物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

カズオ・イシグロを探して

2017-12-11 12:53:28 | 日記

とかなんとかいう、NHKのテレビを途中からみた。カズオ・イシグロは今年のノーベル文学賞の受賞者である。その作品の部分を朗読しながら、イシグロさんの遍歴を探るというような番組であった。

私は一つも彼の小説を読んだことはないのだが、なかなかの作家であるらしい。彼の文学的な課題が記憶ということにあるとか。

一番初めの小説は日本の記憶を記録しておきたいという気持ちから書いたという。5年に一度くらいしか作品を発表しない寡作な作家であるが、その作品は深いらしい。いつか代表作の『日の名残り』を読んで見ようか。


遍路と巡礼

2017-12-11 12:29:17 | 日記

巡礼とは世界のいたるところにある。

イスラム教でもキリスト教でもはたまた仏教でも巡礼はある。フランス語ではpelerinageとか言うし、ドイツ語でもPilgerschaftとかPilgerfahrtという。巡礼者はフランス語で、un pelerin, une pelerineとかドイツ語ではPilger, Pilgerinとかいう。

四国遍路は世界無形文化遺産に登録したいとかそういう動きがあるが、まだ登録されたとは聞いていない。最近ではヨーロッパ人が四国遍路で歩いていたりするようだが、まだ私自身はそういう人を目撃したことはない。

私の故郷の I 市の実家の前を菜の花が咲く、春になるとチリンチリンと鈴を鳴らしてお遍路さんが通ったものである。最近では歩き遍路の方は少なくなったが、それでもときどきは見かける。

私がそこに行ったことがあるわけではないが、スペインのサンチアゴ・コンポステイラは昔からの巡礼地として有名である。フランスのモン・サンミシェルとかもそういう巡礼地なのかもしれない。

妻が今朝私に話してくれたところでは、封建時代の江戸時代ですら、さすがにお参りにいくとか巡礼に出るということにはあまり反対できなかったらしい。だから、現在なら、いわゆる「気晴らし」(フランス語ならdivertissment)に出かけるために巡礼に出ることもあったらしい(注)。

それにしても1回で十分なはずだのに何回も巡礼に出かける心理はどういうものだろうか。その辺はよくわからないが、ひょとしたら、一度読んだ本を読む返すようなものなのだろうか。

(注)私はあまりよくは知らないのだが、モーツアルトの曲にDivertissment(ディヴェルティスマン)というのがあるらしい。これはひょっとしたら、フランス語ではなくて、イタリア語かも知れない。


四国遍路

2017-12-11 12:17:31 | 日記

を何回もしたことのある人は先達さんという資格を得るとか聞いた。

妻の知人の女性が毎年年末に松山の石手寺に葉牡丹の鉢を二鉢、三鉢寄贈している。この人は何度も多分車でであろうが、四国遍路をしていて、多分10回以上したためであろう。先達の資格を得ているという。

妻の別の知人がこの葉牡丹の栽培をしている。それで年末にそこに葉牡丹を買いにでかけるのであるが、その世話を妻がしている。

葉牡丹を寄贈している女性は、だから石手寺の住職の加藤俊生さんと懇意であるとか聞いた。石手寺は松山の名所の一つに挙げられているところである。

だが、普通のお寺と違って檀家がないのだという。もっともこのことの真偽のほどはわからない。しかし、何人かのボランティアの方がいて、石手寺になにか花の鉢植えを寄贈したり、掃除に行ったりしているのだという。

そういうボランティアの支えられて、松山の観光名所としての石手寺が運営されているとも聞く。もっともそういうボランティアの人は何かのことでお大師(弘法大師)さまの御利益を受けているという感謝の念をもっているのであろう。