物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

同じことばのくり返し

2015-05-16 12:40:01 | 日記
ドイツ語のクラスでも最近のNHKのフランス語講座でも同じ言葉のくりかえしは避けられるといつも聞いている。

日本語の文章でもそうであるのかは知らなかったが、今朝の朝日新聞の「ことばの食感」というコラムに中村明さんがやはり日本語でもそうだと書かれている。

彼が引用しているのは夏目漱石の「ロンドン塔」のなかの文章である。また永井龍男の「短篇に同じことばが出てくるのは興ざめだ」という引用もある(注)。

しかし、日本語は代名詞の彼とか彼女とかそれとかあまり使う言語ではないから、しかたがない面もある。

そうはいっても私なども同じ口調が数行の間に2回も3回も出てくるような文章を書くことも経験している。それでそういう同じ文句はやはりダサいということで2回目以降は言い方を変えるように努力している。

とはいうものの文章の見直しを忘れると同じく文句が数行内に何度も出てきたりして恥ずかしい思いになる。そういう文章を書いたことに気づいたら、できるだけ早く修正するようにしてはいるけれけれども。

(注)夏目漱石の「ロンドン塔」はロンドンのところが漢字で書かれているが、この漢字を読める人は少なくなっていると思うので、あえてロンドンとカタカナ表記をした。

そういえば、このテムズ河畔のこのロンドン塔を訪れたのも何十年も昔になってしまった。もう記憶がさだかではないが、バッキンガム宮殿の衛兵と同じ、銃剣をもった赤い軍服の衛兵が二人そこに立っていたと思う。

ビッグデータとディープラーニング

2015-05-15 13:55:04 | 日記
最近の人工知能の話題はビッグデータとディープラーニング(深層学習)の2つに尽きるとかテレビでチラッと見かけた。

それらがそれぞれどういう役割をしているのかは詳しいことは知らない。このブログでもテーマとしてあげたことがあるが、深い中身までは知らない。

ビッグデータは最近では経済的な効果を持つことがわかっており、大分業界の話題となっている。外国人の観光旅行客がどこに行っているかということがわかってその意外な行き先がテレビで話題となった。

これはGPS機能をもったスマホとかの情報を観光業者が集約してわかったとか。ディープラーニングの方はあるものの特徴はなにかをパソコン等が自分自身で学習するという。

そういうときに人間の認識の一つのあり方として知られている武谷三段階論から考えれば、実体論的な段階が不必要ということになるのだろうかという疑問を私はこのブログで述べたことがある。

いずれにしてもそれらが簡単に答えが出るとは思えないけれども、そういうことを考えている人間がいるということを知ってほしいという気がしている。

ディープラーニングの技法にもそのことがすでに取り入れられているのか、もしまだならどう取り入れられるかといった観点があろう。

だから単にディプラーニングが素晴らしい、ビッグデータが有用だというようなレベルをもっと深めることができるかどうか。こんなことを考えるのは私が年寄りのせいでもあるだろうが。

いずれにしてもディプラーニングは人間の認識構造の変革をも迫るものだろうか、それならちょっとおもしろい。

(2015.5.16 付記)松尾豊さんの本の書評をアマゾンコムで読んだら、松尾さんはまだ人工知能は人間には及ばないという見解らしい。しかし、この松尾さんの本はAI入門書としてはなかなかいい本らしいので、いつか読んでみたい。











スタイルを変更すると・・・

2015-05-15 13:22:55 | 日記
ブログのスタイルを変更すると自分のブログの閲覧は簡単になったが、どうやって自分のブログに新規投稿していいかわからなくなった。やれやれ。

なんでこうなるの?

ようやく「編集画面」という項目をクリックして新規投稿の画面に到達した。ということでへどもどしている。

ブログに新規投稿することとそのブログがちゃんと自分の思ったようになっているかを確かめることが最重要なのにどこをどうしたらよいかいろいろやってみなくてはならなかった。

ブログの新規作成というところをクリックしたら、ブログを開設するという画面だった。だって、すでにそのブログを持っているのだから、新規作成など必要がないのに。アホだと思う。

ブログの画面の設計をしている人はどういう精神構造をしているのだ、と当り散らしてみてもしかたがないか。新規投稿画面を見つけられなかった私がアホなのか。

まあ、ということで期せずしてブログの話題を提供してくれるという親切を感じた。これ皮肉ですが、この皮肉がブログのデザイナーに伝わるかな。

仏教の真髄は?

