが、ちょっと議論のしかたがいかさないというか、いやらしいところがあって、私にはちょっとどうかと感じたところであった。
これは加藤哲郎の『日本の社会主義』でもまた伊藤康彦の『武谷三男の生物学思想』でもちょっと似たところがあって、これらの武谷批判は間違ってはいないかもしれないが、あまりそれらをそのままにはとりたくはないという気がしている。
武谷はなにか気難しいところとかがあるが、それでも彼の身に起こった経験を斟酌してやらないとやはりいけないのではないかと感じている。
その斟酌を抜きにして、言葉通り批判をするとやはり行き過ぎるのではないか。そう思ってはいるが、真摯にこれらの書物に接していかねばらない。
それでもようやく1章を読んだら、少しづつ頭に何かかすかに残って来そうである。とはいってもまだままだ何かが残るというところまではいっていない。
技術の定義の論争経過をたどった本なのだが、こういう本は読みなれていない。大体、私はあまり読書家ではない。
それでも一度読んでおかなくてはと思い出したのは武谷三男の技術の定義を批判した本だと聞いているからである。
終わりの方の武谷批判のところはすでに前に読んでいるのだが、ちょっと議論のしかたがいかさないというか、いやらしいところがあって、私にはちょっとどうかと感じたところであった。
これは加藤哲郎の『日本の社会主義』でもまた伊藤康彦の『武谷三男の生物学思想』でもちょっと似たところがあって、これらの武谷批判は間違ってはいないかもしれないが、あまりそれらをそのままにはとりたくはないという気がしている。
武谷はなにか気難しいところとかがあるが、それでも彼の身に起こった経験を斟酌してやらないとやはりいけないのではないかと感じている。
その斟酌を抜きにして、言葉通り批判をするとやはり行き過ぎるのではないか。そう思ってはいるが、真摯にこれらの書物に接していかねばらない。