物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

昨日と今日と朝は雲がなかったが

2022-10-15 11:51:25 | 本と雑誌
昨日と今日と朝は雲がなかったが、今空を見ると雲が空いっぱいに広がっている。

今年の夏は青空をほとんど見ることない曇りがちな夏だった。こういう夏もあまり記憶にない。

松山に50年以上住んできたのだが、たいてい12月まで晴れの明るい日が続く気候である。それだけ秋の紅葉のおそく12月の初旬になるくらいまで松山市内では紅葉を見ることができない。

もちろん、山の方だと早く木々が紅葉しているのだろうが、松山市内の街路樹等は12月の初旬くらいまでは紅葉が進まないのが普通である。

私は日曜以外は祝日も休まないので、今日の土曜日も仕事場に来ている。

四元数の学習の私的な歴史

2022-10-14 14:53:29 | 数学
「四元数の学習の私的な歴史」というエッセイを書いている。すでに一回原稿を査読者に見てもらったのだが、さらに2ページくらい付加する原稿を先ほどまで書いていた。

これは私の四元数についての、投稿エッセイの補遺として4回ほど「数学・物理通信」に書いたのだが、それを読み返してその問題点がどこにあったかを書き加えた。もっともこれはかなり細かな話となるので、付録としてつけるつもりである。

私自身の考えでは、この補遺で述べたことも私の持った疑問のうちの一つではあったのだが、そうはいっても私と読者とでは意識とか、持っている知識がちがうだろう。

それで、その部分は読者としては軽く、読み飛ばせるように補遺とした方がよいと判断をしている。

この部分を加えて早急に「数学・物理通信」を仕上げなくてはならない。

ストークスの定理とガウスの定理

2022-10-13 13:15:13 | 物理学
ストークスの定理とガウスの定理について関心があるのだが、どうも私が今まで読んだベクトル解析の本でこれらが読んで腑に落ちたと感じた本が少ないというか、いまもって腑に落ちない。

比較的腑に落ちた書籍はあったのだが、その本にはストークスの定理の証明があまりはっきりとかかれていなかった。

学生のころからであるから、およそ50年以上しっくりこない。これらの定理の意味はそれほど難しくはないのだが、その導出が腑に落ちない。論理としては無理やり説き伏せられるみたいである。

私みたいな人はまったくいないのだろうか。

この部分以外のベクトル解析の部分は私には問題はないと思っている。この部分をなんとか解決したいと日ごろ思っているが、それに取り組み組むひまがいまはない。

(付記)「Levi-Civitaの記号でベクトル解析の初歩」をという私の以前に書いたことのある文書があり、これはインターネットでのpdf文書となっている。

これを読めば、「ストークスの定理とガウスの定理」以外の箇所は卒業であろう。もっともこの部分で難所はLevi-Civitaの記号の縮約の公式の導出にある。最近はこの点も工夫された説明がある。

私もこの点について述べてみたいと思っている。

また木曜日が来た

2022-10-13 13:05:36 | 本と雑誌
また木曜日が来た。疫病神がやって来たかのような表現で申し訳ないが、今晩はzoomによるドイツ語のクラスである。

以前はもちろん、対面でやられてきたドイツ語のクラスである。今はオンラインであるが、コロナが終息したら、対面に戻るのかどうか、たぶん対面に戻るのは難しいかもしれない。