2015-05-14 13:20:28 | 日記
先日、『ブッダの最後のことば』をNHKのEテレの「100分で読む名著」でとりあげていた。

仏教とはなかなか合理的な考えだと聞くが、いつもその真髄は空性だとか聞くとよくわからなくなってしまう。

だが、すべての私たちの捉われごとは自分の心がつくりだした虚像だという。空性とはよく鏡のようなものだと言われる。鏡は空の月も雲も映すがそれらが去ればそこには何も残ってはいない。

そういうものだと聞くとなるほどそういうものかと思う。カルマ(業)だと何かを被るだとか何とかいうが、それは単に自分でつくった心のイメージにしか過ぎない。本当の本質は鏡のようにそこには何もないというのはなかなか私たち凡人には至れない境地である。

私は無神論者なので地獄も極楽も信じてはいないし、来世も信じてはいない。しかし、「生まれ代わりがあるという思想は楽観論だ」という考えを述べた湯川秀樹博士のユーモアは理解するし、その理解は深くてとても興味深いと思う。

どうしても人生を楽しむという姿勢が生きるためには必要なのだと思う。人生のいきる目的などは何年生きてもわかるものではないし、そういうものを探し続けることがいいとは思わないが、人生が楽しいものであることだけはすべての人にわかってほしいと思う。

今朝の新聞に永井均さんという哲学者(?)のことばを鷲田清一さんが書いていたが、教育の目的はモラルを教えることでは決してない。人生は楽しいものだということを教育では徹底して教えられなくては何の教育だろうという。

誠にその通りである。

英語を学ぶか、英語で学ぶか

2015-05-13 10:50:04 | 日記
雑誌『数学教室』6月号を見ていたら、数学教育協議会の代表の伊藤潤一さんのコラムで商業高校に新しく赴任した英語の先生が英語で数学を取り扱っていたという。

伊藤さんが本人に確かめたところ、この先生、実は数学の免許を持った先生であり、英語は臨時免許で教えられていたという。

これを読んで私は「英語を学ぶか、英語で学ぶか」という標語を思い出した。よくは知らないので間違っているかもしれないが、これはICU(国際キリスト教大学)のモットーであるとか。

ICUでは英語も学ぶのだろうが、英語で学ぶというのがモットーであるらしい。英語を学ぶことが目的であるよりも、英語で学ぶ方が楽しそうな気がするのは私だけではあるまい。

英語で数学を教えられていた先生は英語で2次関数とかを教えられていたらしい。ちなみに2次関数のことをquadratic functionという。また、1次関数はlinear functionというのだろうか。

また、大学で教えられる線形代数はlinear algebraである。現在では線形代数と微分積分が理工系の大学で教えられる二つの基礎数学の大きな分野である。

ちなみに木曜のドイツ語のクラスで聞いたら、マトリックス(行列)を知らない人ばかりであった。R氏はマトリックスがどんなものかは知っていたが、それが単独では演算ができないということを知らなかった。

世間の人へのマトリックスの周知度はあまり高くはないことがわかった。

55年ぶりのテクスト

2015-05-12 10:52:22 | 日記
高橋秀俊著『電磁気学』(裳華房)は私たちの年代の人にとってはバイブルのようなものであったろう。

しかし、55年振りにほこりを払って書棚から出してきて、電磁波のところを読んでいる。ところどころわからなかったところに赤いアンダーラインが入れてある。わからないところに赤線を入れておくのが私の若いときの習慣だった。

いまでもそれほど読みやすいとは思わないが、それでも計算力は上がっていると見えて昔には計算ができなかったところができるようになっている。

もっともそういうところばかりではないが、それでもわからなかったことがわかるようになっている。ベクトルポテンシャルとスカラーポテンシャルの間に成り立つロレンツ条件などは他のところで学んだので今では驚かない。

