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(名古屋市西区那古野) 名古屋城西の町、なごの。空襲を免れ、古い趣きを残す一角である。正式には、この地より東の道筋を名古屋街道とし、西は美濃路とされている。街道の一本西の道を、通称「四間道」(しけみち)といい、元禄十三年(1700)に元禄の大火により、1649軒の町屋と15の寺社が焼失した際、尾張藩四代藩主の徳川吉通は、防火のため堀川沿いにある商家の裏道幅を四間(約7m)に拡張させたといわれている。 (関連記事:枇杷島 清洲宿 円頓寺七夕まつり 庄内緑地 伊奴神社 白菊公園の枝垂桜 枇杷島の春)
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