物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

徳島科学史雑誌の原稿

2015-09-18 18:12:19 | 日記
約一年前の今日か昨日に徳島科学史雑誌の10月1日が締め切り期限の原稿を書き始めた。もっとも昨年は急用ができて東京に2週間ほど行くことになったので、原稿の締め切りは実は遅らせてもらった。ところが今年は大雑把には原稿を書き上げている。

もっとも昨年だって、『四元数の発見』を上梓していたから、その中の一部をとりだして書けばよかったので、それほど苦労はしなかったと思う。

もっとも『四元数の発見』で取り扱ったのと徳島科学史雑誌の論文とでは少しだけ違った書き方をしているので、本に書いた内容と論文とは全く同じではない。

明日からシルバーウイークとかの連休が続くが、私は日曜日以外は休まないので連休は私には関係がない。

もっとも今年の徳島科学史雑誌の原稿は主要なところは引用部分であり、その引用部分を繋ぐように地の文を入れただけなので、これはどうも論文とはいえないであろう。エッセイにもならない。

まだ投稿までに10日くらいはあるので、地の部分をよく見るつもりである。 

受験勉強

2015-09-18 11:19:09 | 日記
試験のための勉強は最近はすることがなくなった。試験自身はあまり好きではないが、試験のために勉強することが役に立つことがあるという意味で、試験自身を毛嫌いするべきでもないかと思い始めた。

第一、大学の入学試験があったから、ある程度嫌なことも勉強したと思う。もちろん、本当に学ぶということは試験と無関係であるべきだとは思うが、それなりの試験の効用もあるのかもしれない。

6月だったかのドイツ語技能検定試験でも少なくともangeblichという語とzust"andigという二つの語はこの試験の際に覚えた。

それまでにもこれらの語に接していたのであるが、なかなか私の頭に定着しなかった。

ドイツ語技能検定試験に関していえば、目指す目標は準1級である。3級の得点が95点で、2級が75点くらいであるから、準1級だと55点くらいの得点しか期待できないので、少なくとも1回では試験には合格しないであろう。

だけど目標だけは下ろさないつもりである。

重ね合わせの理3

2015-09-17 17:39:54 | 日記
連立1次方程式を解く方法としての重ね合わせの理についてエッセイをまとめておこうと思い出してから数日が過ぎた。

数日前に夜の2時までかかってその大筋をまとめておいたのだが、それを2日ほどかけてパソコンに入力した。

まだ、人に見せられるところまで行っていないが、エッセイの草案はできた。これからは少しづつ、文章や式を見やすいものにしていこうと考えている。

あるサイトで重ね合わせの理で1次連立方程式が解けると書いてあるのを見かけたのが、この動機である。どのように書いたら印象的かと思って数日構想を練り、それから下書きをつくった。

それにしたがってようやくパソコン入力を昨日からしていたのだが、大雑把には先刻入力ができた。細かな数式の番号を合わせるとかの調整が必要である。

この文章の推敲をするのは今晩の自宅での楽しみである。

ブログの傾向

2015-09-17 17:28:02 | 日記
私の書くブログには写真がまったくない。ところが世の大部分のブログはきれいな写真がいっぱい。

見ているだけで楽しい。富士山に帽子のような雲がかかっている写真を載せている人もあれば、いまにも食べたいと思うようなお菓子やアイスクリームの写真を載せている人もいる。

外国の写真を満載の人もある。趨勢としては多分写真をたくさん載せる人がやはり人気であろう。

タダ文章を書くだけでは誰が読んでくれるのだろう。いや、これは私の独り言です。だが、このままでなんとか自分の特徴を出したいと常々思っているから、大変です。

ブログだからその著者の住んでいるところも、日本国中至るところですね。私は四国に住んでいるのでやはり西日本に住んでいる人のブログをひいきにしたいと思うのだが、どうやって読者になれるのかわからないで、読者にもなることもできていない。

居眠りと覚醒

2015-09-17 14:13:57 | 日記
眼が覚めているときと居眠りのときとが連続してつながってしまうようになった。体力が衰えて来てラジオを聞いているときに簡単に居眠りをするようになった。

これは自然な成り行きで自分ではどうすることもできない。頭を使うことが多いので、すぐに頭が疲れてしまうのであろう。

家にいるときはテレビ人間なので、テレビを見ながら居眠りをしてしまうことも多い。それだから不眠症とはあまり縁がない。

シリア難民

2015-09-16 12:25:36 | 日記
ヨーロッパ、特にドイツを目指す、シリア難民は30万人ともいう。ところがそれはほんの一握りの幸運な人たちであって、大多数のシリア人は難民にもなれず苦しんでいるという。

1000万人とも2000万人ともいうシリア人は国の独裁に反抗した対抗勢力とそれに現在では勢力をのばしてきたISSとの3つばさみになって動きがとれないのだという。

独裁政権も政権なら、それに対抗する勢力もそれぞれが自分の主張が正しいというのだろうが、多くのシリア人はそのために困難を甘受している。こういったことは今では世界のいたるところで見られるようになった。