この書ではじめに見たときにはなにがなんだかわからなった覚えがある。電磁場とベクトルおよびスカラーポテンシャルの関係などももう既知である。

TE波だのTM波だのいうことを知りたくて読み返し始めたのである。私はこういう知識は導波管との関連で覚えたような気がするが、もう知識がはっきりしなくなった。それを確かめるために読みはじめたのだが、そこの部分まで読む続けることができるだろうか。

Stoicism

2015-05-11 14:17:38 | 日記
  Stoicism (est impossible)

このフランス語の文章の発音をつたなくカナで表すと、est はエでimpossibleはアンポシィッブルだが、estとimpossibleとがリエゾンして発音されて

 ストイシズム エ'タンポシスィッブル

でもなろうか。これは鷲田清一さんが書いている朝日新聞「折々のことば」の本日分(2015.5.11)である。

実はこれはネクタイの文字柄であり、そのネクタイはフランス製かどうかは書かれていなかったが、多分フランス製であろう。鷲田さんは訳として

 禁欲主義(それはむり)

と書かれている。カッコの中の(est impossible)はネクタイをしたときには、服に隠れるようになっているという。

そしてそのネクタイを外すときが密かな喜びのときでもあると書かれている。

 禁欲主義は不可能である

というのが、直訳だろう。面白味のない訳だが、これは私の文学的素養のなさなので勘弁してほしい。また、Stoicismのはじめの i に上には2重の点がついていたが、ここでは再現できないことをお断りしておく。

長田弘さんの死

2015-05-11 13:56:04 | 日記
長田弘さんという詩人がおられるということを知ったのはいつ頃だったかもうわからない。岩波のPR誌『図書』に詩人の三木卓さんが書かれていたシリーズのエッセイを読んで知ったのかもしれない。ともかくそういう人がおられるということを知ったのはそんなに昔ではない。

ときどきNHKのテレビの論説に出演されていたので、顔を覚えた。 だが、私などよりも大分の年長の方だとばかり思っていた。昨夜のテレビのニュースでこの長田さんの死を知ったが、75歳ということで実は私と同年齢だということを知った。

テレビで見たときには私よりもはるかに年上の方だとばかり思っていた。詩人として色々な賞を受賞された方でもあり、田舎に住んでいて無名の私と比べられべきるものはなにもない。

ただ、私の友人がやはり同じころに早稲田大学に在学していて、友人は建築家となった。だからひょっとしたら、長田さんのことをどこかで聞いていたかもしれない。

実は昨日(2015.5.10)の朝日新聞の「折々のことば」に長田弘さんの

  見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるようにするのが、詩だ。

ということばが出ていた。そしてこのことばは「折々のことば」を書いている哲学者の鷲田清一さんの「哲学の定義」にもなっていると鷲田さんは付け加えてあった。

鷲田さんは私よりは年下の方だと思うが、作家の片岡義男さんだとか私と同年代の人々の活躍を今後も願ってやまない。

花粉症が根治する時代

2015-05-11 13:24:09 | 日記
花粉症が根治する時代がようやくやって来つつある。

舌の下に数滴の液体をたらすことで花粉症の症状を抑えられる薬が開発されて昨年10月に発売になったという。昨日の新聞でこのことを読んだ。

これはアレルゲンといわれるアレルギーを引き起こす物質を体に取り込んで体を治すといういわゆる「アレルゲン免疫療法」らしい。

この手の療法で、アトピー性皮膚炎の根治もある程度のめどがついたとか、いつだったかテレビで見た。もっともまだこういった療法は一般的になっていないが、私の生きている中には有効な療法となるだろうう。

もっとも私の感じたことはその療法には尽きない。鳥居薬品という会社がこの薬を開発したということだが、この開発担当者のいっていることが私の友人の化学者 N さんが言っていたことに内容的に類似していると感じたことだった。それは科学的な研究が 即、会社の利益を生むという考えらしいということであった。

もっとも「花粉症が根治するとはどういうことだろう」というはなはだ設定し難い設問から考えて行くなどというちょっと哲学的な問いもある。そういう意味ではただ研究をしていればいいという単純なものではない。

