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宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

「保育園落ちた日本死ね」で岡田克也代表「政府が間違いに気づいてくれればそれでいい」参院選待たず

2016年03月11日 20時21分07秒 | 第190回通常国会(2016年前半)

[写真]岡田克也代表、2016年3月11日、東京・永田町、筆者・宮崎信行撮影。

 岡田克也さんは、平成28年2016年3月11日、東京・平河町の国立劇場で開かれた東日本大震災5周年式典に出席。

 その1時間後の記者会見で「あのとき与党の幹事長でしたが、今考えるもっといろいろなことができたはずだとの思いもあるが、言ってもしかたがない」と吐露。私は稀代の天才政治家の思いとそのやりとりを黙って聞いておりました。

 その他の話題になったので、私はさっそく「保育園落ちた日本死ね」ブログ問題で今週大きく動いた保育園問題で質問。

 岡田さんは「介護士の(事務職員も含めた月1万円報酬上げ)法案はすでに出しているので、それを追う形で、保育士の1万円上げ法案を出す」と明言しました。

 そのうえで、「子どもを持っているお母さんが、妊娠したときから、ひっしになって、死に物狂いで、保育園を探し、ダメなら仕事を辞めなければいけないという現状を、安倍首相や塩崎厚労相は分かっていない」と批判。

 参院選の争点化については、「政府が、間違いに気づいてとりくむならそれでいい」と語り、7月の参院選より前に、3月中に政府が緊急対応すべしとの考えを強調しました。

 この日の岡田さんは、冒頭発言で、6年前の衆参ねじれ以降、言及することが少なかった地球温暖化に自ら言及。政府が提出した温対法(地球温暖化対策推進法)改正案の原案となる閣議決定で、CO2削減目標の2050年までの計算があわないと自ら指摘。

 また、2012年の消費税上げ法案で、唯一本会議に上程されなかった「総合こども園法案」(廃案)に、4年経ってたぶん初めて言及。「民主党が最初につくったこども園(認定こども園ではなく総合こども園)は、幼稚園と保育園を完全に一つにする法案だった。3党で協議するうちに、だんだん薄くなって、株式会社の保育園参入は(野党・自民党の田村憲久実務者らの反対で)社会保障と税の一体改革法を通すうえで、(認定こども園法改正への転換を)認めざるを得なかった」と振り返りました。そして、「私は非常に残念だ」と語りました。

 一方、おととし7月1日の解釈改憲の与党(自民党と公明党の)協議会座長だった高村正彦自民党副総裁が同日の役員連絡会で、悪態をついたことをとらえ、「高村さんは常軌を逸している」とし、立憲主義の破壊を正当化する自民党副総裁を激しくなじりました。

 岡田さんの記者会見の報告は以上です。

 話は変わります。

 公明党福島県連代表である復興副大臣(被災時はノーバッジ)は、けさのメールマガジンで、公明党の震災対応について「この5年間、公明党が最も被災者に寄り添い、復興に尽力してきた自負はありますが、それでもすべての課題に対応できていないこともあり、申し訳ない思いでいっぱいです」としました。

 公明党は3・11以来、公明新聞で、「心が無い」などと、当時の与党を5年間、ひたすらなじり続けてきました。山口那津男代表(2010年就任)が一度たりともねぎらいの言葉をかけたことがあるでしょうか? ここに来て、福島県連代表が「申し訳ない思いでいっぱい」と吐露。

 私は当ブログの2011年3月11日付で「関東大震災の後は、後藤新平という政治家が巨力なリーダーシップで、復興計画、都市計画、グランドデザインを作り上げました。まずは救命、救助、復旧です。その後に、わが国をみんなの力で復興していきましょう。数年かかると思います」と勇ましく書きました。しかし、一晩たった2011年3月12日付で「東北の場合は、自然が魅力ですから、自然に戻るということをグランド・デザインとして描くべきかと思います」「いつの日か、日本観光はTOHOKU(東北)ということになってほしいと思います」とトーンダウンのうえ軌道修正しました。私はこの震災後1日目の思いを5年経っても変わらず持っています。

 このエントリーの本文記事は以上です。


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