講師紹介のとき、紹介子は「言い方に語弊があるかもしれないが、お話をさせていただくと鈴木名誉教授は好々爺そのものの感じです」と紹介された。なるほど、ノーベル賞を受賞した鈴木教授ですが、偉ぶらないその言動に素晴らしい人間性を感じさせられた。
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好奇心いっぱいに、どこにでも顔を出していることで、時には良いこともあるものだ。今回の道新ぶんぶんクラブ主催の「北海道初のノーベル賞・鈴木章先生からのメッセージ」のトークショーには私も応募していたけれど参加券は届かなかった。そうしたところ、知人から「都合が悪くなったので、参加券を譲る」という話が飛び込んできて、喜んで譲り受けお話を聞くことができた。
1月28日の道新ホールは鈴木名誉教授の話を聞こうという人たちで満員に膨れ上がっていた。私が鈴木名誉教授のお話を聞くには昨年三月以来二度目だった。
今回のトークショーは、お天気キャスターとして活躍中の菅井貴子さんが質問し、それに答えるという形で進行した。
したがって、まとまった話を伺うというより、鈴木名誉教授の人となりを伺うような内容であった。
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※ トークショーは菅井貴子さんの質問に鈴木先生が答えるという形で進行しました。
話は多岐にわたったが、その中から印象深かったことを2~3レポートすることにします。
一つは、ノーベル賞受賞の対象となった「鈴木カップリング」について特許を申請しなかったことについて話された。鈴木氏は特許を取ることは毛頭考えていなかったということだった。特許を申請することが煩雑だったということだが、鈴木氏の中に特許を取って富を得ることを良しとしない思いがあったようだ。そのこともあって、鈴木カップリングは医薬品、農薬、液晶、有機発光ダイオードなど、さまざまな分野で活用されることとなった。その広がりが結果としてノーベル賞に繋がったのではないか、と鈴木氏は語っていた。
二つには、ノーベル賞受賞後は大変多忙になったということだった。鈴木氏は1995年に北大を退官され、その後岡山県の私学で教鞭をとられているが、そこに9年勤めた後は札幌に還り、比較的ゆったりと生活されていたようである。それが受賞後は、外遊や講演の機会が増えて忙しく過ごしているということだった。80歳を超えての外遊や講演はさぞかし大変なことだと思われるが、鈴木氏はかくしゃくとしたものである。
三つ目には、鈴木氏は北海道初とか、北大初とか、そうしたローカル的なことあまり意識されていないということを強く感じさせられた。それはつまり、自分の研究成果は広く世界に役立ってほしいという鈴木氏の思いがあるからなのだろうと、私は勝手に解釈した。
最後に鈴木氏は東日本大震災のことについて言及し、「絆」を大切にする日本人の特質・気質は必ずや日本を復旧・復興する力になると力説された。
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会場を埋めた満員の市民が鈴木先生のお話に耳を傾けました。
鈴木氏は自らの研究や思い、そして近況についてけっして偉ぶることなく淡々と語り、自らの少年時代についても「ごく普通の少年だった」と飾ることなく語ってくれた。
生まれ変わってもやはり「化学をやりたい」という鈴木氏は、根っからの化学者だった…。
ノーベル賞受賞者の鈴木章名誉教授を“好々爺”などと称しては失礼とは思いながら、紹介子の言葉をタイトル名に引用させてもらったことをお許しください。
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好奇心いっぱいに、どこにでも顔を出していることで、時には良いこともあるものだ。今回の道新ぶんぶんクラブ主催の「北海道初のノーベル賞・鈴木章先生からのメッセージ」のトークショーには私も応募していたけれど参加券は届かなかった。そうしたところ、知人から「都合が悪くなったので、参加券を譲る」という話が飛び込んできて、喜んで譲り受けお話を聞くことができた。
1月28日の道新ホールは鈴木名誉教授の話を聞こうという人たちで満員に膨れ上がっていた。私が鈴木名誉教授のお話を聞くには昨年三月以来二度目だった。
今回のトークショーは、お天気キャスターとして活躍中の菅井貴子さんが質問し、それに答えるという形で進行した。
したがって、まとまった話を伺うというより、鈴木名誉教授の人となりを伺うような内容であった。
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※ トークショーは菅井貴子さんの質問に鈴木先生が答えるという形で進行しました。
話は多岐にわたったが、その中から印象深かったことを2~3レポートすることにします。
一つは、ノーベル賞受賞の対象となった「鈴木カップリング」について特許を申請しなかったことについて話された。鈴木氏は特許を取ることは毛頭考えていなかったということだった。特許を申請することが煩雑だったということだが、鈴木氏の中に特許を取って富を得ることを良しとしない思いがあったようだ。そのこともあって、鈴木カップリングは医薬品、農薬、液晶、有機発光ダイオードなど、さまざまな分野で活用されることとなった。その広がりが結果としてノーベル賞に繋がったのではないか、と鈴木氏は語っていた。
二つには、ノーベル賞受賞後は大変多忙になったということだった。鈴木氏は1995年に北大を退官され、その後岡山県の私学で教鞭をとられているが、そこに9年勤めた後は札幌に還り、比較的ゆったりと生活されていたようである。それが受賞後は、外遊や講演の機会が増えて忙しく過ごしているということだった。80歳を超えての外遊や講演はさぞかし大変なことだと思われるが、鈴木氏はかくしゃくとしたものである。
三つ目には、鈴木氏は北海道初とか、北大初とか、そうしたローカル的なことあまり意識されていないということを強く感じさせられた。それはつまり、自分の研究成果は広く世界に役立ってほしいという鈴木氏の思いがあるからなのだろうと、私は勝手に解釈した。
最後に鈴木氏は東日本大震災のことについて言及し、「絆」を大切にする日本人の特質・気質は必ずや日本を復旧・復興する力になると力説された。
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会場を埋めた満員の市民が鈴木先生のお話に耳を傾けました。
鈴木氏は自らの研究や思い、そして近況についてけっして偉ぶることなく淡々と語り、自らの少年時代についても「ごく普通の少年だった」と飾ることなく語ってくれた。
生まれ変わってもやはり「化学をやりたい」という鈴木氏は、根っからの化学者だった…。
ノーベル賞受賞者の鈴木章名誉教授を“好々爺”などと称しては失礼とは思いながら、紹介子の言葉をタイトル名に引用させてもらったことをお許しください。