正義とはどこでも怪しげなものではあるが、その影響を受けざるを得ない人々の苦労はまた想像を絶するものがある。

シリアは中東では緑豊かな富んだ地域であったという。そこで独裁政権がはびこり、それに対抗した勢力が現れ、またISSが現れた。

インテリで比較的裕福なシリア人はシリアを見捨てて、ヨーロッパを目指して難民となったが、難民にもなれなかった多くのシリア人の苦難は果てしなく続く。

ところが問題はシリアだけに限らないから、ことが深刻である。私たちの住む日本とていつシリアのようにならないとも言えない。






待つこと

2015-09-16 11:44:50 | 日記
一番「待つ」ということを骨身にしみてわからせられるのは、どこかで待ち合わせをしているのに相手がなかなか現れないという場合だろうか。

待つというときには他になにかしたいことがあるのだが、それができない時間ということになる。

松山でも算数の学習会が月に1回あるが、そこで学んだことは教えるということのなかでの大事なことが「待つ」ということであった。ベテランの小学校の先生だった S さんは退職後に自宅で小学生や中学生、最後には高校生までを算数や数学を教えた。そしてそのときに重要なのは子どもが考えている時間をじっと我慢して待つということだったという。

単に待つということだけのような気もするが、やはりよい先生の条件は生徒や児童が考える時間を黙って待つということに大きな意義を見出すということだろう。

どうも私などは待つことができない。自分の知っている知識をひらけかすという傾向が強い。そのこともまた何かを教えるときの大事な要素かとは思うが、やはり実はこどもの頭を信頼して、じっと我慢して待つという教育方法には勝てないような気がする。

待つということの別に哲学的な意味を考えるというほど暇人ではないが、いろいろのところに「待つ」ことの効用があるのは事実である。またある場合にはイライラしてでも待つ以外にどうしようもないこともある。

たとえば、北朝鮮に拉致された人の家族には現在のところ待つ以外に方法がないのは残念である。待っている以外になすすべがない人の幸運を祈るしか私にはいいすべを思いつかない。

測るだけダイエット

2015-09-15 10:19:22 | 日記
1週間ほど前から、「測るだけダイエット」を始めた。妻が「測るだけダイエット」をしたいというのでつきあうことにしたのだ。

いまのところ誤差の範囲で変わらない。はじめ76キロだったのが、74キロ代になっているのだが、これは私にとっては誤差の範囲内だと思っている。

一番重い時には78キロぐらいだったと思う。大学の学生だったころは58キロであったが、大学院を終えたころは68キロになっていた。それが78キロまで増えてしまったのだ。

65キロぐらいが最適体重ではないかと思うので、約10キロオーバーであった。ほぼ1週間が過ぎたが、さてどうなるか。

重ね合わせの原理2

2015-09-14 11:47:04 | 日記
先週の土曜日に一次連立方程式に重ね合わせの原理が使えると知ったことを書いた。

ある程度の年令の物理の人ならが知っている、高橋秀俊編の『回路』(裳華房)を自宅に帰って開けてみたが、どうもこれには載っていなかった。だが、電気工学学会編の『電気回路』という本を開いてみたら、説明がされてあった。これには「重ね合わせの理」とあり、電気回路論にはいろいろの定理があり、これは定理ではないが、一般に知られた事実であるようだ。

重ね合わせの原理が成り立つのは線形系だから、一次連立方程式にしか役立たない。それでかどうかは知らないが、中学校で1次連立方程式を解く解法としてこんな方法を教えられたりはしない。

線形代数のテキストでも多分教えられたりはしないであろう。それにこの重ね合わせの原理を用いて1次連立方程式を解いても特に簡単になるということはないのではないかと思う。

ただ、原理的にそういう解法が可能だということだけは意味があるのではなかろうか。もっと積極的な意味があればそれに越したことは。ないのだが。

でも、この解法についてどこかで解説をしておきたいという気がしている。

資料を集める

2015-09-12 12:10:45 | 日記
「資料を集める」といっても自分の関心のあることについての資料を集めるということである。

いろいろ自分の関心のある事柄をどこかでチラッと見たものを覚えておいて、それを集めてパソコンに入力しておこうという話である。

だから、以前にどこかで見かけたのだが思い出せないなどということも実際には生じてくる。それでも自分のアンテナを方々に広げてできるだけその関心事についての資料を集めておこうというわけである。

最近では国会図書館の検索が便利にできているので、そこから私のアンテナの及ばなかったことも検索をできるようになった。もっともそこで資料があることを確認できてもそれにアクセスできるかどうかはまた別であり、そのアクセスできるかどうかが肝心のところである。

重ね合わせの原理

2015-09-12 12:01:00 | 数学
ある数学のサイトを見ていたら、1次連立方程式が重ね合わせ原理で解けるとあった。この知識ははじめて知った。

高校数学等で練習問題として与えられる、一般の連立方程式が1次連立方程式で表される場合は少ないので、実用性はあまりないかと思うが電気回路の例が取り上げてあったと思う。

