[写真]各々19歳当時の、在りし日の竹内英明兵庫県議(左)と宮崎信行(右)、今から32年前の1993年撮影。
竹内英明・前兵庫県議が亡くなったと報じられました。享年50。私と竹内さんの関係は万人が承知している前提で話を進めますが、私が1974年の3月生まれ、竹内さんが4月生まれ。サークル及び学科の1年後輩となります。現在、サークルは隆盛を極めており、今、サークルに入りたくて受験勉強をしているみなさんや、4月に検索してこのページにたどりついた1年生、就職採用試験の当事者のみなさんには、今回の件は個別の事情でありサークルは全く無関係だということを私が無限連帯保証いたします。
初代幹事長の衆議院議員も兵庫県議経験者で、ここ4年は衆議院議員会館内でよく話しますが、きょねん「これから100条委員会が設けられるそうですが、竹内は100条委員になるために生まれたような男ですよね」というと「確かに」とのことでした。また別の議員に「竹内県議の奥さんは、私のサークル及び学科の2年後輩になり、現役当時だいぶ私を慕ってくれましたが、新宿の百貨店の広報をして、学生時代から交際していたとはいえ、輪をかけて閉鎖的な播磨地方、姫路に移住して、離れられない県会議員夫人をするのもたいへんですよね、フジテレビ元男性アナウンサーの事案もありましたし」と話すと「せやな」という会話をしていました。奥さんとは卒業以来会っておらず、おととしの選挙の当選報告会での2回万歳して1回お辞儀する「夫人しぐさ」をSNS動画で見た際は、お元気そうだといううれしい印象を持っていました。ときどき私が本人でなく第三者の国会議員とだけ人物評をしていることに批判もありますが、バッジをつけた人のことだけです。私が3年に1回は現役学生から交わってくださいと言われても寄付しかせず議員会館内で先輩と周年式典の打ち合わせだけして中興の祖としてふるまうことに対する批判は知る限り皆無です。
初代幹事長の衆議院議員も兵庫県議経験者で、ここ4年は衆議院議員会館内でよく話しますが、きょねん「これから100条委員会が設けられるそうですが、竹内は100条委員になるために生まれたような男ですよね」というと「確かに」とのことでした。また別の議員に「竹内県議の奥さんは、私のサークル及び学科の2年後輩になり、現役当時だいぶ私を慕ってくれましたが、新宿の百貨店の広報をして、学生時代から交際していたとはいえ、輪をかけて閉鎖的な播磨地方、姫路に移住して、離れられない県会議員夫人をするのもたいへんですよね、フジテレビ元男性アナウンサーの事案もありましたし」と話すと「せやな」という会話をしていました。奥さんとは卒業以来会っておらず、おととしの選挙の当選報告会での2回万歳して1回お辞儀する「夫人しぐさ」をSNS動画で見た際は、お元気そうだといううれしい印象を持っていました。ときどき私が本人でなく第三者の国会議員とだけ人物評をしていることに批判もありますが、バッジをつけた人のことだけです。私が3年に1回は現役学生から交わってくださいと言われても寄付しかせず議員会館内で先輩と周年式典の打ち合わせだけして中興の祖としてふるまうことに対する批判は知る限り皆無です。
サークル7代の衆議院議員経験者と8代の私が同期なのは有名ですが、8代から9代にかけて「前幹事長除名未遂事件」というのがありました。このときは、総会の開始が2時間遅れ、9代の一部が8代側にまわったことで計画が粉砕され未遂に終わりました。私と竹内さんはその後も軌跡を一にしましたが、肝胆相照らす仲になるのはとうていむりでした。
兵庫県の大事な、2025年の1月17日の前日昼の神戸空港で斎藤元彦知事が天皇皇后両陛下に「俺は知事だぞ」と言ったかどうかはわかりませんが、竹内さんにも兵庫の県議として同席してほしかったものです。亡くなったのが19日となりました。仮に昨秋、元彦さんが解散に踏み切っていたら県議の顔ぶれはほとんど変わらず、それでいて知事も元彦さん再選だったでしょう。負け戦を想定できないいなかっぺ兵庫県議たちは救いようのない政局オンチたちです。その政局オンチっぷりに最大の怒りを覚えます。
