complementaryという語を今朝はつぶやいている。相補原理という原理をデンマークの物理学者ボーアが思いついた。これは多分量子力学での粒子性と波動性の理解が難しくて、たとえば、電子は一方で古典的な粒子ともみなされるのにやはりある種の波動性ももっている。
古典的な描像では粒子とはある小さな箇所に質量とか電荷がかたまっているというイメージだが、一方の波動は空間に広がっている。見て感じることができる波は水面の波である。海の波などがその典型である。
この波は電磁波の波などだと空間に3次元的に分布しているのだが、海の波だとある平均的、近似的な平面のまわりで運動している。すくなくとも一カ所にかたまって存在してはいない。
シュレディンガーなどはこの波で電子のような粒子をつくろうと考えたらしいが、波は時間が経つと壊れていく。これは海の波などだと大きな波が崩れて白い泡が生じるのでわかる。
ソリトンで有名だった広田良吾先生の講義を聞いたときに彼は波の上部の方が下部よりも速度が速いと図を描いて示していた。それで波の上部が早いから一度塊としてできた波群は上部の方が速度が速いから、砕けるのである。よく映画とか写真で上から波が覆いかぶさっているようなところをサーフィンしているサーファーを見る。これなどは波の上部の速度が下部の部分よりも速いために起こる現象である。
有名な葛飾北斎の波間の富士などもこういう知識を持ってみると理解できる。北斎がこのことを理解していたかどうかはわからないけれども。私にしても広田先生の講義を聞くまではそんなことも知らなかった。
complementaryに返ると、実はあるえらい先生からあるときにSさんと君とはcomplementaryだろうと言われたのを思い出したのである。この S さんも、私が偉い先生だと思っていた、K 先生ももう亡くなって久しい。