台湾に一番近い島「与那国島」、そして日本最南端の島「波照間島」に思いを馳せています。
「温かいところ…」、「未体験のところ…」と思いを巡らすうちに、私の中に浮かんできたのが沖縄の離島でした。
「沖縄の離島に行ってみよう!」と思い立ったのは、私が憧れて止まないノンフィクションライターの沢木耕太郎の存在です。
「彼の著書に確か与那国島を題材にしたルポがあったなぁ」と思い、彼の著書を繰ってみたところ「視えない共和国」という短編(といっても400枚の力作です)がありました。
「視えない共和国」は、沢木耕太郎がノンフィクションライターとして本格的に世に出る前に、東京放送の社内誌(?)「調査情報」という雑誌に発表した紀行文です。
彼は沖縄が本土復帰(1972/5/15)を果たして間もない1972(昭和47)年11月に与那国島を訪れて、多くの島民と交わる中で与那国島の歴史に触れ、与那国島の現状を見て、鋭く洞察するのです。
―――与那国島へ、この荒ぶる海のごとき激しい王化の波が、何度は寄せては引いていったことだろうか。そのたびに、与那国は変容してきた。たったひとつを除いては。
僕が与那国を訪れる以前、この島のことについて知っていることは僅かだった。ハイ・ドナン伝説と花酒とヤミ景気時代。しかし、その僅かな三つのエピソードが、全て〈国家〉とか〈法〉といったものに鋭く拮抗するエネルギーを秘めていることに気がつく時、与那国においてついに変容しなかったひとつのものの存在に思いは至る。
激しい王化の波に洗われながら、ついに変容しなかったもの、それは多分、与那国島がかつては〈国〉であったことの、民衆の深部に眠る「記憶」ではないだろうか。
沢木が視て、そして感じたのは、与那国島の島民が外敵に翻弄される小島の悲哀を味わいつつも与那「国」の末裔としての誇りを感じたのではないだろうか。
それから37年もの時間が流れている。
沢木が抱いた感慨は今や欠片も残っていないのかもしれない。
しかし、私はかすかな欠片を感ずることができるのではとの思いに惹かれ『視えない共和国』のコピーを片手に与那国島へ行ってみよう!と思ったのです。
併せて、与那国島と同じような伝説が残る日本最南端の島「波照間島」も訪れようと計画しました。
(余話)
今日からいよいよ「さっぽろ雪まつり」が開幕しました。
退勤後(午後3時半)に雪像を撮影しようと計画していましたが、悪天候の上に光度も足りないようだったので断念しました。断念!
なんとか期間中には撮影し、ブログ上にアップしたいと思っているのですが…。