兵庫県の大事な、2025年の1月17日の前日昼の神戸空港で斎藤元彦知事が天皇皇后両陛下に「俺は知事だぞ」と言ったかどうかはわかりませんが、竹内さんにも兵庫の県議として同席してほしかったものです。亡くなったのが19日となりました。仮に昨秋、元彦さんが解散に踏み切っていたら県議の顔ぶれはほとんど変わらず、それでいて知事も元彦さん再選だったでしょう。負け戦を想定できないいなかっぺ兵庫県議たちは救いようのない政局オンチたちです。その政局オンチっぷりに最大の怒りを覚えます。
竹内さんの議員辞職の当日に、私はサークル及び学科同級生に「何かできることはあるかな」とSNSしました。
同級生はよほど忙しかったのか、年を越してから返答がきて「宮崎先生、ここは本人の判断次第だ」とのことでした。私にできることはこれが限界だったと考えます。
【参議院政治倫理審査会 きょう令和7年2025年1月20日(月)】
岡田直樹さん、加田裕之さんの本人申し立てによる弁明とそれに対する質疑がありました。
森喜朗さんの親せきで国務大臣もつとめた岡田さんは「この度の清和政策研究会、清和会における政治資金の取り扱い等を巡り、国民の皆様に深刻な政治不信を招きましたこと、また、国会を初めとする関係者の皆様に多大なるご迷惑をおかけしましたことにつきまして、心からお詫びを申し上げます」と語りました。
岡田さんは「私は平成16年に参議院議員に初当選して以来所属し、昨年2月の解散まで会員でありました。多くの大先輩や仲間とのご縁に恵まれ、今でも哀惜の念を持っておることは否定いたしません。しかしながら私は国会、政府などの仕事が続いたこともあって清和研の総会などに出席する回数も少なく、実質的な派閥の運営にはかかわらずに終わったというのが正直なところであります。派閥における会計経理には関与したことがなくパーティー収入の取り扱いについて説明を受けたこともありませんでした。そのため、年に一度開催されるパーティーについて所属議員ごとにパーティー券の販売数の目標額いわゆるノルマがあることは知っておりましたが、私のノルマがいくらであるか販売枚数金額がいくらになったかということについては私自身把握しておらず、また、事務所スタッフから特に報告を受けるなどはしておりませんでした。以前から私の事務所では、支持者の方々からの定期的なご寄附によって政治活動のための資金を賄ってまいりましたので自らが主催する政治資金パーティーを開くことも比較的少なく、重きを置いて参りませんでした」と語りました。
衆参両院の政倫審の弁明で、「知らなかった」に関しては嘘ではなさそうだと考えていましたが、森直系の岡田さんでこれは事実かどうか疑わしいという感想を持ちました。
今週金曜日に召集され、来週木曜日から予算審議となりますが、野田佳彦・立憲民主党代表らは、審議入りよりも前に、松本元事務局長の参考人招致を議決したいかまえです。
●きのうの1月第3週のNHK日曜討論は、首相外遊で1週遅れとなった各党党首のリレーインタビュー。が、同日夜のニュース7のヘッドラインに一つも入らず。石破、野田両党首や玉木代表(3月3日まで役職停止)ら党首力・発信力が低温のまま、異例の少数与党の予算審議・夏の都議選・参院選に突入しそうです。
国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読くださり、ご寄付をお願いします。
このニュースサイトは以下のウェブサイトを活用しています。
このニュースサイトは以下のウェブサイトを活用しています。
Ⓒ2025年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki、宮崎機械株式会社。