であった、H. ワイル(山内恭彦訳)『群論と量子力学』(裳華房)の実物をはじめて先日東京で見た。これは武谷家から三男の文書や書籍を引き受けて持って帰ったMさんの事務所でMさんから見せられたのである。
武谷が亡くなる少し前の施設の彼の居室の彼のベッドのまさに枕頭にあったと化学工学者の西村肇さんが雑誌「現代化学」に書いていることである。だが、それは私とは縁もゆかりもないことであって、その書籍の実物を直に見る機会が来るなどとは思ってもいなかった。それには細かな書き込みがあったとはまさに西村さんの文章にある通りであった。
科学史の研究者を含む数人のグループがいま武谷の遺した多量の文書や書籍を整理しようとしている。段ボールの箱にして30個ぐらいはあるから、かなり多量の文書である。
それらの文書を整理して、スキャナーでスキャンしてインターネットで見ることができるようにして、関心のある人には誰にでも使えるようにしたいというのがこのグループの現在の目的である。もっともそのためには約30個にも及ぶ箱のなかにある、文書とか書籍にどんなものがあるのか目録をつくるという作業が必要である。
来年1月7,8,9日に東京のどこかに集まってその目録をつくる作業をするという。私は地方に住んでいるので、それには参加できないだろうと思っていたが、3日全部ではないが、8,9日は参加できそうになってきた。
先日知り合ったばかりの科学史家のYさんにこの『群論と量子力学』の書き込みを一緒に解読できたら楽しいでしょうねと先日メールで書き送ったが、これについては彼はあまり乗り気ではないようだった。
(注)はじめて読む量子力学の書としてこの『群論と量子力学』はあまり適切の書ではない。いまどきこの書を読む人はほとんどいないと思われる。
私にしてもそういう書籍があるということはもちろん知っていたが、その一部でも読むことを考えたことはなかった。実際に最近になって古本でこの書を購入して持っているけれども。
武谷のこの蔵書はもう製本がとけていまにもばらばらになりそうであるが、この書をいちいち読んで武谷の思索の跡をたどることができるような機会が実際に持てるのかどうかは私にも定かではないが、そういう機会があればいいだろうなとは思っている。