flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

北条 鹿島

2006-07-26 06:00:11 | 孝霊天皇流族関係記事

(愛媛県北条市鹿島 瀬戸内海国立公園)
 新城山から立岩川河口を通り、北条市街へ戻る。
港から渡船に乗り沖合い400m、鹿島へ渡った。
島は周囲1.5km、最高所114mの小さな島であり、地域の休養地となっている。
この島も、河野一族今岡氏の城が存在し、海上防御の役割を担っていた。
然し今は、野生の鹿も棲み、のんびりとした雰囲気が漂っている。
海岸で休んでいると、付近の家族客から「鯛めし」をご馳走になった。
そして海を眺めると、東予地方の海より透き通って見えた。
 
鹿島から北条市街、高縄山を望む
(北条市は2005年1月1日、合併により松山市となりました)
(7/15.16今治 7/16東予市 7/18伯方島東禅寺薬師まつり 7/19北条新城山 7/20.21.22
(関連記事:善應寺 高縄神社

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北条 新城山

2006-07-26 00:00:31 | いにしえびとの睡

(愛媛県北条市下難波 1991年7月19日)
 この日は北条市役所教育委員会、市長公室、商工観光課に立ち寄り、市北部下難波、新城山中腹にある新城(しんじょう)古墳群を踏査するため、詳細なことを訪ねたが、現地へ行った職員がいなく、正確なことがわからなかった。ただ付近の山は“ハメ”(マムシのこと)が多くて危険なので十分注意したほうがいいと言っていた。そこで現地へ直接行き、散策してみた。
 比較的残存状況の良好な 3号墳、5号墳は共に山林と蜜柑畑との境界線付近に位置し、共に石室を2つずつ持っていて、6世紀の長方墳である。 3号墳の石室1基は未開口であり、もう1基は奥壁に石棚を持っているが羨道(せんどう=入口)付近が埋没していて縦に幅40cm程しか開いておらず、内部に入ることができなかった。5号墳も石室2基あるが、こちらは両方入ることができた。
 新城山の麓のにも、やはり縦に開口している古墳があり、その南側には農業倉庫の土台となっている古墳が、玄室の一部を残し確認できた。これらの古墳からは土師質埴輪片や須恵器片が散見していた。
 
新城山尾根から高縄山986m及び河野城跡を望む

新城5号墳内部
(7/15.16今治 7/17東予市 7/18伯方島東禅寺薬師まつり 7/19北条鹿島 7/20.21.22
(関連記事:善応寺(河野塚)古墳

コメント (2)
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