個人的には対面に戻ってほしいと願うところであるが、遠隔地の方もおられるので、たぶんオンラインでの継続となるのであろう。

もっともオンラインがいいとばかりは言えないところもある。というのはオンラインのできる環境におられない方もあるからである。物事は一長一短である。

『四元数の発見』の修正箇所と追加

2022-10-12 12:31:39 | 数学
『四元数の発見』の修正箇所と追加分の原稿をつくっている。だから忙しい。

それに9月に発行予定だった「数学・物理通信」12巻6号の発行準備をしなけばならないのだが、こちらの方にはなかなか時間がとれない。

すでに私の原稿には査読してくれたSさんからの意見が帰って来ているのにそれを直す時間がとれないのだ。

今回の修正とかとは関係がないが、『四元数の発見』を改訂する箇所の書き換えもかなり進んでいるが、まだ6章のところがその改訂の構想もたっていない。

要するに一番の難題は、四元数とベクトル空間の知識についてどのくらい適当に記述するかということが私には解決されていない(付記参照)。

線形代数の本ではないのだが、四元数は4次元の計量ベクトル空間をなすといってもよい。同様に複素数も複素数の側面と2次元の計量ベクトル空間としての側面もある。

もっとも今回の増刷にあたってはそのことは考慮していない。これは改訂版とはいちおう別のことだとの認識を出版社も私も共有しているからである。

『数学・物理通信」の最新号に私の書いた一番古い四元数についてのエッセイを転載しようとしている。それを読んで下さったSさんからもコメントをもらった。

字句の訂正の指摘だけでなく、本質的な指摘もある。それでそのコメントにどう答えるべきかも考えて、補遺をつけるのがよさそうだと思っている。

もっとも、これらはすでに私がすでに四元数について書いていることとも関係しているのだが。

(2024.4.28付記)
四元数とベクトル空間については「数学・物理通信」で最近書いたので、私の持っていた課題の少なくとも半分はクリアした。

これでお茶を濁すつもりだが、本当のところはわからない。もうちょっとベクトル空間の説明をきちんとすべきなのかどうか。きちんとした説明はポントリャーギンの本に書かれている。


10月の子規の俳句

2022-10-11 11:53:39 | 本と雑誌
10月も10日を過ぎた。時の過ぎるのは早い。

10月にふさわしい子規の俳句を紹介しておこう。

  山尽きて稲の葉末の白帆かな

  at the mountain's end 
       beyond the green rice field
       a white sail

これは状況を察するのが難しい。英語の方を見たら大抵はわかるのだが、これは英訳を見ても状況はわからない。

カレンダーについた写真は前に稲田であり、その後ろに山が見える。その後ろの白い雲のことなのだろうか。
       


定価20,000円の本を送ってもらった

2022-10-08 13:02:18 | 本と雑誌
ある知り合いの方から、昨日定価20,000円の本を送ってもらった。

どうお礼をしたらいいのだろうか。私も数冊本を書いているが、それでも私の本の定価は高くても2, 000円代である。桁が違う。私が友人と訳した本は古典力学の有名な本であるが、これだって上巻、下巻はそれぞれ5,000円を切っている。

だから、今値上げブームの最中ではあるが、それでも定価20,000円の本に対してお礼のしかたがわからない。どうしたらいいだろうか。

メールでひたすら御礼をもし上げるしかその方法を思いつかない。それも私はその本の下巻をもらったのだが、この方はおなじくらいの定価の上巻を書かれている。世の中にはすごい人がいるものだ。

本を書くとその校正が時間がかかる。本などはミスプリのオンパレードであるのがふつうであるが、昨夜拾い読みしたところではこのミスプリントは見つけられなかった。多分、校正にかなり時間をかけられたのであろう。

昨夕、帰宅したら、クロネコヤマトの宅急便の配達した通知が来ていて何か私宛の宅急便があったことがわかったので、あわてて携帯で電話したら、しばらくしてその本が届けられた。




「みんなの量子論」の放送が終わった

2022-10-07 11:56:31 | 物理学
竹内薫さんの「みんなの量子論」の放送が今日終わった。私は金曜日午前10時の再放送を聞いている。今回14回目であり、もう一回の15回目があるのかと思っていたが、今日が最終回だった。

なかなか興味深かったが、これを聞いてわかるのはちょっと物理学を学んでいなければならないだろうか。私はそれほどよくわかったとは言えないが、まあある程度はわかったといっていいだろう。

話はなかなか書いた文章と同じではないが、この放送をもとに本を書いてくれたらいいのだが、そういう計画はないのかな。

古い四元数のエッセイ

2022-10-07 11:19:07 | 数学
古い四元数のエッセイを「数学・物理通信」に再度掲載しようとしている。もちろん元のエッセイを書いたときには知らなかった重要なことを今の時点では補足しておかないといけないだろう。

ということで、そのその後わかった認識を脚注の形でつけておいた。Cauchy-Lagrangeの恒等式の証明として四元数が使えると知った後で書いたのが、この四元数のエッセイである。

これは2008年10月の発表だが、書いたのはほぼその1年前の2007年11月のことである。だから、私が四元数に関心をもったのは、このころのことであったらしい。さらに言えば、Cauchy-Lagrangeの恒等式の証明として四元数が使えると知ったのは2007年3月よりは前のことであったらしい。

というのは、Cauchy-Lagrangeの恒等式の証明を四元数でした、エッセイの発表は2007年3月であるから。




夕食が済んでテレビの前に座ったが、

2022-10-06 11:49:21 | 数学
夕食が済んでテレビの前に座ったが、昨夜と一昨夜とは眠ってしまった。

いや、昼の間に仕事をして頭を使った日には、夜の夕食後はもうテレビでさえも見る元気は残っていないとはじめてわかった。私の体は正直である。

それで、夜の12時を過ぎたころに少し目を覚まして、2007.11に書いた私のはじめての四元数についてのエッセイを修正した。もっともあまり手を入れないうちに眠くなってきたので、就寝した。

