
福田康夫首相は10月12日午前11時25分過ぎ、衆議院決算行政監視委員会で、拉致問題に関して「安否リスト」を非公開にした官房長官当時の対応に対して、「私もいい歳ですから覚えていない」と語った。田中眞紀子衆院議員への答弁。
田中さんは2002年9月17日の小泉純一郎首相が訪朝した際、外務省の田中均アジア大洋州局長(当時)が北朝鮮の馬外交官から、「拉致被害者」の「安否リスト」を受け取ったとする朝日新聞報道を引用。このリストと東京の飯倉公館で待機していた「被害者家族」の方への情報に齟齬があるとして、福田さんが官房長官としてそのことをなぜ発表しなかったと問い質した。この質問に関し、福田首相は午後11時26分20秒頃からかつてないほど表情をこわばらせた。答弁席で冒頭の発言をした後、質問通告がなければ答えられないとの考えを示した。
(写真は共同通信)
【追記2007-10-12 12:00】
【関連記事】(2002年9月19日付産経新聞から一部抜粋)
「拉致問題の進展がなければ正常化交渉はあり得ない」。出発前、意気揚々と航空機に乗り込んだ小泉だったが、平壌入り直後に事態は暗転した。午前十時前、会場の百花園迎賓館の控室に入ると、「お話があります」と外務省アジア大洋州局長の田中均が近づいてきた。
この直前に突然北朝鮮側の申し入れで行われた事務レベル協議で、田中は北朝鮮外務省第四局長(日本担当)の馬哲洙から拉致被害者の消息を知らせるリストを渡されていた。死者八人、生存者はわずか五人という数字に、会談成功に自信を示していた田中は一瞬無力感に包まれた。
田中から報告を受けた小泉と官房副長官の安倍晋三は言葉を失った。午前十一時過ぎ、首脳会談の前に交わされたのは笑顔のない握手だった。小泉は会談冒頭から外交辞令なしに「日本国民の利益と安全に責任を持つ者として大きなショックで、強く抗議する」と不信感をあらわにした。
安倍から「八人死亡」の連絡を受けた官房長官の福田康夫は、ただちに東京・西麻布のルーマニア大使公邸での昼食会に出席していた外務副大臣の植竹繁雄に電話をかけ、外務省飯倉公館(東京都港区麻布台)に向かうよう指示した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます