について物理学者の須藤靖さんが雑誌『窮理』5号で書いている。
引用しよう。
我々は何を基準に「物理がよく分かっている」と判断するのだろう。
面倒な式を解けば答えは得られるもののなぜそうなるのかわからない場合でも、式を使わず直観的に教えてくれる。一見複雑そうな現象のなかの本質的過程を抜き出し、ごく基礎な物理の知識だけからその振る舞いを定性的に説明してくれる。常識的には信じられない現象を理論的思考だけで予言してしまう。
一括りにするのは難しいものの、これらの例のように、単に難しい数学的解を求めるのが上手いとか、数値計算が速い、などの特質ではないことだけは確かである。したがって「コンピュータは計算が得意であろうと物理はわかっていない」という結論になる。(引用おわり)
文章はまだ続くがこの後も興味深い考察が述べられている。このブログでもAI(人工知能)との関係でわかるということを数回議論してきた。その結論はAIが出した結論を人間が理解しないと結局わかったことにはならないだろうというのが私の今の考えである。
そのときにやはり武谷三段階論の実体論的段階のような段階が必要なのではないかというのが私の予想である。
電磁気学のマクスウエル方程式でもそれを立てるためにはもとになる場という考えがあり、それはファラデーが実験的な考察から得たものであったというのが、通説の理解である。
広重徹氏のいうような場の概念の本質がわかったのはアインシュタインまでかかったということは事実としてもそれは科学の電磁場に関する認識の段階がさらに進んだことによるのではないかという気が今している。
それを広重のいうようにマクスウエル方程式という本質論が先に来て、電磁場の実体は後で分かったのだから、武谷三段階論はおかしいのではというのはやはりちょっとおかしいのではないか。
第一、マクスウエルが自分でなぜ電磁場についての方程式をまとめようとしたのかという一番の動機がなにもないところから出てくるはずがない。
もちろん、マクスウエルの使った方程式を導くためのモデルは物理的にみたら、問題が一杯のものであったにしてもそういう気持ちをマクスウエルに与えたきっかけはファラデーの場の考えであったのではないか。
そうなると、マクスウエルの論文だけではなく、ファラデーの実験的な論文をよく読むこまなくてはならないという研究方針が出てくる。広重氏がそれを読まなかったなどというつもりはない。勤勉な科学史家であるから、彼はそれらもきっとよく読み込んだであろうが、すこし私は意見を異にする。