そうしたら、今朝は早く目が覚めた。早くといっても、もう7時過ぎだったが、起きてまた「四元数」のエッセイの修正をした。

このエッセイは私が生まれて初めて書いた四元数についてのエッセイなので、そのエッセイを書いたころは、まだ絶対値の法則についての認識が私にはなかったことがわかる(注)。

それで、急いでそのことを脚注としてとかそのほかの方法で修正する必要があることに気がついた。

(注)絶対値の法則とは聞きなれない言葉だと思うが、|ab|=|a||b|のことである。四元数を導入する過程を歴史的に振り返ってみると、この絶対値の法則(組成法則ともいう)の重要さは忘れられない。

世の中の数学者は場合によってはその重要さを軽視する向きがある。

さきほど理髪店に行った

2022-10-05 13:43:13 | 物理学
さきほど理髪店に行った。私は出不精でちょっとした散歩でさえしたことがない。

それで外出するならば、100円ショップでファイルを買い、レポート用紙を買いするくらいだ。

それでも数か月に1回は理髪店に行かなければならない。それもなかなか行く気にはならない。今日は心を決めて理髪店に行った。

その後、近くのデパート三越にあるジュンク堂に行って、数学とか物理の本を少し眺めてきた。新しい本が出ていないかということである。

旧知の山本義隆さんの本が出ていることを知った。いつか購入したいとは思うが、定価が6000円以上する。関心はあるテーマなので、いつかは購入するだろう。量子物理学についての本である。

いまアマゾンコムで調べたら、『ボーアとアインシュタインに量子を読む――量子物理学の原理をめぐって』(みすず書房)である。定価は6930円である。みすず書房はこの本はあまり売れないと思って高い定価をつけたのだろうか。けっこう売れるとは思うのだが。

ちらっと見ただけなので、Heisenberg-Pauliの場の量子論の論文をレビューしていたかどうか今はっきりしない。

そこまでは踏み込んでいなかったような気がする。

『数学ガール』シリーズを書いている結城浩さんが、物理の分野にもその著作の手を伸ばしてきたことを知った。この人は多作である。

ラジオ人間

2022-10-04 11:28:23 | 本と雑誌
ラジオ人間という言葉があるのかどうか。

私はラジオ人間であると思っている。仕事をしながら、ラジオを聞くともなしに聞いている。また、12時と15時のラジオ体操をしている。

これも私がラジオ人間だからできることである。ラジオ体操をするきっかけとなったときまでには、長いことラジオでラジオ体操をしていることを一年近く聞いていた。

あるとき、聞くだけではなく、自分も一緒にラジオ体操をしたらいいのだと思いつくまで一年以上が経過していたと思う。すぐにそういうことを思付くほど頭の巡りがよくはないのだ。



一つの、つぎは別のものが

2022-10-03 17:42:14 | 本と雑誌
一つの、つぎは別のものが用事として出てきている。

いや、先週末で徳島科学史雑誌への投稿がようやくできたと思ったが、つぎに9月に発行すべきだった「数学・物理通信」12巻6号の編集がある。

それで今日はブログを書くどころではなかった。といいながら、いまブログにとりついているところである。「数学・物理通信」12巻6号の編集が終わらないと9月分の仕事が終わったことにはならない。

自分で自分をいそがしくしているだけかもしれないが、そういうところが私にはあるとようやく気がついた。



徳島科学史雑誌へ論文を投稿した

2022-10-01 13:17:33 | 物理学
徳島科学史雑誌へ論文を投稿した。今日が締め切り日である。

今年は論文ができなくて、投稿できないのではないかと思ったりしたのだが、なんとか投稿できた。

できは、どうだかわからない。それにA4で6ページであるから、あまりながくはない。何とかようやく書いたという感じである。

それでも、もう何回もプリントしては読んでみて、5,6回はプリントしている。プリントして読まないと文章のわるい箇所に気がつかない。

細かいところも気になるのである。これで私の予定している、「他人から見た武谷三男」の取り扱う予定のテーマは中村静治さんの『技術論論争』だけを残すだけとなった。

それに私の書くものはどうも重複が多いと注意されたこともある。今回も同じようなことを書いていたところを削除するところがいくつかあった。


来年はこの中村静治さんの『技術論論争』をどうしても取り扱わなければならなくなった。