揺れる心は司馬遼太郎の引力には勝てませんでした。私は竹富島も訪れることにしてしまいました。
今回の当初の旅の計画はつぎのようなものでした。
〈2/21〉 札幌 ⇒ 石垣島 石垣島泊
〈2/22〉 石垣島 ⇒ 与那国島 与那国島泊
〈2/23〉 与那国島滞在 与那国島泊
〈2/24〉 与那国島滞在 与那国島泊
〈2/25〉 与那国島 ⇒ 石垣島 ⇒ 波照間島 波照間島泊
〈2/26〉 波照間島滞在 波照間島泊
〈2/27〉 波照間島 ⇒ 石垣島 石垣島泊
〈2/28〉 石垣島 ⇒ 札幌
ということで今回の旅のメインはあくまで与那国島と考え、上記の旅程で予約も完了していました。
ところが、その後で司馬遼太郎著の 街道をゆく「沖縄・先島の旅」の文章に出合ってしまったのです(その経過はこちら⇒)。司馬遼太郎の引力には勝てず、私は竹富島を訪れることを決心しました。
私は上記旅程の24日を与那国島から竹富島に移動し、竹富島に宿泊するように旅程を変更したのです。
この決断が私の旅そのものを変質させてしまうのでは、という危惧を抱きながら…。
先にも書いたとおり当初私は、今回の「沖縄・離島の旅」はあくまで与那国島がメインと私は考えていました。それが今回の変更によって与那国島をじっくり探るという旅から、単なる沖縄の八重山諸島巡りになってしまった感を否定することができません。
その要因はあくまで私の内にあるものに他なりません。
その内にあるものとは…。
私のような年齢になると、これから何度も沖縄の離島を訪れるということを想定することができません。そう考えると「少しでもたくさんのところを見ておきたい」という内なる想いを押さえきることができませんでした。
ゆっくりと身も心も癒したい、という当初の目的からは多少外れてしまいますが、それぞれの島の特性を私なりに感じてきたいと思っているのですが・・・。