今日の朝日新聞の鷲田清一さんの「折々のことば」は Je t'aime beaucoup.だった。もちろん、Je t'aime のほうが Je t'aime beaucoupよりも「愛が深い」という説明をつけ加えることを鷲田さんは忘れていない。
その理由を説明するのが今回のコラムの眼目であったのだろう。あるフランスの哲学者の説明によると「ある人への愛は、量とか程度、比較などを超えたところではじめて生まれるからだ」という。
そうはいってもなかなか理解ができないものだが。
小田実と開高健の『英語カタカナ辞典』だったかに名うての女たらしは I love you とだけいってなにも副詞をつけないとあった。それを読んだのはもう20年以上も昔のことだ。そのときは「ふうん」と思ったものだが、その後NHKのフランス語講座で副詞をつけると愛する程度が相対的になると聞いた。それで小田実のいう「名うての女たらしはうんうん」は誤解(?)であり、言語としてそうなのだと知った。
このことは前にもこのブログに書いたことがあるとおもうが、それがいつのことだったかは検索するのが面倒だからしていない。
ちなみにbeaucoupはボークーと発音する。妻なんかはボーク―を「ぼく」と勘違いしていた。、これは「たくさん」だとか「とても」とかを意味する言葉である。
その理由を説明するのが今回のコラムの眼目であったのだろう。あるフランスの哲学者の説明によると「ある人への愛は、量とか程度、比較などを超えたところではじめて生まれるからだ」という。
そうはいってもなかなか理解ができないものだが。
小田実と開高健の『英語カタカナ辞典』だったかに名うての女たらしは I love you とだけいってなにも副詞をつけないとあった。それを読んだのはもう20年以上も昔のことだ。そのときは「ふうん」と思ったものだが、その後NHKのフランス語講座で副詞をつけると愛する程度が相対的になると聞いた。それで小田実のいう「名うての女たらしはうんうん」は誤解(?)であり、言語としてそうなのだと知った。
このことは前にもこのブログに書いたことがあるとおもうが、それがいつのことだったかは検索するのが面倒だからしていない。
ちなみにbeaucoupはボークーと発音する。妻なんかはボーク―を「ぼく」と勘違いしていた。、これは「たくさん」だとか「とても」とかを意味する言葉である。