電気回路論のことは知らないが、このことは電気回路論を学ぶ人にはよく知られているのだろうか。

重ね合わせの原理が成り立つ場合は線形系に限られると思う。電気回路では連立方程式が大抵1次式のことが多いように思うが、はたしてどうなんだろう。

台風一過

2015-09-11 10:33:59 | 日記
集中的な大雨による鬼怒川の氾濫で、常総市をはじめ被害の甚大さは測りしれない。昨年の広島市の山崩れに続いての大災害である。

ところが、今日は松山地方は雲一つない晴天であり、昨日までの曇天や雨天が全く嘘のようである。

それに大分太陽が低くなってきて、午前の太陽の日差しがバルコニーにさしている。もっとも昨夜は大分冷えて来て一度ならず目が覚めた。そして、このところ開けて寝ていた戸を夜中に閉めるということもあった。

今年は秋が来るのがやはり早いらしい。さわやかな秋がくるらしいが、望ましくない安保法制の採決がまじかでもある。9月12日の安保法制反対の集会には参加するつもりである。

国勢調査

2015-09-11 10:25:55 | 日記
5年に一回の国勢調査の年が来た。今年はインターネットで答えるというのが主になっていて、インターネットを使えない人にだけ調査員が来て、調査するという風になっている。

所得税の還付請求がインターネットでされるようになったのは大分以前のことだが、インターネットの利用は国勢調査にもおよんできたのだ。多分国勢調査の費用を大幅に削減できるであろう。

だが、それだけ国民の各人一人一人に努力を強いるということである。もっとも妻などは「国勢調査の用紙が来ているよ」というだけで自分が答えるという気などさらさらない。


多くの書類

2015-09-10 11:46:44 | 日記
多くの書類ができている。大学に在職中とか学生の時からだから、しかたがない。大学に在職中のときの事務的な書類の大部分は辞めたときに廃棄したけれども、研究に関係した書類とか教育の授業に関係した書類とかはさすがに廃棄するのをためらったためにかなり大量の書類が残っている。

生きているうちに始末をつけなければならないのだが、まだ自分には寿命が来ないと楽観的である。それにいまでも『数学・物理通信』のバックナンバーでも結構な量になりつつある。

在職中に愛媛県数学教育協議会の機関誌に書いた原稿もかなりの量になっている。もっともこれらはそのほとんどを小著『数学散歩』(国土社)に掲載したから、捨ててしまってももういいかもしれない。

研究といっても大した研究はしなかったが、その計算紙も結構な量になっている。一部は論文にすることができたが、論文にもならないで、ほこりをかぶっているだけのものもある。

妻にしたら、もういい加減にして、始末したらという気持ちであろう。その気持ちはわからないでもないが、なかなか捨てられない。それに大学院のころにセミナーで先生と一緒に講読してもらった本の計算のノートもある。

先日も私たちの先生であった、 S さんの追悼文を書くので、HeitlerのQuantum Theory of Radiation(輻射の量子論)のノートを引っ張り出してきて、追悼文の一部を書く参考にした。とはいってもHeitlerの書のハイライトとでもいうべき、Klein-NishinaのX線の電子による散乱の公式の計算について述べたという訳でもない。

もっとマイナーな話題の「2軸球面」ということについて書いたのである。そんなことなど誰も問題にしないようなことである。

まだ、この書はよかったのだが、その後に講読してもらったK"allenのQuantenelektrodynamikはどうもよく分からず、後で一人ひそかにSchweber,Bethe, de HoffmanのMesons and Fields Iを読んでようやくFeynmannグラフの計算の筋道がわかったというなんともお粗末な次第であった。

ということで読み通せた本もあるし、途中でわからなくなって読むことを放棄した本もたくさんある。どうせ昔の計算ノートなどほとんどものの役には立たないことはわかっているのだけれども。

同窓会からの卒業

2015-09-09 15:49:06 | 日記
先日、高校の同窓会の案内がきたが、どうも行く気が起きない。

というわけで同窓会から卒業することにした。あまり固い決心ではないが、そうする。

大体、いままで何回かあった同窓会には秀才たちほとんど来ない。これはどこの高校でもそうなのかどうか私はこの現象が普遍的なのかどうかは知らない。私は秀才ではなかったから2年ごとの高校の同窓会を始めたころは家庭の事情で2回くらいは参加できなかったけれども、後はすべて参加していた。

先々回の松山での同窓会の時に世話人をしたといういきさつもあるけれども。その後、東京で同窓会があり、今年は今治での同窓会である。その二年後は同窓会は多分また松山での開催になるだろうが、それにはもう関わりたくない。

先回のときには小学校以来の同級生が電話をかけて来て頼まれたから、断ることができなかった。

同窓会に行ってもあまり高校時代にいい思い出がないから、おざなりの数時間のつきあいにわざわざお金をかけて行く必要がないように思いはじめた。

ここらが、秀才たちと比べて私の見極めが悪いところなのであろう。頭の悪さは一生ついてまわるものだ。