担当の役員は籠橋さんは花粉症の根治に必要なものとして「現場」「現実」「現物」を挙げている。たとえば、アレルギーに苦しむ患者の勉強会に出かけて「現実」の声を知ることに努めたという。また、なぜスギ花粉がこのようにたくさん飛散するようになったかということとか林業者の間伐の「現場」を知ることも必要だと記事には載っている。

研究がいつかは役立ち、利益につながるということは根本的にはそうであろうが、それはあまり直接的には成就できない。そこらあたりが学ぶべきところであろう。

10年に一つはアイディアを

2015-05-09 11:00:07 | 日記
IT企業に勤める子どもが困っている。それはある分野の専門家として10年ほど過ごしてきたのだが、その分野での業績が伸び悩んでいるという。

最近の話は聞いていないので、ひょっとすると持ち直しているかもしれないが、多分そうではないであろう。妻が言うには今の時代には10年それで飯が食えれば万々歳だろうという。

もしそうなら、10年に十分準備して、またつぎの10年をそれで食べて行けるような分野というかアディアを出さなければならないということであろう。厳しい時代ではあるが、現代に生きている以上その試練に絶えなければならない。

また、妻も私もなんとかそのようなことできる能力を子どもがもっていると信じたい。

もし、10年を一つアイディアで業績をあげて、なんとかIT企業で生き残るためには、実は100くらいの思いつきがなくてはならないだろう。というのはいろいろな思いつきの中で実際にそれが経済的な営業成績に結びつくようなものは100に1つあればいい方だろうから。

確かに厳しい時代である。だが、それを何とか生き抜いていかなくてはならない。そういう時代に私たちは生きている。泣き言をいっても始まらない。心を決めて新しい分野を開発できるようにIT企業に勤める人に願わずにはいられない。

妻と文字タイル

2015-05-09 10:37:47 | 日記
毎月の第4土曜の午後に行っている、雑談会でレポートを予定していた K さんが転倒事故のため来れなくなった。それで急遽ピンチヒッターとして「平方完成と2次式」題する2次式についての報告をした。

そのときにはちょっとした文書はつくっていたのだが、図をつける暇がなかった。それでその説明にその場で紙に「文字タイル」といわれるものを描いて示した。そのとき、妻は何も言わなかったのだが、数日後の朝食後に数学や物理の話になり、あの図を描いての説明は目新しかったと言われた、

「あれは『文字タイル』とか『べきタイル』とか呼ばれているもので、最近の中学生や高校生に数学の代数式を教えるときによく使われているよ」といったら、「そういうのが私の高校生時代にもあったらよかったのにね」といった。

代数になじんだ人にとっては何でもないことだが、数学に馴染みのない人にとってははっとするような感じがするらしい。

いつだったかこの文字タイルを使った簡単な因数分解の話をドイツ語のクラスでちょっとしたら、それはわかりやすくていいと元牧師のOさんがひどく感心してくれたこともあった。

多分、代数式は図形とは関係がないという思いこみがあるのであろう。もっとも文字タイルとかいわなくても物理学者の伏見康治さんの本にはそのような図が出ていたりする。だから、文字タイルは私の所属する数学教育協議会の専売特許ではない。だが、それを使った代数を教える伝道師くらいの役割を果たしてはいるだろうか。

「数学・物理通信」の一挙編集

2015-05-08 18:26:15 | 日記
6月発行に向けた『数学・物理通信』5巻4号、5号の編集を終えた。いつものように著者に点検のため送った。

もっとも発行は6月早々に行うので、まだ少し時間がある。その上にいまのところ『数学・物理通信』の別冊を発行する予定である。これもついでに6月の発行となるであろう。

この別冊の発行はまだ私の腹案であって、共同編集者のNさんのご承諾を頂いていないが、たぶん別冊であるから、承諾を得られるであろう。

4月終りから、5月初めの連休にかけてこれらの編集に時間を費やしてきた。もっとも最近は少し編集が楽になったみたいである。

もっとも新しい編集方法になったためのミスも生じている。しかし、徐々にそのミスは少なくなっていくであろう。

これはひとえにPDFの文書を結合するという方法が使えるようになったからである。そういう意味ではこのことをsuggestしてくれた S さんに感謝すべきであろう。

ゴールデンウイークは終わったが

2015-05-07 11:55:24 | 日記
ゴールデンウイークは終わったが、私たちにはこれからが仕事のする時である。気候は暑くもなく、寒くもないいい季節になった。ゴールデンウイークにはどこもでかけないで自宅と仕事場の往復だけであった。妻は友人と近場で方々に出かけたけれど。

