もう揺れることはしません。揺れることは許されません。私の今回の「沖縄離島の旅」は、竹富島を含めて7泊8日の旅と決定しました。
私は竹富島を訪れると決心したその日に、与那国島~石垣島間の飛行機の予約を変更しました。また、与那国島の旅館を一泊キャンセルし、竹富島の民宿に一泊の予約を入れました。
そして旅の日程は、Part Ⅳの予定から、次のように変わりました。
〈2/21〉 札幌 ⇒ 石垣島 石垣島泊
〈2/22〉 石垣島 ⇒ 与那国島 与那国島泊
〈2/23〉 与那国島滞在 与那国島泊
〈2/24〉 与那国島 ⇒ 石垣島 ⇒ 竹富島 竹富島泊
〈2/25〉 竹富島 ⇒ 石垣島 ⇒ 波照間島 波照間島泊
〈2/26〉 波照間島滞在 波照間島泊
〈2/27〉 波照間島 ⇒ 石垣島 石垣島泊
〈2/28〉 石垣島 ⇒ 札幌
私はこのシリーズのPart Ⅳで竹富島を加えたことによって「旅そのものが変質する」と述べましたが、どうやら私はそれ以前から当初描いていた「癒しの旅」とは違った旅になりそうだとの予感を抱いていたのでした。
というのは、旅の目的地を決めるにあたって私の中に沢木耕太郎が登場してきたあたりから私はあきらかに40年前にタイムスリップし始めたらしいのです。
40年前とは・・・、忘れもしません1968年、メキシコオリンピックが開催された年でした。
その年の6月1日、私は横浜港を後に勇躍ソビエト連邦(当時の)を経てヨーロッパに向けて旅立ったのです。
そしてヨーロッパを巡り、中近東、アジアを経て、翌年3月15日私は再び横浜港に帰ってきました。
その旅のスタイルは、安宿を探し、最もチープな手段で移動するというバックパックスタイルでした。それは沢木耕太郎が著した『深夜特急』の旅のスタイルそのものでした。
私の旅は、沢木の名著『深夜特急』を著す原体験となったアジアからヨーロッパを目ざした旅から遡ること6年前に体験したことだったのです。
今回の私の旅が一人旅になったことによって、私の中で眠っていた「40年前の旅に還りたい」という潜在化されていた思いが、思わぬ形で表出してきたのかもしれません。