5月は私の誕生月である。私だけではない。妻も子どの一人も5月生まれである。それに子どもの一人の伴侶も5月生まれである。

一般に5月は誰でも好きな季節であろう。7月から9月の日本の気候の暑さと湿度の高さはやりきれないが、その前後にはいい季節がある。

全体としてみれば日本はすみよいところであろう。ときどき台風が来たり、大きな地震があったりするけれども。

それに日本の科学や技術の水準も高く、それに出版文化もある。なにかを調べようとすれば日本語で書かれた書籍とかインターネットのサイトにも事欠かない。

もし、日本語がわからなければ、少なくとも英語を知らないと多くの知識に接することができないであろう。ただ、私たち日本人にとってありがたいことに日本語で書かれたいろいろな科学・技術上の多くの知識や知見に接することができる。このような国はあまりないに違いない。

たとえばの例であるが、最近調べているMie散乱にしても日本語で書かれた文書がいくつかあるのはそれの証明でもあろう。たとえば、Mie散乱なんてものにどれくらいの人が関心があるのかといえば、それは人々の中ではごく少数といっていいと思うのだけれども。有難いことである。

私にしても、Mie散乱というものがあるのは知っていたが、ついぞ関心などもったことがなかった。

2015-05-06 11:41:37 | 日記
雷のプラスの電荷とかマイナスの電荷とかの生じる機構はもう一つハッキリしないが、すこし定量的なことを知った。

これは朝食後に妻がタブレットで調べてくれたことであり、私はそれを伝えているにすぎない。だから、私の数値の聞き間違いがあるかもしれない。

地上と積乱雲の下部では電位差が1億ボルトから10億ボルトに達するという。また落雷のときに流れる電気量は20~30クーロンだと言われる。

また、落雷のときに空気の熱せられる温度は3万度くらいだという。これなら空気はその熱によって瞬間的に膨張して、衝撃波が生じるであろう。それがゴロゴロとかビリビリとかの音も発生するであろう。

電流の大きさは電荷qに電圧Vを掛けたものの1/2とすれば、それでも20億ジュールから300億ジュールくらいだろうか。そうすると1kwは1000ジュール/秒だから100キロジュール・秒くらいのエネルギーである。

このエネルギーがどれくらいの短時間に放出されるのかわからないが、数秒としても結構なエネルギーの放出となる。もっともこのエネルギーをどこかに蓄えることができて人類の役に立てる方法がいまのところあるわけではない。

どうも最近は私は物理の初歩もあやしくなってきているので、大きなミスをしているかもしれない。その場合にはまた修正をするつもりである。

雷の音は?

2015-05-05 13:14:32 | 日記
「雷の音はなぜ鳴るのか」という説明を新聞で見かけた。これは5月2日の朝日新聞である。

負の電気と正の電気がどうしてうまく分離するのかの説明はよくはわからなかったが、雷の音の出る理由はわかった。

それによると、電流が雲と地上の間で流れるときに電流が流れているところの空気が1万度以上になり、周囲の空気が高熱で爆発的に膨らんで空気が震えるのだという。

それがゴロゴロだとかバリバリだとかの音として聞こえるのだという。大体空気は不良導体だから、空気中を電流が流れるには上空の雲と地上の間にとても大きな電圧差がなければならない。

如何に不良導体でも電圧がとても大きかったら電流は流れる。誘電体というのは一般には電流が流れないと言われているが、それとてあまりにも大きな電圧がかかれば、高電圧破壊をして電流が流れる。

E大学の定年前の10年くらい電気電子工学科に所属していたので、そういう材料を研究している研究室の学生の卒論発表を聞く機会が何回かあった。